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少年の些細なトラブル

作者: 木漏陽

男の子の成長エピソード第2弾です。『怖さ』とは何か、また、それに立ち向かうか?逃げるか?は、何が選ばせるのでしょうか?

「放せよ。」

俺はつかまれた左腕を振りほどこうとしたが、満員電車の中では身動きもおぼつかない。

俺の腕をつかんだままそいつは、険しい顔で睨みながらこう言った。

「お前、次の駅で降りろよ。」

なんということだ。厄介なことになった。


事の顛末はこうだ。

部活帰り、つり革に体重をあずけながら、俺は疲れで眠気とたたかっていた。

意識が途切れ、ヒザがガクッとなり、はっと我に返り体勢を立て直そうとした時、俺の左肘が隣に立っていたヤツに当たった。けっこう強めに入ってしまったらしい。

しかも、とっさに俺の口から出たのは…「ちっ」…舌打ちだった。

「痛ぇ!」

声のする左を向くと、学ラン姿の学生だった。俺の通う城下桜南高校は紺色のブレザー。この路線で学ランは県立の西高か、あるいは…とにかく違う高校のヤツだ。

「今舌打ちしただろ。」

「あ、いや、悪りぃ…」

「なんだその謝り方。」

そう言ってそいつは俺の腕をつかんだ。


こちらを睨む視線は一つではなかった。4〜5人の学ランが俺を見ている。

電車が駅に着くと、俺は腕をつかまれたままドアまで引っ張られていった。


こんなシチュエーションは慣れていない。と言うか初めてだ。ボコボコにされるのだろうか。痛い思いをするのは嫌だ。

学ラン連中は先にホームに降り、ドア口で俺は、ヒジを当ててしまったヤツに腕を引っ張られ降ろされようとしていた。


怖くなった俺はそいつのスネを左脚のつま先で蹴り、左脚を戻すと同時に右脚を相手のヒザの外側から打ち込んだ。

格闘技ができるわけではない。俺はサッカー部で、こういう『足グセ』は得意だ。インステップキックの要領。

相手は俺の腕を放し、よろけて後ずさった。

俺はそのまま車両の奥へ人をかき分けて逃げ込んだ。そのままドアは閉まり、電車は発車した。どうやら学ラン連中は誰も乗ってきていないようだ。


俺はホッとするよりも、不安が先立った。

顔を覚えられてしまっただろうか?

この制服は目立つ。一発で桜南高だと気付かれたはずだ。

この時間帯の電車はしばらく避けよう。

まさか学校まで来たりしないだろうな?

待ち伏せされたらどうする?

明日から一緒に帰ってくれる友達をあたろう…いや、部活が終わる時間が合わないか…

そうだ、部活の先輩に頼もう。確か吉岡先輩は帰る方向が同じはずだ。

巻き込むのはどうか、とも思うが、正直なところ怖くて仕方がなかった。

自分の足が震えていることに、今さらながら気付いた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「あつし、あんた何か暗いわね。学校で何かあった?」

夕食の席で母が、山のように積まれた鳥の唐揚げに箸を伸ばしながら、俺の表情を伺うように言った。


母は何でも見抜く。試験の結果、サッカーの試合の出来、友達とのトラブル、好きな女ができた時も気付かれた。


「ん、別に。」

俺はチラリと母の目を見て、すぐに視線をそらした。

母の目はいつもの優しさをたたえていた。今はその目が少しうっとおしく思う。


「疲れてんだろ、部活で。」

弟の芳輝よしきが口を挟んだ。

フォローのつもりか、俺の『他人の干渉を受けたくない』という気配を察したようなニュアンスを含んでいた。

俺にとってはその弟の物分かりの良さみたいなものもうっとおしかった。


母は何か言いたそうにしばらく俺を見つめ、

「ふうん。」

と言った後、味噌汁をずずっとすすり切ると、

「お父さん今日も遅いから、唐揚げ全部食べていいわよ。あんた達なら楽勝ね。」

と言い、自分の食器を重ねて持ち、食卓を離れた。


『あんた達なら楽勝ね』とは何とも引っ掛る物言いだ。食欲が普通なら、ということか。

母はお節介焼きで、そして圧倒的だ。

困ったこと、悩んでいること、全てを包み込み、「大した問題ではない」ことに落ちつけてしまう。

だが、いつまで子供扱いする気だろうか?

学校に行っていればいろいろあるのだ。それを全て報告する子供がどこにいる?

学費を出してくれればそれでいい。

俺は俺の意志で行動している。余計な指図は受けない。

でも…


電車での出来事がよみがえる。

俺をにらむ学ランの目、つかまれた腕の感触、相手を蹴った手応え…あいつ、スネはかなり痛かったはずだ。多分はれあがっているだろう。

母ならうまく回避する方法を思い付くのではないか?

怖い。話してみるか?

いや、いやいや…。

どこかで親に甘えようとしている自分、それが一番嫌だった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


紅河くれかわ!おい!集中しろよ!」

高田先輩の声が矢のように飛んでくる。いちいち厳しい人だ。

「…調子悪い日だってあるっつーの。」

俺は小声で毒づきながら、トラップし損ねたボールを追いかける。

ボールを蹴り戻し、シュート練習に戻りかけた時、リフティングしている吉岡先輩の姿が目に入った。


「吉岡先輩。」

声をかけると、吉岡先輩はリズミカルにリフティングを続けながら応えた。

「ん、ん、紅河、ん、なに?」

「電車、確か自分と同じでしたよね。」

「ん、ん、ん、と。」

吉岡先輩はリフティングを止め、俺に振り返り、

「電車?通学の?何で?」

と、不思議そうな表情をした。

「あ、いや、たまには部の話でもしながら、一緒に帰ったりとか…」

「お前が?オレと?何だよ急に。」

気まずい。予想はしていたが、かなり不自然だ。今まで一緒に帰ったことなど一度もないし、そもそも俺は…

「ミーティングでは寝てる、反省会では一言も発したことのない紅河が?部のハナシ?」

…そう、そういうキャラではない。俺はどちらかと言うと冷めていてテキトーなヤツなのだ。

「まぁ、お前、もともとサッカー上手いしな。目覚めてくれたなら良いことだけど、俺もそんな研究熱心じゃないよ。話すならせめてスタメン全員でミーティングだろ。」

「そ、そうっすよね。」


だめだ。『部の話』とか、不自然すぎた。

正直に言うか?どっかの学ラン高に狙われている、と…。

いや、バツが悪い。ダサすぎる。怖いから一緒に帰って、なんて…。


結局、いつも通り一人で帰るしかなかった。

俺は二本後の急行に乗り、ターミナル駅から各停で折り返して帰った。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


あれから一週間、電車で学ランは見かけるものの、ヤツに会うことはなかった。

そんなにビクビクすることもなかったか…そうだ、たかが満員電車でヒジがぶつかったくらいで復讐とか考えるだろうか?

ない。うん、ない。


部活を終え、俺はいつもの電車の、いつもの車両に乗ろうとホームへの階段を降りていった。

電車を待っていると、背中に何かが当たる衝撃を感じた。


「お前、城下桜南のサッカー部のやつだろ?」

振り返ると、ヤツがいた。例の学ランのあいつだ。学生カバンで俺の背中を叩いたのだ。

俺の胸の中に、ザラついた黒い靄のようなものが漂い出し、嫌な汗が額ににじみ出した。

ヤツは俺のブレザーをつかみ、

「お前、人を見くだしてんじゃねぇよ。二年でレギュラーだかなんだか知らないけど、馬鹿にするなよ。」

と、震える声を抑えるように言った。

むちゃくちゃ怒ってるじゃないか…と言うか、見下す?馬鹿にする?何言ってんだこいつ…何で俺がレギュラーとか知ってるんだ?

俺は、こいつが何人連れてきたのか、辺りを見回した。

だが、仲間らしき学ランは近くには見当たらない。もうすぐ来るのか?


「謝れよ!」

震える声に力が入った。手も震えている。鼻息が荒い。

とにかく謝ろう。俺が悪いのは確かだ。

「ごめん、いや、すみませんでした…」

俺は頭を下げつつ、謝った。


ヤツはつかんだブレザーを放すと、大きく息を吐いた。

その時やっと気付いた。彼は怒りで震えていたのではない。恐れで震えていたのだ。

そう、彼は俺のことを恐がっていたのだ。


「あ、えと、何で俺のことを…」

知っているのか、と聞こうとした時、それに被せるように、

「あ、謝って、謝って欲しかっただけだ!」

と言うと、彼はよたよたと離れて行った。

右足を少し引きずっている。俺がつま先で蹴ったスネ、やはり怪我をしているのだ。


何だこの後味の悪さは。


幾つかの疑問とともに、他人から見た自分が紅河淳くれかわあつしの頭を巡った。

仕返しをする気はなかったのか?

サッカー部でスタメンであることをなぜ知っている?

身長180cm、大抵の人に対し見おろす視線となる俺が、まともに謝りもせず、追い打ちのように蹴りを入れた…おまけに俺は無表情な方だ。ケンカ慣れした威圧的な人間に見えても致し方ない。

俺が通う城下桜南高はサッカーが強く、二年生でスタメンは異例のことだ。

「自身過剰なテング野郎に見えている、ってことか…。」

実際は臆病者で、『人生そこそこ、テキトーに』がモットーなんだけどな…。


そんな事を考えながら、下を向いて去って行く学ランの彼を見るでもなく見ていると、彼は誰かにぶつかり、何やらもめているようだった。

下なんか見て歩くからだ…まぁ、俺には関係ないが。


線路側へ向き直ろうとした時、学ランの彼が私服の男に髪をつかまれ、頭を揺さぶられているのが見えた。

なんだよ、おい、穏やかじゃないな…

仲間は?

本当に一人で俺を待ってたのか?


『謝って欲しかっただけだ!』

今しがたの彼の言葉が、その表情とともに頭をよぎる。

怖さを抱え、自分より背の高い、怪我を負わされた相手に、一人で…

「…謝れ!なんて、俺には怖くてできないなぁ。」


俺の足は自然と学ランの彼に向かっていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


学ランの彼は、30歳前後の男に絡まれていた。下品でくたびれたカジュアルな服装から、まともな職に就いているとは思えない。

どうやら男は、学ランの彼がぶつかった時に携帯電話を落とし、壊れたから弁償しろ、と言っているようだ。


「あの、ちょっと、髪抜けちゃうよ、放してあげてくださいよ。」

俺がそう声をかけると、男は、

「なんだてめぇ、こいつのダチか?」

と、学ランの彼の髪をつかんだまま言い、俺をにらんだ。

「ええと、ダチ、と言えば、そうかなぁ。」

「え?」

学ランの彼が意外そうな声をもらした。


「だったらお前が払え、5万。」

「まず、手、放して下さい。」

俺を数秒にらみつけると、男は髪をつかんでいた手を放した。

「ほら、出せ、5万。」

俺に手を差し出す男から視線をそらさないようにしながら、俺は学ランの彼にきいた。

「ねぇ『田中』くん、ほら、俺、携帯とか持ってないじゃん?そんなに高いものなの?」

自分でも不思議だ。少しも怖くない。

髪をつかまれるかも知れないし、いきなり殴られるかも知れない。だが、この学ランの彼と二人でいると思うと、怖くない。

怖さとは、痛みではないのだろう。多分、苦境を分かち合う仲間がいないこと…それが恐怖なのではないか。


『田中』が応えた。

「変更する機種によるよ。スマホの最新機種ならあるのかも、5万とか。」

「ふぅん。壊れた携帯、スマホってヤツなんですか?」

男に聞いたが、答えたのは『田中』だった。

「ガラケーだよ。キズだらけの…」

『田中』は男の左手を指差した。男はガラケーを握っている。

「どこが壊れたんですか?見せてもらえますか?」

俺は男を見据えたまま、再び聞いた。


「携帯持ってねぇヤツがごちゃごちゃうるせぇな、5万で許してやるって言ってんだよ!」

「5万で許す?かかったお金の分を弁償、じゃないんですか?」

「てめぇ!」

男が俺の胸ぐらをつかんだ時、男のポケットから着信音が鳴った。

男は「ちっ」と言い、俺のブレザーをつかんだまま、壊れたガラケーをポケットに押し込み、着信音の鳴っている携帯を取り出し、モニターを見てまた舌打ちすると、電話に出た。


「…はい、はい、もうすぐ着きますんで、はい…」

男が使っている携帯を『田中』が指差し、

「あれがスマホ。」

と言った。


男は電話を切ると、

「早く金出せ!時間がねぇ!」

と、つばを飛ばしながら叫んだ。

今度は『田中』が、こう持ちかけた。

「さっきも言ったように、僕は今持ち合わせが無いので払えません。携帯ショップに一緒に行きましょう。いくら掛かるか確認しましょう。」

「てんめぇえぇ…」

男は俺のブレザーを放し、また『田中』の髪をつかみそうになった。俺は、男と『田中』の間に身体を入れつつ、

「行きましょう、ショップ。」

と言って男の手を制した。

男は俺を突き飛ばすと、

「ああ!もう面倒くせぇ!」

と言って、ポケットのガラケーを取り出しホームに叩きつけると、改札口へ向かう階段を上がって行った。


『田中』は二つに割れたガラケーを拾うと、

「やっぱりな。simも電池パックも無い。これはもともと使えない携帯だよ。」

「どういうこと?」

「使えない携帯をわざと落として、ナンクセつけて金を巻き上げようとしていただけだ。」

「ふぅん。」

「お前、確かクレカワだっけ、本当に携帯持ってないのか?」

「うん。」

「マジかよ…今どき、それでよく生きていけるな…」

「つか、それより、何で俺の名前とか、部活とか、知ってるんだ?」

「桜南の二年レギュラー、クレカワアツシ。うちの学校でも有名人だよ。背が高くて、生意気そうで、すぐ蹴るヤツって言ったら簡単に調べがついた。」

「なまいき…すぐ蹴る…」

不本意なことはなはだしい。すぐ蹴るって何だ。ケンカなんかしたこともない…。

「うちのサッカー部に館山っていう二年がいて…」

「うわ、タテの知り合いか、『田中』くん!…タテのヤツ、なんという噂を…」

「『田中』じゃないよ。」

そう言って彼は定期券を取り出し、名前を見せた。

「イシバシくん?」

「ぷっ、やっぱり間違えた。よく見ろよ。」

「ん?ハシイシ?」

「『橋石』って書いて、キョウセキって読むんだ。ま、俺の名前なんか覚えなくてもいいけどな。」

「珍しい名字だな。」

「紅河ほどじゃないだろ。」

そう言うと、学ランの彼、橋石拓実きょうせきたくみは、「じゃあな。生意気野郎と同じ車両には乗りたくない。」と言い、俺から離れて行った。


俺は、少し右足をかばうように歩くあいつを見て、走り寄った。

「ちょっと待てよ。足、見せてみろよ。」

「いいよ、もう。」

「サッカーやってると、スネの打撲とか詳しくなるんだよ。」


橋石の右足のスネはシップが貼られていた。めくってみると、むらさき色に腫れている。

俺はふくらはぎ側を軽く押し、痛み方を聞いた。

骨には異常ないようで、俺は胸のつかえがまた一つ取れた気がした。


結局、俺と橋石は同じ車両に乗った。


一人で来たのか?学ラン軍団は?

軍団?なんだそれ。一人だ。

お前、すごいな。

何が。

なんとなく。

なんだそれ。


車内で交わした言葉は、それだけだった。



少年の些細なトラブル

【完】













『少年の静かな一歩』では明かされなかった少年の名は紅河淳くれかわあつし。今回、彼は「怖さとは何か?」を考えるに至りましたね。まだまだ正解には辿り着いていないようですが…。また、自分を客観視する場面も。他人に見えている自分が本当の自分、という気付きは、大きな成長と言えるのではないでしょうか。

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