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「エルバート!」
走って来たいきおいのまま扉を開け放ち部屋の中に飛び込むとエルバートが机の側に立っており、顔をあげた。
「ジゼル、出てきたのか」
「ええさっき。それより」
「三日前、魔物が出たと情報が入った」
神官長とのんびり会話している場合ではなかったのだ。
ジゼルが神官長とは別れて着替えに部屋に戻ってこの部屋に一応来ようとしていたところだった。魔物が出たとの情報を耳にしてとりあえず服はドレスのままで飛んできた。
定期的に封じのために祈ってはいるもののやはり封じは完璧ではない。
「それで、どこから魔物は来たの? 私も今からいくわ」
「それには及ばない」
書架から長細く巻き取られたものの一つを引き抜き、エルバートが机の上に広げてみせた。描かれているのはこの国の全体の地図。
「魔物は西からきた」
エルバートの指が西の方面に滑り、軽く弧を描いた。その周辺に魔物が出た模様、人里は含まれていない、か。
しかし「それには及ばない」とは。ジゼルは先ほど言われたことに疑問を感じて地図から目をエルバートへ。
「もう討伐は終わったということなの?」
「そうだ」
「……手際がいいわね」
こういうこともあろうかと国のあちこちに各地の駐屯所に応じた数の兵がいる。しかしそれらは本隊となる隊が来るまでの時間稼ぎが主な目的に過ぎない場合がほとんどとなる。無理なことが目に見えているのに全滅させようとするのではなく、水際でどうにかせき止める形をとる。
従って現地の兵たちが対応し切れないとき駆けつける本隊を待つ時間が問題となるわけだが――本隊は国軍本部から出されるので都からの出発となるので「三日」で事が済んだことは手際がいいという感想だけで終わらない。
地図で見たところだと兵が特別多く配置されている駐屯地ではない。それにも関わらず対処しきれたとは魔物はそんなに少なかったのか、とジゼルは思ったが違った。エルバートが明かした事の理由に驚くことになる。
「それがクラウス・シモンズがその場に偶々居合わせてすべて切り伏せてしまったようだ」
「クラウスが、偶々……?」
その名にジゼルの頭の中に青い髪がよぎった。
当日顔を合わせたようにクラウス含め貴族が集まるお茶会があったのは五日前。都に集まった貴族の面々はまだ夜会などを個々人で催したりして都に戻っていないはずだ。シモンズ家も。
クラウスはなぜその地に――?
「さすがの腕だ。討伐隊が着いたときにはもう魔物は一体として動いてはおらず、人里にも被害はなかったと簡単な報告が届いた。運が良かった」
「……そう、ね」
人里に被害はなかったという事実にジゼルはひとまず安堵し力が抜けて、どうにかそれだけ返せた。
元よりいつも冷静に見えるエルバートだけれど取り立てて対応に終われている様子がなかったのはそういうこと。
それにしてもクラウス、またクラウスだ。彼はこの前も魔物討伐の場に……あれはエルバートが教えたのだと裏が取れていたか。
では今回は本当に運が良かった。クラウスがまた家出をしたのだとしても今回ばかりは感謝するしかない。
「三日前」ということは祈りの直前に魔物は出たことになる。タイミングがいいのか悪いのか。
祈りの直後であれば魔物はしばらくは出なかったはずだから――後悔が滲む。
――嗚呼、忌々しい
拳を作ってそれでは飽きたらずにジゼルはぎゅっとそれを握りしめる。
「そういうことだ。ジゼル、きみは休め。出てきたばかりなのだろう」
「……ええ」
「眠っていないだろう」
祈りは眠ってできるものではないから、そうなる。けれど眠気は感じていない。
「考え過ぎるのはよくない。終わったことだ」
「……将軍らしくないことばね」
「頭の切り換えは必要な立場なものでな」
役目を終えた地図を素早く巻き取るエルバートは表情をわずかたりとも変えずに言うものだから、ジゼルなんとも言えない気持ちになる。
終わったこと、確かにそうだ。
祈りに向かう前に魔物が出たと聞いていたとして、ジゼルはどうした? 魔物討伐に向かうよりもその先の魔物の増加を阻止するためにやはり予定通り地下に行っていただろう。それにより対処しきれる魔物の数になった可能性はある。
そんなふうに考えられたらいい。
「いいから休め」
「……分かった。そうさせてもらうわ」
エルバートの再度のことばに、ジゼルはなんとかそう応じた。
「それから」
「会議ね」
「そうだ。明日、きみも出席するようにと。あとで改めて伝令が行くはずだ」
「了解」
ジゼルは触れていた机から手を離して伏せていた顔を上げて、エルバートを見る。
「エルバート、大丈夫よ。いつものことじゃない。そうでしょ?」
「タイミングがタイミングだ」
「そうね。仕方ないわ、事実だもの。私のせいでこの国は魔物に襲われる」
ジゼルは作った微笑みを残して、退室した。