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京さんは、合流した弟を素通りし、脇目も振らず昇降口外の大階段を登った。先にあるのは職員用玄関だ。取り残されたボクと穣くんがあっけにとられている間に、彼女は目的地に到着して、大きな身振りで手招きする。自転車を置きに行く時間がない。仕方がないので、横倒しで放置した。
闇夜に慣れた目に、玄関の明かりが煌々《こうこう》と輝く。京さんは、ボクたちに背中を向けていた。まるで、全身で光を吸収して黄金色になった公園の銀杏のようだ。
「なんだ姉ちゃん。怖くて入れねえのか――」
「入るし」
弟の茶化すような声を、食い気味のタイミングでとめて、姉は右手を伸ばしてドアの取手に当てる。だけどドアは開かない。
「あの、カギでも掛かってるんですか?」
ボクが後ろから確認するのに対して、焦れた穣くんは遠慮がない。
「あれ? 開く。早く中に入ろうぜ。スリッパも用意してあるじゃん。二人分しかねぇな。どっかに予備は……。あった、ナユタ先輩のココに置いとく――」
『トリミング』を発動しちゃったかな? 京さんは、ドアの取手があった場所に手を当てたまま動かない。一方、穣くんは校内へ突き進む。
「こんな所に立っててもしょうがないですよ。入りましょう」
「ううぅ……」
促すと、京さんはやっと足を踏み出した。
「もうすぐ文化祭かあ。いいなぁ高校は。中学じゃ合唱コンクールくらいしかやんねえからな。今年はこっちに遊びに来っかな。ナユタ先輩の知り合い顔すれば、イワカンねぇんじゃね? でも、剣道部の先輩にあったら――」
穣くんは、校内に入って正面に立っていた。前には、美術部講師熊沢作の『神商祭』ポスターが掲示されている。足元にはスリッパが二足あるけれど、片方が揃っていない。揃っていない方が穣くんの置いた方に違いない。迷わずボクは、そちらを履く。
京さんを見た。ヒールの低いパンプスを脱いでいる。スリッパを履く。脱いだ方を揃え、靴箱に入れる。全ての動作がゆっくりだ。時間稼ぎですよね、それ。
「――運動部って、なんか出し物あんのか? やっぱり文化部だけだよな。あ、やっと来たのか姉ちゃん。じゃ、行こうか」
剣の達人か! 背を向けていたのに、穣くんは京さんが校内に入ったことに気付いて、右手に歩きだした。
「そっちだと遠回りになるよ。案内するからついてきて」
道案内を買って出るのは、在校生の義務だと思うボクなのだ。
こうして、ボクを先頭に、穣くん、京さんの三人は、ドラクエⅡの主人公たちのように一列になった。
「ちょっと待って」
京さんだ。
「私が真ん中になるから、穣が殿になって」
賛成も反対もない。もう、男二人の間にぐぐいっと入り込んでいる。小さなダンボールに入って落ち着きたがる猫のようだ。
「行ってもいいよ」
やっと出発できる。
照明が道標のように灯る廊下を、ぱたぱたと三人分の足音が鳴る。今まさに特別教室棟に入ろうってところで、穣くんが京さんに聞いた。
「そんなに付喪神が怖えのか?」
「!」「?」
ボクは剣の達人じゃないけれど、後ろの二人が立ち止まったことは分かる。
「こ、怖がってないから。付喪神なんて、ただの玩具の失敗作だよ」
「だから怖えんだろう? 幽霊や怪物みてえに非現実的なものじゃなくて、間違いなくいるってわかってっから。だって、人間同士でも、訳わかんねえことする奴はおっかねぇ――」
「付喪神だって、素は人間だけど。って、だから、怖がってないから」
何故だ。先頭を歩いていたボクの方が置いてけぼりをくらっている。
追いつきたくて振り返る。
「付喪神って、長く使われた道具に魂が宿って成る、妖怪みたいな化物のことですよね?」
それが、今回の件とどう関係するのだろう。
「――キセルだけになっ――えっ? 何いってんだよナユタ先輩。仕立て屋が移さないで、勝手に道具に魂がヤドるわけねえだろう。そんなのメーシンだよ、メーシン。俺の『猫目丸』なんか、女の人の――」
「道具に、魂を、移す?」
ボクは、うつむく京さんの頭頂をみてから、その腰のゲーム・スフィアに視線を移動し、また、京さんをみた。
「玩具ってね。イソウにアクセスするために、相当な処理能力が必要だから。魂の欠片を使って擬似的な生物に仕立てないと、能力が発揮できないんだ」
顔を上げた彼女は、ばつが悪そうに笑う。
「ドラえもんのひみつ道具みたいな、不思議アイテム程度にしか思っていませんでした」
どんどろろと太鼓の音が鳴る。禍々しいオーラが、渦を巻いて京さんのゲーム・スフィアと穣くんの竹刀袋から滲み出る。なんて、お化け映画のような幻が見えた。
「だから、仕立て屋は玩具製作をする時、依頼者から魂を少しだけ移すんだけど、稀に失敗しちゃうんだよね。で、失敗して魂を過剰に宿しちゃった道具が付喪神になるって訳」
「魂を削って、痛いとか苦しいとかは無いんですか?」
「うーん。痛みとかは無いんだけど、急に身体が軽くなって存在感が透けていくような、心細い気分になるかな」
忘れたい過去の記憶を追い払うように、京さんは横を向いて床を軽く蹴った。
「京さん……」
ゲーム・スフィアに取り付けられた『シンク・スフィア』という名の玩具。その中に彼女の魂が……。
「ナユタ先輩、いつまでも姉ちゃんの先送りサクセンに付き合ってると、夜が明けるぜ。付喪神がからむといっつもこうやって引っ張ろう引っ張ろうとすんだよ――」
京さんの陰から、穣くんがひょいと顔をだした。ばらされた当人は「ちっ」と舌打ちをする。
「え? じゃあ、今の、玩具には魂が入っている云々は嘘?」
「それは本当。だけど、普段から有るんだか無いんだかわかんない魂がちょっとくらい削られたって、ちっとも実感はなかったかな」
京さんは嘯く。何だったんだ、さっきまでの、魂を賭して玩具を作り、亡き父の仕事を受け継ぐ悲劇のヒロイン、的な言動は。女の人って怖いな。
気を取り直して歩みを再開し、独り、考える。
つまり、京さんと穣くんのやり取りから察するに、こういうことなのだろう。珠算部のAさんが遭遇した、そろばんを練習する詰め襟の男子生徒は付喪神なのだ。差し詰め名前をつけるとしたら『そろばんはじき』ってところかな。