2、小隊軍曹のささやかな悩み
エジリスタンの首都エドゥーラ近郊に駐留してこの一ヶ月、大日本帝国陸軍軍曹乃木誠一郎の任務は主任務である大隊本部周辺の警戒警備が半分、士官学校を出て間もない新品少尉の町屋小隊長のお守り役が半分といったところであった。
とはいえ、現在の戦況はもっぱら多国籍軍による部隊の増強配備と偵察活動が連日続いているばかりで、エジリスタンと多国籍軍が交戦状態に突入したというニュースは入っていなかった。
したがって忙しく動いているのは防空砲兵や通信担当の連中ばかりで、彼ら歩兵たちはさほどやる事がなかったのが現状だった。
一応、目視による上空警戒も彼らの任務ではあったが、乃木自身はそれほど熱心に部下たちに空と睨めっこをさせなかった。
現状における彼らの敵は音速で迫り来る敵機と巡航ミサイルとなる筈であり、したがって彼らの肉眼がそれを捉えた時には手遅れ以外の何物でもないからだ。
それに、ことエドゥーラ周辺に関するかぎり、乃木たちのいる現在地から半径20キロメートルほどの空域は完全に日本軍が制空権を掌握する鉄壁の防空体制が保たれていた。
差し迫った地上戦の脅威のない現状では、基地周辺の警備も内地における衛兵勤務とさほど違いはなかった。
従って乃木の任務は専ら、将校としてはよちよち歩きに等しい新米小隊長殿を、なんとか指揮官らしく振舞わせるのが主たるものとなっていた。
何しろ彼の上官たる町屋少尉は陸軍士官学校を出て一年も経たずして、この異郷の地への出征を余儀なくされていたのだ。その気負いと重圧は並大抵のものではなかった。
乃木との関係もさほど良好とは言えなかった。
新品少尉殿が不慣れで未熟なのは当然であり仕方ないとしても、それならそれで乃木や他の下士官連中の上申をうまく取り入れてくれればいいのだろうが、町屋少尉は陸士卒のプライドがあるせいか、意固地になって自分の意志を通そうとする事が多かった。結果、どうしても小隊の行動には無駄が多くなり、乃木はそのフォローに奔走させられていた。
今日も、警備の上下番に関して乃木と町屋少尉の間で意見の食い違いがあった。
決められた内規通りに全てを行なおうとする小隊長と、それを柔軟に解釈して(時にはそれを多少逸脱しても)要領よくこなす事を考えた乃木の相違は、ある意味で軍隊という組織における本音と建前の衝突といえたが、結局、最後に乃木が折れた事で軍配は町屋少尉に上がった。
真正面から上官の命令を否定して若い指揮官の面子と自尊心を損ねるのも面倒だったし、そもそも定められた内規や教範通りに動けという町屋少尉の命令は、理屈の上では間違ってはいない。
それが原因で、引継ぎや撤収その他諸々の事に遅れが生じた結果、部下の兵士たちや上番小隊にまで皺寄せが生じてしまった事については、町屋少尉が自分で気づき、判断するべき事だ。
願わくばそれが一日でも早まるように、と乃木は心から願う。引継ぎを終え、中隊本部に報告と関係書類の提出を終えた乃木は廊下でそっとため息をつく。