26
一瞬でも気が抜ければ、そして足を滑らせたならば硬く長い階段を一番下まで転げ落ちる予感がありながらも、ジゼルは歩くことなく階段を駆け降り続けた。休息の足りない身体の重い疲労はとんでしまったように感じず、息だけは正常に苦しくなっていた。
長い階段を一度も足を止めることはなく降りきったときにはさすがに今にも膝がかくんと折れて座り込んでしまいそうになって、でも耐える。いつもは歩いて降りるから倍長い時間がかかっているだろうに、転びそうになるくらい急いで走り降りた今の方が長くかかった気がした。休んでいる暇はないと躊躇することなく判断。
前方には階段から引き続き灯りに照らされている開けた空間に白い服の塊。
神官がいる。
勝手に揺れそうになる身体を無視して逸る気持ちと胸を抱えてジゼルは走り寄る。
「……クラウスは?」
ジゼルが問い詰めたくて仕方がない人物がいないことに気がつくのは早かった。白い服の中、他の衣服を着ているはずのクラウスがいない。紛れているわけでもない。
神官たちに問いかけたのに彼らは何も言わず、ジゼルが来たことに戸惑った反応をしている。
「ジゼル、起きたのか」
眉を寄せジゼルが思わず神官をかき分けようとしたとき、彼らの奥からまた白色が出てきた。だが少しばかり神官たちとは形が異なる服。
誰よりも歳をとった外見をした、事実歳をとっている――神官長。
「神官長、どうしてここに」
「見届けにきたんじゃ」
「見届けに……とは一体何を」
神官長の登場に動きを止めたジゼルは前まで進み出てきた彼を見上げる。神官長は答えに迷うことは見えず言ったが主語のないそれにジゼルは聞き返すも神官長は、
「わしらが出来ることは為した。あとは待つだけじゃ」
「だから、何を」
ジゼルの望む答えをくれない。
けれど再びの意味の分からない答えに嫌な予感しかしなかった。
「……何を、したというのですか」
ジゼルが神官とともに来たときにはいなかった神官長。彼がここにいるのはなぜか。
彼も堕ちた神の様子を見にきたというのか。
「クラウスはどこにいるのですか」
「ジゼル、戻るのじゃ」
「中にいるのですか?」
神官がまだここにいる以上、クラウスが先に出た可能性がなぜだか浮かばない。
神官たちの背後にある石の扉は閉まっていて中は窺えない。
クラウスは中にいるのか。神官の数は揃っている。どうして彼一人が中に取り残されている。
「神官長、答えてください」
「ジゼル、詳しいことは後で話すから今は引いてくれんか」
「クラウスと会わせてくれたなら」
クラウスの顔を見なければ落ち着かない。
ジゼルは首を真横に振り食い下がるが神官長も首を同じ方向に振る。
「今は会うことは出来ん」
きっぱりと拒否されて、ジゼルは後ろにいる神官をすがるように見る。けれどいずれにも目を逸らされる。右を見ても左を見ても誰もジゼルと目を合わせようとしない。
神官長を見上げ直すとさっきと同じく首を振られる。
「中で、クラウスは何をしているの……?」
答えが返ってこなかった問いを呟いても、案の定何も返ってこない。
神官長は神官たちは黙する。
「……神官長、クラウスに何を、」
どれかだけでも教えて。
「クラウスは、何をしようとしているのですか」
クラウスは。
「何をするつもりで、何を考えていたのですか」
何を。
「ジゼル、しばし待つのじゃ」
答えは返ってこなかった。
待つ。無理だ。胸騒ぎが止まらず心臓が嫌な予感を煽るように打ち、不安が過り、きっとそれは当たっている。
クラウスがいないことに関係していることは間違いないのに、扉の向こうにいることが明らかなのに、扉の向こうには堕ちた神が封じられているのにどうして大人しく待つことなんてできる。
――「呪いを解こう」
そう言ったクラウスはどのような心当たりで言ったのか、問い詰めておくべきだったのだ。
「退いて」
拳を作り服を巻き込んで握りしめていたジゼルは静かに言い放った。戻れとここから引けと態度を取る彼らに言った。
もう聞かない。待たない。
問答の間だけでも待った。
すがる気持ちは消えていた。
「私は待たない」
確かめなければならない。否、クラウスをそこから出さなければ。
「ジゼル」
「退いて!」
ジゼルの叫びが響ききったときだった。
神官の背後に見える扉が動いた。開いたどころではない、触れていないのに一気に開ききり風が起こった。
まるで唯一その扉を開けることができるジゼルに呼応したかのようだった。
「な……っ」
「扉が……」
神官が恐れおののいた様子で背後を振り向き、後ずさった。神官長もまた開いた扉を見ていた。
その隙に扉が勝手に開いたことなど気に留めなかったジゼルだけは足を前に出して神官長の横を、神官たちの間を通り抜ける。彼らが気がつく前に、ジゼルはやっと神官たちの向こうへ扉が開け放たれた今遮るものなく露になった中を視界にいれた。
すぐにクラウスの姿を探す。囲むものが真っ白であるゆえに真っ白な世界から彼を探すことは容易なことだった。
クラウスは最奥に近い場所に立っていた。




