05
―――3X67年5月21日19時21分
「ねぇ、もう行ったんじゃない?」
「ああ、そうだろうな。もう出てもいいぞ」
もう追っ手はどこかに行ってしまったと推測し、イプスとボルツは瓦礫の中のパイプから這い出てきた。
二人は建物が崩れ始めた時、あえて崩れた瓦礫の中ので身を隠し、その場をやり過ごしたのだ。パイプの中なら、瓦礫に押しつぶされることはないという判断だった。
もしも運良く落ちてくる瓦礫をよけて外に出ることができたとしても、その後偶然敵に見つかってしまえば、また戦うことになって応援を呼ばれる可能性がある。それなら、一旦この場で隠れて、相手が諦めてから出て行った方が良いだろうという判断だ。
今回はそれが上手く行き、無事に街を出ることができた。途中で車の荷台に相乗りさせてもらい、ボルツの家があるフィボナッチまでたどり着いたころには夜もとっぷり暮れて、冷たい夜風が体を震えさせていた。
「ねぇ、ボルツ」
イプスが手を引いてきたので、ボルツはしゃがんで視線をイプスの位置まで下げる。
「ん? どうした?」
「わたし、お腹すいた」
「確かに、もう時間が時間だからな。なんか食べれる所でも探そうか。ここから近くて信頼できる所だと……あそこだな。あそこなら、ついでにもう一つの用事も済みそうだ」
ボルツにはアテがあるようで、迷いなく歩き始めた。
「ここだな。ここなら俺が子連れでも何も言わずに通してくれるし、口に入れる物に何か混ぜたりしないだろう」
その店の名前は看板に煌びやかなネオンで『LOVEスターデルタ』と記されていた。
「まぁ、いわゆるアレする店だが、心配スンナ。アレな事は全部別室でやるし、普通の食事だけってのもできる。それだけなら値段も安い」
「アレするって?」
「あ~、可愛い女の子と一緒にお話したり、楽しい事をしたりする店だ」
「じゃあ、わたしと一緒に楽しい事しようね! 自分で言うのもなんだけど、それなりに可愛いと思うよ?」
「お、おう。そうだな」
ボルツの曖昧な返事にイプスは両頬を膨らませたが、それを無視してボルツは店内に入る。
ボルツが入り口の扉を開けるとボーイが「いらっしゃいませ、ボルツ様」と、頭を下げて入店を歓迎した。
「今日は、2名様ですか?」
ボーイはそれ以上イプスについて何も言わない。
「ああ、エータを指名したいんだが、空いてるか?」
「あと10分後にステージでショーがありますので、それが終わった後なら大丈夫ですよ。それまではどうしましょうか?」
「ノードが居るなら、ノードで頼む」
「ノードなら今空いてますよ」
「じゃあ頼んだ」
「畏まりました」
ボーイはそう言うとノードと呼ばれる女性を呼んだ。
ノードは肩やへそが見えるほどに布の面積が少ない服を着ており、短いタイトスカートを履いていたが、表情としぐさから比較的落ち着いた振る舞いを感じ取れる女性だった。
とはいっても、露出している肩も両方金属の腕だ。
ノードにボルツとイプスは案内され、テーブルに着いた。
「ご注文はどうなさいますか?」
「そうだな。腹が減ったから晩飯にしたいんだが、イプス、お前は何が食べたい?」
そう言って、ボルツは注文票をイプスに手渡した。
「なんでも選んでいいの!?」
「ああ、もちろ――いや、馬鹿みたいに高いのはナシだぞ。このサーロインステーキはダメだ」
「大丈夫。わたし、お魚の方が好きなんだから。この、鯖の味噌煮にする」
「そうか、それじゃあ、それと主食が必要だから、これはパンよりもライスの方が良いのか?」
「当然よ。これを食べる時はライスを食べていたわ」
「ほぉ~、イプスは『向こう側』でそんな渋い食事してたのか」
「ううん。これはわたしじゃなくて、わたしに優しくしてくれたおじさんがよく食べてて、わたしはいつも決まった物を食べてたの。だからね、一度食べてみたかったんだ」
「へ~、そうか。食べたいものが食べれてよかったじゃネェか。じゃあ、俺はデミグラスハンバーグとフランスパンを頼む。ノードはどうする?」
「私はもう他の人に指名していただいた時に一緒食事を済ませましたので、飲み物だけ頂ければ」
「そうか。ジンジャーエールが好みだったかな?」
「はい。ありがとうございます」
「じゃあそれで」
ノードは注文内容をメモして、巡回しているボーイに渡した。
イプスは水の入ったグラスを口から離してボルツに話しかける。
「ねぇ、ボルツ」
「ん? どうした」
「パンはわかるんだけど、フランスって何? 調理方法?」
「いや、確か昔の場所の名前らしい。今はなんていうのか知らんが、『向こう側』のどこかということは確かだ。で、フランスパンっていうのは、元々そこで作られてたパンらしい」
「へぇ~。じゃあ、それを作ってた組織は大儲けだね」
「まぁ、今はこうやってこっちでも真似して作ってるからダメだろう」
「そっか、その組織から買わなくてもいいなら、お金が入ってこないね」
「そういうことだ」
「それとさ、『向こう側』って、もしかしてわたしが元々居たところの事?」
「ああ、そうだ。言われてみりゃ確かに、俺達と違う場所だから『向こう側』って呼ぶのはわかるけど、そこで住んでるやつがそう言うわけはないか。イプス、自分が居た場所をなんて言ってたんだ?」
「Y棟」
「え?」
「わたしはずっとY棟に居たんだけど、急に船に乗るように言われて、それでここに来たの」
ボルツはイプスの言葉から、おそらく生まれてこの方一つの建物から出たことが無いという異常性を理解した。それは他のこちらに売られてくる『向こう側』の人間から聞く『向こう側』のシステマティックではありながらも優雅な生活からはかけ離れていた。
もしも建物から一歩も出ずに暮らしていたとしたら、それはまるで奴隷ではないか。と思ったが、仕事で受けおった事に深く詮索する必要はない。ただ言われたことをこなすだけで謂いのだ。
ボルツはこれまでと同じ口調で「そりゃ大変だったなぁ」と、返答した。
そこでテーブルに料理が運ばれてきた。ノードがそれをボルツとイプスの前に置いてから時計を確認する。
「丁度これからショーが始まりますので、そちらと一緒にお食事を楽しんでください」
そう言い終わるのとほぼ同時に証明が少し暗くなり、ステージの幕が上がった。
ステージには6人の女性がギターやベースといった楽器を持って立っていた。
突然、畳みかけるようにスピーディーなビートをドラムが刻み始め、場内の客はステージに目を向けた。
すると、それを待っていたかのようにギターやキーボードがメロディーを作り始める。たっぷりと1分弱のイントロでこの音楽のBPM180の早いリズムと、力強い雰囲気を観客が把握したところで、中央で顔を伏せていたヴォーカルが顔を上げて声を発した。
その声は女性でありながら力強く、クリーンでハイトーンなボイスが空気を突き抜けるように鋭かった。
イプスを含めて、初めてそれを聞く客全員は目を丸くして驚いていたが、聞きなれているボルツは落ち着いてナイフで切ったハンバーグを口に運ぶ。
「相変わらず、食事中に合う音楽じゃねぇな。いや、そもそもこういう店に合ってないと言った方が正しいか。うるさいし、早いし、アップテンポすぎる。だがまぁ、いい曲だ」
「ボルツ、どの人がボルツの待ってる人なの?」
「真ん中で歌ってるヤツだ。エータっていう名前だ」
ヴォーカルの女性は短めの金髪が乱れるほどにエモーショナルを込めて、鋭い目つきで力強く歌い続けていた。四肢のフレームには美しい彫りが入れられていて、彫りの部分だけに色が入れられているため、華やかに目立つ。そして、短いホットパンツから覗く生身の部分の太股が男性の目をくぎ付けにした。
「ボルツは、エータが好きなの?」
「なんでそう思う?」
「だって、ボルツはよく知ってるみたいに言うし、エータの歌う曲と姿はカッコイイし」
「お前、その年でこの曲がカッコイイと思うのか?」
「うん、とっても力強いから」
「ハハハ、可愛い顔してメタラーの素質があるとは恐れ入った。こういうのが聞きたけりゃ、週末が空いてたらデカイ町に連れて行ってやるよ。きっと路上パフォーマンスをしてる奴らが居るはずだ」
「本当?」
「ああ。だが、これより良いのが聞けるとは限らないがな」
「そんなにエータって歌が上手いんだ」
「それもあるが、機材の金が違う。ここは結構値が張るようなサービスもやってるし、上がマフィアだからな。金があるんだよ。安物の機材じゃここまでいい音は出ない」
イプスはあまり理解してない様子で「へぇ~」と言うと食事と音楽に集中した。
演奏の始まりで驚いていた初見の客も2曲目に入るころには足でリズムを取り始め、常連のファンたちはステージの前に駆け寄ってリズムに合わせて拳を突き上げていた。
3曲目が終わるころには観客が一体となり、ステージから下がるのを惜しまれながらも彼女たちは幕を下ろした。
そして、ステージが終わって降りてきた女の子がテーブルの横を通ると観客は大喜びで話しかけ、一緒に酒を飲まないかと誘う。
バンドのメンバーはヴォーカルのエータを除いて、金払いのよさそうな男のテーブルに付き、エータは事前に話があると分かっていたボルツの所へ。
「おう、来たか。まぁ、まずは座れよ」
そう言ってボルツは自分の隣を叩くが、エータはイプスの方をチラリと見た後にボルツの正面に座った。
「用はなんだ? お前のような金払いの悪い男のテーブルに着くほど私は稼ぎの悪い女じゃないぞ」
その言葉を聞いてボルツは焦ってノードの方を見たが、ノードは眉ひとつ動かさずに、先ほどまでと同じ少し微笑んだ表情を維持している。
「あのなぁ、そういうことを他のヤツの前でも言ってるんじゃないだろうな? ノードはそういうことを言われても怒らないタイプだからいいかもしれないが、他はトラブルになるだろうが。ただでさえお前は特別扱いしてもらってるんだから、余計な事は辞めとけ」
「気遣ってくれるのは嬉しいが、私は嘘が言えない性格でな。そんなことより、早く本題に入ろう」
「わかったよ。じゃあとりあえず、個室に行かないか?」
「お前、その子を連れてきたから何か大事な報告があるのかと思えば……ただシて欲しいだけだったとはな。見損なったぞ」
勿論、ボルツはそういう目的で来たわけではないのだが、とにかく余計な事を言ってエータを怒らせ、話を拗らせてしまわないように、肯定。
「まぁ、とりあえず行こう。話はそれからだ」
「お前、分かってるのか? 今、私達は離婚しているんだぞ? 私は他の子たちと違って挿入禁止なのは分かっているんだろうな? それであのお前が満足できるのか?」
「んなことはどうでもいいんだよ。行くぞって言ってるだろ」
ボルツの真剣な眼差しを見て、やっとエータは意味を理解した。ここでは話せないことがあるということだ。
それすら察することができないほど感情的になっている自分が情けなく思えたエータは少しだけ視線を落として、小声でボルツに同意した。
「んじゃ、俺はエータと話があるから、イプスはしばらくここでノードに相手をしてもらっててくれ」
「うん、わかった」
イプスが同意したのを確認し、ボルツはエータを連れて店の奥の方に入って行った。
個室に入るとボルツはベットに腰かけてからエータに話しかける。
「お前、今日は落ち着きがなかったな。大丈夫か?」
「問題ない。ただ、あのお前が私と本番禁止で我慢できるのかと驚いていただけだ」
「まぁ、確かに俺は……じゃなくて、もうお前と結婚してた頃の話はいいだろう。ずいぶん前の事だ」
「まだ半年しかたってないだろ」
「そうだったか? まぁいい。今日はお前に頼みがあって来た。俺が一緒に連れてた子供を見ただろ」
「ああ、あの年齢的にどう見ても私とお前が結婚してる間に生まれた子供か」
「いやいや、あれは俺の子供じゃないから安心しろ。その時に二股してたとかじゃない。『向こう側』のやつらの任務で港で競り落としてから引き受けてるだけの子だ」
「本当か?」
「ああそうだ。だから、夜は安全性の高いお前の所で預かってくれないかと頼みに来たんだ」
「寝てる間、目を離すのも心配なほどに危険な仕事なのか?」
「念には念を入れてるだけだ。後を付けれてないか、数日は様子を見る必要がある。それに、俺の部屋には仕事用のパソコンもある。これからあの子をどうするかの指示も出てないから、知らせない方が良い事を見られてしまう可能性もある。それに――」
「興奮して我慢が効かなくなってしまうかもしれないか?」
「馬鹿が。ありゃ年齢的に若すぎる。ちょうど俺の・・・・・・いや、なんでもない。それで、預かってくれるのか?」
「いいだろう。報酬は要相談だ。それと、あの子を確保させた『向こう側』の目的は何だ? 普通に考えて、『向こう側』から来たものを確保して、もう一度向こう側に返すとかはおかしくないか? それなら船の中や、競りの段階でストップが入るだろう」
「さぁな。また観察の材料を投下して、俺達がどう動くのか研究してるのかもしれん。どちらにせよ、これからの指示しだいだな。今じゃ何もわからん」
「何か、ウィルスを持ってるわけじゃないだろうな?」
「あの子が、生物兵器だと? あんなに元気なのにありえねぇよ」
そう言いながらも、ボルツはイプスが『向こう側』で一つの建物に閉じ込められていたという情報から、何かの研究を行っていた可能性を感じた。
「ただの推測だが、もしものこともあるだろう。明日、生身専門の医者の所に連れて行ったらどうだ?」
「っていうと、ドクター・アヴィセントの所か。そうだな、ついでにオヤジの調子もうかがってくるよ」
ボルツが「オヤジ」と言う単語を発したとき、エータは少し悲しそうな顔をしてタバコに火をつけた。
「ねぇ、ボルツもノードもエータも、ここに居る人はみんな腕や足が機械なんだけど、なんでなの?」
イプスは素朴な疑問をノードに伝えた。
「そうね、単純な話じゃないから、少し長くなけど、いいかしら」
イプスはそれにコクンと頷いた。
「じゃあ、説明するわね。この大陸アトランティスはあなたが居た『向こう側』と呼ばれる所の囚人収容所兼実験施設扱いされていたんだけど、『向こう側』でサイボーグが流行り始めた時に、大量の実験が行われて、この大陸はサイボーグだらけになったのよ」
「でも、次に生まれてくる子供は手足も付いた普通の人なんでしょ?」
「そうよ。生まれてくる子は普通の人。だけど、サイボーグが増えることによって金と権力を得たのは、その機械の手足を修理したり、新しい物に取り換えたりする、修理業者と呼ばれる人達ね。その人達は大きな組織を作って、自分たちの金と権力を守ったの。そして、その人たちが雇ったなんでも屋が健全な手足の人を切って、その人が修理業者に通い続け、金を払い続けるようにしたのよ」
「へ~、じゃあみんな、誰かに手足を切られたんだ」
「そう言うわけじゃないんだけどね。相手に切られるのを待ってたら、どこまで切られるかわからないし、すぐに医者に行けなくて死んじゃう人も居る。だから、先に自分から病院に行って、麻酔をかけて、痛みを感じないうちに機械の手足に変える人がほとんどよ」
「そうなんだ。じゃあ、わたしも手足を機械にした方が良い?」
「う~ん、見た目が大人になるまでは、手足を切られることはまずないわよ。大人になるころに大抵の人が自分で手足を切ってくれるんだから、わざわざ誰かを雇ってまでやろうってならないみたいね」
「へ~そうなんだ。じゃあ、わたしもここに居たらいつかは手足を切らなくちゃいけないのかな?」
そこで、ボルツがエータを連れて奥の部屋から戻ってきた。
「手足は、切らなくてもいいんだ。俺のオヤジはじーさんになっても切ってないからな。まぁ、そんなやつは滅多にいないがな」
「へ~。それって、すごいの?」
「そりゃそうだ。他の奴らが手足を切れと脅して来ても屈しなかったわけだからな」
「じゃあさ、ボルツのお父さんに会える?」
「問題ないが。何で会いたい?」
「ただ、なんとなく。こっちで見た人はみんな機械の手足がついてたから、わたしと同じように、機械の手足を付けてない人に会ってみたい。それと、ボルツが私ぐらいの時にどんな風だったのか聞いてみたい」
「まぁ、それが聞けるかどうかはわからんが、丁度そこに用事もあるし、明日行くか?」
「うん!」
「そうか。それと、イプスはエータの所に泊まってくれ。俺は帰るから、もうすぐエータの仕事も終わりだし、その時に連れて帰ってもらってくれ」
「私、ボルツの所に行くんじゃないの? 服を作ってくれるんじゃなかったの?」
「ほら、服は昼間に作れる。というか、夜にエータの所に置いてもらうだけで、昼間は俺のところで問題ない」
「どうして夜はボルツのところで居ちゃいけないの? 部屋が狭いから?」
「ええとだな、男と女ってのは恋人同士と結婚してるやつ以外は一緒に泊まったりするのはよくないんだ。それぐらいはわかるだろう?」
イプスは少しだけ考え込んだが、答えが出るまでそれほど時間はかからなかった。
「ん~、そういうことなら、仕方ないね。わかった。でも、明日の朝は早く迎えに来てね。わたし、早起きして待ってるから」
少しイプスの口調に寂しさが混じるのを感じ取ったが、ボルツは任務の達成率を優先する必要がある。
「まかせろ。それじゃあ、良い子にして待ってるんだぞ」
そう言ってボルツは店を後にした。