ザナン傭兵旅団
他サイトにも重複投稿中。
空が鈍く黄土色に煙る。その黄砂の荒陵を黒い列が征く。
日差しは主の怨敵でもあるかのように、皆一様に黒い外套を纏って全身を覆い隠し、ただ沈黙したまま黒の一団が黄砂と礫の荒陵を這い回る。
蠢く黒の数を数えれば、それはゆうに五千は下らない。彼方より眺めていた採石の村の者達はそれを魔物の影と喧伝し、村で一日騒ぎになるほど荒陵には異様な一団だった。
その一団が存在する理由を知るものは極限られた者だけで、多くの者はただその存在を不幸の象徴として遠望する。
ザナン傭兵旅団は、死兆の群れであると。
それが迫るに、都市城壁を守護する門番達は恐怖した。防火のために鉄板が貼られた大扉の下、直立して見据えていた兵士と何事かと詰め所から沸き出た士官級の兵士ら合わせて八人ではその薄暗い稜線から滲み出る黒い集団には敵うまいと。
それが近づくにつれ、兵士達の心持ちは穏やかならず、士官は大慌てで伝令を走らせる。
士官は送り出した伝令が帰ってくるまで身動き一つ取れず、ただ稜線から漏れ出てくる黒の多さに圧倒されていた。あの一団がもしこの国への侵攻ならばそれを止めるための兵がどれほど必要になるのか。そもあの一団はもしや、死兆の一団ではないのか。はたまた某国の兵団かと。
頭の中で巡る災厄に門前に残った七人を纏めることも忘れた。
長らくそうしていたと錯覚するほど、一団の一足を恐れ、王城からすぐに走って預かり帰ってきた伝令が辿り着いた事にも、しばし気がつかない程だった。
「きゃ、客人としてお通しせよとのお達しです」
「は?」
あの異様な一団を通せと言うのか。それは不敬ながら親愛なる王の言葉かと耳を疑った。いや、将軍による達しかも知れない。いや、それよりも下の士官か。あのうろんなる一団を招き入れる事が国是であるか?
信を置いた伝令の兵に、直ぐとまなこを向けてもう一度言葉が紡がれるのを待った。
「……客人として、お通しせよと。女王陛下よりのお達しでございます」
彼らはただ見据えたまま、その一団が門下まで辿り着くのを眺めていた。それ以外にすることはなく、それ以上にする事もない。ただ迫り来る一団を眺め、不吉が訪れるのを待った。一人一人の輪郭がはっきりとし、個人の武装や歳が見て取れるようになった頃、なにやら違和感を覚えた。
皆人づてに聞く様な死兆の一団の者とはほど遠く、朗らかで柔和な人柄に見える。近づいてこちらの視線が交わるなり、両の手を大きく振って己への注目を集めようとする者まで居る始末だった。
真に兵団であるならば不用意な行動は控えるはずであろうし、まして笑顔で門番にその存在を誇示するような愚行など犯さない。まして、それが年端も行かぬ子供の行いであればこそ、周りに居る大人達が制して当然である。
「おーい、こんにちはーっ」
「……」
面食らうには十二分である。声の主は明らかに子供で、死兆の一団と恐れられる者達の中から聞こえるのだ。それも一人二人の話ではなく、数十の子供達が一団の先頭で棒きれを振り回し、駆けずっていた。
「ザナン傭兵旅団だ」
「……見たところ荷も有るようだ。通行には税が――」
じゃれ合う子供達を制し、割って出てきたのはいかにも優男然とした、三十になろうかという年若い男だった。
「女王陛下より、免税の書状を賜っております」
三文芝居の道化のように恭しく取り出したのは正しく女王陛下よりの書状に違いなく、それも未来永劫この男の率いる一団には入城においては免税せよとの事である。
三十手前の、さして門番の長と年の差違もなさそうな男が幼子から老人までを率いる一団の長だと言う事らしい。この集団が本当に傭兵を生業としているのか知ったことではないが、幼子や老人を率いて「死兆」と呼ばれる所以が解らない。
「……確かに、女王陛下の名と印であると確認した。お通り頂いて構わない」
門番には不服であった。彼らのような女子供、老人まで連れ歩いた浮浪の者が傭兵団を名乗り、女王陛下の書状を持っているのだ。見目麗しき女王陛下には士官学校の卒業式典に遙か遠巻きから眺めた記憶だけで、以来拝謁など叶ったことはない。それなのに、この傭兵団の代表各位はおそらく後に謁見することとなるのだろう。
如何に傭兵のならず者集団とて、書状まで持っているというのだから、この一団の長並びに補佐なりの政治手腕たるや女王のお墨付きである。彼らがどう為してこれだけの傭兵集団に成り得たのか、そしてどうやって我らが女王陛下の書状を手に入れたのか、誰も知らない。
「面を上げよ」
豪奢にて絢爛たる謁見の間、清蒼に金糸の施しを受けた一枚の長い絨毯の上、薄汚れた黒の外套を纏う傭兵団の六人が陛下の面前にて非礼とならぬようにひざまずいていた。
宰相以下、その場に居合わせた官吏達には疑問があった。どうにも傭兵団の代表の面子は年齢に差があって、傭兵団の長と名乗ったダグマという男はどう見ても傭兵団の長に似つかわしくない優男で、以下に控える副団長も屈強とは言い難い痩せこけた農夫のような老年の男、ナーダ。薄ら笑いのような笑みを浮かべたキアンという二十ほどの青年がいれば、四十に届こうかという学者風のマクナヴィンという男も居て、宰相達が一様に驚いたのは暇そうに不機嫌面を隠さない十四、五のルグという少年の態度だった。
傭兵団の中で規則性というような物を探すのなら唯一、みすぼらしい黒い外套だけである。六人が六人とも薄汚れ、端々にすり切れた跡のある外套を纏い女王陛下の面前にひざまずいた。宰相以下、官吏達は皆それを不敬であると内心に留めていたが、女王は至って平然と彼らへの言葉を続けた。
「よくぞまた、我がハデアの地に帰ってきてくれた。心より歓迎しよう」
「我らのような、ならず者を歓迎してくださるとは恐れ入ります陛下」
これまでは誰の心にも茶番で、それよりは誰もが思い描かぬ言葉だった。
「ではダグマ。私の部屋に行こうか」
「陛下、何を仰いますか」
謁見の間に似付かわしくない簡素な玉座からすくと立ち上がった女王を、臣下の一人が制した。見れば身なりは良く、女王陛下の面前にて帯剣を許されているような男だった。
その男はいかにも武人としての面前を保とうとしているが、そのたるんだ腹は武芸に勤しむよりは政治の為に重きを置いたようである。
柔和な笑みをたたえ人畜無害のような立ち居振る舞いをしてはいるが、立ち上がった女王の目の前に居るのは傭兵団の長である。無手とは言え、柄尻が腹の肉に埋まるような騎士様には負け得ないだろう。
「私の旧知だ」
余人に口を挟む余地など与えはしない。立ち上がり一瞥もくれずに「腹」の横を抜け、ダグマと共に部屋へと向かう。四十を超えて未だ独り身で、浮いた話のない女王陛下に「旧知とやらの男」が付き従って私室へ向かうのだから「政治」に身を置いてきた宰相達からしては気が気ではない。
それでも謁見の間で腹の探り合いが行われなかったのは、五人もの客人が残されていたからだろう。
ダグマを先に部屋へ入れ、女王が扉を閉めた。鍵をかけ、扉に耳を当てて廊下に誰か居ないかと四十をも過ぎた女王が真剣な顔で行っている事にダグマは笑いを堪えられなくなった。
「――っ。ふふ」
「……」
眉間に皺を寄せ、不機嫌顔でダグマへ歩み寄りそして、両の手で彼を抱きしめた。
「笑わないでくださいまし、兄様」
「おや、おいぃたんでは?」
「~~っ」
眉間に皺を寄せ、目尻に玉の涙を浮かべて肩を振るわせている。四十も超えて役職は一国の長である女王という立場にありながら、少女のような、ただの子供のような振る舞いにダグマは声を上げて笑った。
「長らく、お世話になりました」
うやうやしく一礼の後、顔を向け玉座に座している女王へと視線を交わす。
傭兵団がハデアの王都に駐留したのは僅か三日間だけだった。傭兵団が所持できるだけの補給を行い、疲弊した軍馬の休息や交換、補充を済ませ、傭兵団の各々の短い余暇を過ごした後、誰一人欠けることなく約五千もの人員が傭兵団として王都を去った。
子供もいれば老人もが傭兵団の人員だという。世間一般で言う傭兵団ならば屈強な戦士達のみで構成されているのだろうが、まるで町一つがそのまま移動しているような兵団であり、実際に戦闘に参加できるのは半数居るのかどうかであろうと、門番は見積もりつつ列を見送った。
聞けば傭兵団が向かうのは隣国で起こる魔物との戦闘に参加するとかで、非戦闘員である者はこの王都に残して行けばよいものを誰一人残らず残さず、全員でその戦闘地域へと向かっていった。
吹き付けるのは南東、煤色の風。
「多いですね」
「そうでもない」
地平の稜線に黒い集団を見る。死兆と呼ばれる傭兵団の眼下には足の短い草原と、その向こうから現れた四つ足の黒い魔物の群れ。
傭兵団の後ろには木柵で囲われた小さな村と派遣された少数の正規軍兵士団。近隣の村々を襲う魔物との戦いを小国より依頼され、とある小さな村の草原地帯にて迎撃、殲滅せよと言うのが内容である。
軍兵士の人数はすぐに数え終わるほどしか頭数が無く、全ての魔物を傭兵団に押しつけた依頼内容だった。五千もの頭数を擁する傭兵団ではあるが、その数六百の魔物の軍団を相手するには、これでも人の子であれば数は足りないのが常識である。
やる気のないどころか、数の多さに既に負け戦を覚悟した正規軍兵士の長である派遣された士官はため息を漏らす。それに対し、なんの事無く「そうでもない」と言い切った傭兵団の長、ダグマの締まりのない笑顔により一層の不安を覚えていた。
賢王アルレウスと呼ばれ、即位五十年を過ぎて久しい老王の采配に一抹の不安を覚えてしまうが賢王たるアルレウス翁の指揮に一度たりとも誤謬など無い。
傭兵団が死兆と呼ばれる所以を誰もが知らず、ただ五千もの頭数の後ろに正規軍兵士が六十、隠れるという状況である。
傭兵団五千もの頭数で、六十の軍兵士。それに対して六百もの四つ足の魔物を相手にして貰う報酬は小国の涙ほどである。これに対する「そうでもない」などという言葉は皮肉以外のなにものでもない。傭兵団の陣形もおおよその振り分けに終始していて、戦闘のための陣形などとは到底思えなかった。
「……一つ聞きたいのだが」
「なんでしょうか」
「どうして陣形に女子供問わず、老若を問わず並べている」
中央に五百の歩兵隊を二隊。両翼に五百の騎兵隊、五百の軽装歩兵隊をそれぞれ一隊ずつ。右翼後方に法術大隊一つ、中央二隊後ろにも法術隊を一つ。牽制と魔物の誘導のために五百の遊撃隊が一つ魔物の近くで移動しており、さらに中央の法術隊の後ろに女性と子供の多い輸送隊のようなものがある。
おおよそ五百ずつに分けて大隊運用しようという意図は見て取れはするものの、そこに属しているのは明らかに老若男女入り乱れており、隊列を組もうという意思はない様に見えた。
「全員戦うからだ」
「馬鹿な、女子供があの魔物共と戦えるはずがない。今すぐに村の中に――」
「問題ない」
先ほどまでの飄々としたつかみ所のない優男然とした態度から無機質な彫刻のような顔つきになった。死兆とは、その男のように死に対して何の臆面もなくなった人間の集まりの事であろうか。
「伝令、やはりオサモチの群れだ」
「そうか」
「何だそれは」
高台に陣取るダグマと士官の下に老爺が走り寄ってきた。年の頃は士官の祖父に近しく、六十の位であろうに、伝令と言って駆け寄るのだ。傭兵団が長期間歩いて足腰が壮健なのはなんとなしに理解できるが、六十も超えた老爺が伝令として走ってきたのには驚いた。
「長持ち。長老を頂点に魔物が群れをなして人家を襲う。その群れをそう呼んでいる」
「何故そんなことを」
「森や草原で僅かな糧食を得るよりも、人が作り貯め込んだ食料を奪う方が効率が良い。そう考えた魔物が出て、魔物単体では勝てないと悟った賢しい魔物が時に群れを作って村や町を襲う。その賢い群れが長持ちだ」
地平の縁からのろのろと滲み出てきたような黒の歩みは四つ足の魔物にしてはあまりにも遅い。未だ草原の向こうに見渡すことの出来る魔物の一団は傭兵団と違い、完璧に突撃陣形を組んだまま歩みを進めているようだった。
老若男女入り乱れ、更に陣形の意味を成していないただ人を集めただけの死兆の傭兵団。
対するは畜生の身でありながら、賢しき長を持つ四つ足の魔軍。
正規軍士官は、己が身の哀れを嘆く様、天を仰いだ。
「村には近づけるな。全隊突撃」
「ばかな」
魔物の軍勢の中、ただの四つ足の魔物よりも二回りは大きい二つ足が居た。元は四つ足なのだろうが、前傾姿勢のままおぼつかない足取りで二つ足で歩いている。
イノシシのようでありながら、毛足の長さは気色の悪いくらいに長い。あの毛を束ねて縄に出来るのではないかと言うほどには毛足の長い四つ足の魔物達が、二つ足の長の周りに布陣しながら近づいてきた。
その容姿を鮮明に捕らえること出来る距離。物見に来ただけなどと言うことはないだろう。村への道をひた歩く二つ足の長に、道など無用と迫り来る四つ足。それが草原の中腹にさしかかった頃合い、傭兵団の長は何の計画も無しに、全員に突撃の命を下した。
無謀である。傭兵団の長も高台から飛び降りて駆けだして行き、一人残された士官は頭を抱え、ただ眼前の無謀に恐怖していた。
中央の歩兵より、両翼の騎兵隊の方が早い。魔物の一団に最も早く接敵し、馬上から槍や剣を振い、馬上弓を用いて一撃離脱を繰り返す。騎馬兵は馬の扱いも上手く、誰一人として四つ足の魔物から反撃を受けず魔物の陣形を側面から崩そうと攻撃を続ける。
しかし魔物の長い毛足は浅い斬撃や刺突を阻み、射角の悪い矢は折れて流されていた。
騎馬兵の急襲を受け、魔物の陣が変容する。一体を囮に、三体が回り込むと言う人間には取り得無い対騎馬陣形を用いはじめ、百は居たであろう騎馬兵の数が明らかに減った。
「――」
何を持って突撃に機ありと見たのか、高台に残された士官には解らない。ただのおごりや慢心ならば笑ってやろう。だが突撃には補給や物資輸送の隊と思しき女子供までかり出されていた。それはもう無謀であり、ただの被虐嗜好でしかない。小さな村一つ、守れやしない程の少数兵を預かる者として、その愚行を断じて許すことは出来ない。
だからと言って、奴らを助けるために部下の命を費やすわけにはゆかない。
見るも無惨である。騎馬兵隊は総崩れだった。騎馬兵隊に付随した軽装歩兵隊も次々と煤色の惨禍に呑まれた。子供の胴体ほどある筋肉の塊のような足が地面か何か不確かなものを踏みならし、崩れぬ陣を誇るように迫り来る。
右翼後方に構えていた法術隊が炎や雷を浴びせかけているが、表面の体毛を焼き焦がしただけで魔物の歩みを止めるに至らない。
じわじわと陣を下げて法術で牽制してみるものの、魔物の一団は歩みを止めない。
騎兵と軽装歩兵にて幾分か数は減らしたものの、未だ五百よりは多い。
高台から眺め、士官は気がついた。魔物の群れにも思惑があるのだと。陣形外縁、最も攻撃を受けやすい場所には体の大きな魔物が陣取って、円の内径には小振りな魔物が二つ足の周りを固めている。傭兵団の攻撃により倒れた魔物は見るからに老齢で、内に居場所を取るのは若い個体だろう。それは女子供かも知れない。
魔物も生きているのだと知ってはいるが、こうも人間のように慈愛や犠牲の意味などを理解しているような陣を取っていると躊躇いも生まれよう。
だが、躊躇わない畜生も眼下の地獄にいる様で。
「……」
萌葱の色をにじり、重装の歩みを続ける。中央前衛、傭兵団の本隊。傭兵団外の者は知らないが元は団長の親衛部隊である。それが中衛を務め、元の任務である親衛など今や形骸と化している。
その傭兵団の核心が、魔物の陣の先端に触れた。
「――」
踏進である。
傭兵団の本隊と思しき重装兵が軽々と刎ねた。猛進する魔物の群れがそこにある異物を飲み込むように、ただただ前進した。人一人の重量がまるで小石だとでも言わんばかりに鎧姿の破片が宙を舞う。避けた重装歩兵には四つ足の獣が噛みついて、葡萄の房をもぎ取るように断裂し、炸裂した。
地獄とは畜生の餌場だろうか。人の身が裂け、阿鼻叫喚の声が上がる。女も子供もない。
陣容のほぼ全てが魔物の一団にすり潰されている。
死兆と呼ばれたのは何だったのか、萌葱の草花が黒く濁り、人では無い何かの啼き声まで聞こえる。眼下に広がるのは兆しを超えた、ただの死だった。
踏進である。
耳に聞こえるのは鉄の削げる音、肉の割れる音。骨の軋む音。
「生きてるか」
「残念な事に」
胸部より下。腹以下を失ったソレが、頭部だけのソレに向けて言った。そして、頭部だけのソレは何でもないように、ただ残念だと言う。
「軽口が言えるなら上等だ」
「こうなったら、死んでも死にきれないからな」
生きているかと問いかけた胸部より上しか無いナーダは眉を上げて笑い、頭だけのキアンは笑いながらそこらを転がった。
黒い血が首へ這い向かい、行方知れずになった胴を引き寄せる。次には首と胴が繋がって、方々へ散っていった四肢がまた這うように帰ってくる。右手には馬上弓、左手には握りしめたままの折れた矢を。倒れた馬は起き上がることはなかったが、人の形を戻したキアンは続ける。
「さて、ここからなら後ろを取れる」
右手に投石用の革紐を持った頭付き胴体、ナーダが両手で這い寄って下半身をその身に寄せていう。
「おい、腹の肉が足りない。探してくれ」
「放っておけば帰ってくるだろう」
「子供らと早く合流してやらんと」
「そういう農民根性は五百年経っても抜けきらねぇな」
「そう言うおめぇも四百年して、いまだに人肌恋しいだろう」
年老いた元農民ナーダが人の形を戻した時、元街の軟派男キアンが手を差し伸べて引き起こした。
「止めだ。虚しくなる」
「ちげぇねぇ」
落馬して馬に逃げられた後、一度踏み殺された二人は武器を手に魔物の群れを追いかけた。
「ナンダ、オマエタチハ。ニンゲンカ」
ダグマは失った顔面の半分を取り戻す間、子供達の悲鳴や激痛に喚き散らす半身の無い「仲間」達の声に混じって、辛うじて人の言葉のような物を魔物の中から拾った。
二つ足。それがどう覚え、どう発声しているのか言葉を紡いでいたらしい。
「そう、元人間だ」
四つ足の背に突き刺した大切な剣と、もげた右腕を死んだ魔物から取り返しつつ、二つ足に向けて言葉を放つ。
「オマエ。シナナイノカ」
「死なないのではなく、死ねないだけだ」
魔物の長の混乱は、魔物の群れの中に十分に波及した。指揮に乱れがあったという訳でもなく、ただ二つ足の動揺が周りの魔物に波及し、陣形を乱し、仲間の魔物同士体を当てて退路を見失いはじめている。
「ナゼダ、アリエナイ」
「お前に人の言葉が喋れるのだから、死なないくらい不思議なことでもないだろう」
二つ足の黒い瞳に何かが映った。イノシシのようで居て、それから外れた「魔物」の形が何かに囚われる光景が、黒い瞳に映った。
「アガ、ハブフハブフッ」
おかしな鼻の鳴らし方をして、退却でも知らせたらしい。
しかし傭兵団の受けた依頼は迎撃、殲滅である。もちろん逃すなどと言うことはない。
「フガッ、フガッ」
先ほどまで圧倒的優勢に思えた状況が突如として、天地を取り違えたように覆ったのだ。
ただのか弱い女子供はその身を潰しながら絶叫し、魔物の足下に、顔面に取りすがる。挽き潰しても死なず、肉と血を啜り戻すように眼前に何度も現れ、奇声を発しながら激痛に耐えるような顔で掴みかかってくる様は、人の子でなくても十二分に恐怖を覚え、魔物であってもその不可解な恐怖に打ち克つことは不可能であった。
重装の鎧が人の形を為し、剣や槍を思うに振りかざして死を蹂躙する。女子供は戦の邪魔でもなく、直接的な戦闘にも参加はしない。
四つ足も、長たる賢しき二つ足も、終ぞ抗うに値しない。
ザナン傭兵旅団はただ死に追い縋る為に、全ての者が死地に旅をする。
ザナンは、人の名前だった。
ただ一人、始まりの不死にして元凶。
羨慕と暴虐の果てに得た、禁じられた法術。人の身でありながら、この世全てを恨むために、哀れむために、悦ぶために、愛するために生まれた秘術。
ただ平凡な、小さな想いから生まれた法術であり、成り得ぬはずの秘術だった。
『願望の成就に忸怩、後悔を伴うならば身に余る不幸を求む』
死に仰せたザナンの呪詛にも似た寵愛を受けた者は、ザナンの法術の寄る辺に不死となる。
その寵愛と懲罰を一人の王子が受けたのはたった三十年前の事。
「アナ。走ってはいけないよ」
「おいぃたん…… おぃ、おいぃたん?」
純白ドレスを着ているのに、袖口を噛むのでよだれで濡れている。家臣達はそれを蔑むような目で睨むことを隠しもしない。城内のどこに居ようとも、彼女は常に蔑みと憐憫の対象で彼以外、誰一人として彼女の立ち居振る舞いを正してやろうともしない。
その娘は年の離れた妹ではあるが、継母の連れ子だった。
王子である嫡男が三十の手前になろうというのに、六十も超えた王が二十も半ばの女を娶ったのである。その女は元は娼婦で、誰の子かも解らぬ金糸の様な髪を持つ娘を連れて王城に入った。
王はいまだ年若い后に溺れ、また年若い后は富と権力に耽る。
娘は妾腹であると王はうそぶき、王城に住まわせてはいるがその実一切の血縁が無いことを良いことに、幼い娘に加虐を持って背徳の悦にいる狂人だった。
王子は長らく王の暴虐を知らず三十という歳の節目、嬉々として加虐を尽くす悦びをあろうことか息子である王子へ勧めてきた事で知った。
その虚ろ。その汚濁。瞳に映るのは恐怖と請願。
王城の中にはこれを知る者が居たはずで、それを蔑みと憐憫の目の中に見ていたと知った時、王子の中には小さな、とても小さな後悔が生まれた。
明くる日には平然と、何食わぬ顔で誰も彼もが己に向けて笑顔でいうのだろう。
『おはようございます、殿下』
彼の上には畜生が居るのだと、王子である身分、上には父である畜生が居る。
顔色を伺って、時には行いに顔を背ける畜生が我が下に連なっている。
そう思うに、小さな後悔は泥沼に沈み、引き上げる頃には薄汚れて抱えられない物になっていた。
後悔から薄汚れた物を削ぎ落として内から矜持を助け出さねばなるまい。
我がハデアの未来のために、汚濁は濯がねばならない。
父と継母、アナが三者共に裸体を晒して父の寝室に横たわっている。
血みどろで、三者だれもの意識はない。アナは、アナだけには幸福の夢を願おう。
手には我がハデアの宝剣を握りしめ、薄汚れたハデアの威光を我が手に取り戻さねばなるまい。汚い、汚い。
宝剣に付いた薄汚れた血を洗わなければならない。悲鳴を聞きつけてやってきた侍女たちの紺色のドレスに切っ先を這わせ、拭い去ろう。
嗚呼、まだ薄汚れている。衛兵騎士甲冑の隙間を縫って穿ち、城内で同じように暴虐を尽くして居残った官吏共を濯ごう。脂にて切っ先を染め、濯ぐ血の色を変えよう。黒く薄汚れた血を濯いで、赤く輝かしいハデアの色に染めなければならぬ。
臣民よ聞け。今日、ここに暴虐が終わった。
我がハデアの臣民よ聞け、ここに誓おう。
深紅の薔薇のハデアを、ここに誓おう。
気がついた時には森にいて、薄汚れた赤黒い布を、どこからか手に入れた食卓敷を国旗に染めて握りしめていた。醒めてからすぐに汚れていると思ったのは血で、腰に提げた剣を引き抜いてみれば脂と血の塊を付けたままだった。
近場の小川で剣を洗い流し、帰途についたものの我に返った衝撃よりも、城内の凄惨さに動揺した。物にあたることもなく、正確無比に通りがかった者全てを切り伏せ、全員の布地で剣を拭っていた。
彼がハデアの深紅はザナンの汚れ血である事を知ったのは、後の事。
「ダグマ」
魔物との戦闘はザナン傭兵団の完勝に終わる。一人として『死なず』失ったものと言えば折れて使い物にならなくなった弓矢、剣、槍。破砕されて直らない鎧などである。しかしそんなものは消耗品に過ぎず、傭兵団の運んでいた積み荷全ては消耗品である装備と軍馬の飼い葉を大量に積んでいるに過ぎない。
死なないのだから普通の兵団のように兵糧を考える必要はない。飲まずとも食わずとも死なず、流行の病とも無縁である。だがザナンの法術には終わりも存在する。
「ルグか」
「そう、あとブリジットも」
しかめっ面で眉間に皺を寄せた少年が、槍を携えたまま傭兵団長へと声を掛けた。
現在傭兵団の長とはいえ、ダグマは最近傭兵団に迎えられた新参者に過ぎない。以前の傭兵団の長がダグマを指名し、ただ言われるがままに継いだ。それには政治の出来る者であるという明確な理由があるのだが、ザナンの法術の前には兵団の長など意味を成さない。
「故郷に帰るのか」
「もう村はないけどな」
眉間に皺を寄せたしかめっ面が見る間に不愉快の色を濃くしてゆく。そんな彼の後ろから血まみれのドレスを着た少女が、ルグの肩に手を置いた。
二人の背丈はあまりかわらず、法術に囚われた歳の頃はルグが十四で、少女の、ブリジットの歳は十六頃だったという。同郷の二人が、この「贖い」を最後に傭兵団を抜けるというのだ。
「どれくらいここに居たんだ」
「知らない。覚えてないよ」
「七百年くらいよ」
傭兵団の内、殆どの人間が数百と余年を過ごしてきた者ばかりであり、三十余年のダグマには途方もない「贖い」たる献身をこの傭兵団に尽くしている。
そして「贖い」を終えた者はこの傭兵団を去り、ザナンの法術から解き放たれる。その解放は必ず「罪の場所」で行われ、偵察遊撃隊の長を務めたルグと物資輸送、調達を受け持ったブリジットがこの度、ザナンの法術より解放されると啓示を受けた。
「辛かったか」
「人並みにな」
「最初の何年かは泣いてた癖に」
「うるっせっ」
ダグマから故郷へ帰るための路銀を奪うように受取り、ルグは地を鳴らして歩いて行く。それをくすくす笑いながらダグマへ『短い』間だったが世話になったとブリジットは姉を気取ってか、謝意を伝えてルグの後を小走りで追っていった。
ダグマは彼らの村がどうして無くなったのかは知らないが、ザナンなどに見初められなければ、ありのままに生きていれば夫婦として人並みの人生を終えられたのだろう。
ザナン傭兵旅団はここより北へ向かう。ルグとブリジットは故郷の有った場所をめざし、東へと旅をするらしい。不死であるザナン傭兵旅団において、離別とは旅の中にある。
「旅をする蝶を知っているか」
傭兵団が去って後、愁いを帯びた女王が政の会議の場で何の気なしに問いかけた戯れに、その場に居合わせた皆が狼狽した。ただ一人、国内で最も博識なる学者が手を挙げ、問いに答えた。
「はい、陛下。南北へと一年の間に移動する蝶がおります。暖かさを求めたものとの推察されており、他にも食性に合う草花を求めた移動だという推察がございます」
そんなことは知っているとばかりに何の反応も示さず、女王は言葉を紡いだ。
「寒かろうとも一所で年を越える蝶もあれば、そんな蝶が居るのだから同じように食うに困らぬ方法もあるだろう」
「は、はあ」
女王が戯れに皆へ話かけるのは珍しく、その会話の内容の意図など誰にも量れなかった。
「旅する蝶は一年同じものが移動する訳もなく、群れの中で代を経て一年の内に旅を続ける。人の身でもひととせに南北へ旅をするのは酷だ。それを遙かに小さい蝶が、人よりも儚い羽虫が旅を続けるのだ。何代も何代も、休み止まる木を、草を見つけ旅を続ける」
女王の様子が変ったのはあのザナン傭兵旅団を見送ってからだ。誰もがあのダグマだとか言う男のおかげで、賢しき女王が乱心されたと内々に苛立ちを覚えていた。
「その蝶達は死んだ仲間や家族のために旅をしているのだ。皆誰かの死した場所へ弔いに舞い、寄り添うために所により羽を休める」
何を吹聴されたのか知らないが陛下の乱心は極まったらしく、誰しもが世迷い言を聞いているのだと思った。
「陛下畏れながら申し上げますが、虫如きに哀悼の念があるとは思えませぬ。虫などにお心を砕かれるのには実に慈悲深いと感服致しますが、今は臣民の為に――」
柔和な笑みをたたえ、臣民のためと曰うものの、女王の憂いを帯びた瞳に映るのは平民の女よりも胸のある男の、たるんだ肉だった。
「真に臣民を思うならば、心から願うならば。行く末まで彼らの幸を祈れ。祈りとは献身だ。お前達の様にまつりごとだと嘯いて、その身に蓄えることではない。常、死と隣り合わせに生き、死を間近に感じ、死を過度に恐れず献身たれ。我々は生まれ変わる事を学ばなければならない」
旅の果てなど無い。一生など単なる旅の中途に過ぎず、継がれてゆく全てこそ旅人たる資格を有する。
「旅をする蝶は常に生まれ変わる。代を経て、先達の見た世界を知って、新しい命を継ぐために。今こそ育てる事を覚えよ。世界の普遍を知れ、そして持てる全てを新しい命へと継げ。私が幼い頃、私の愛しい人が教えてくれた言葉だ」
煌びやかな空だった。見るもの全てが目新しく、これほど美しい世界があるのかと。少女は幼心に感動した。
その空は、清々しい蒼穹を描いていた。
花壇には土塊が出ないように焼き土を段組した囲いが施され、植えられた花々は隣り合う物と同じ色にならぬよう気を遣って植えられている。それを感心して見るようなものはここには住んでいない様で、彼女の感銘に注釈をくれる人間など居ないものだと思っていた。
ある日、少女の母が突然、新しい『お父さん』の下に行くと言い出した。幼心にお金がないのだから、新しい父など「買えるはずがない」と思っていた。母は金で一夜を買われる人間で、お金さえ続けば家には『お父さん』と呼ぶべき人間が居た。代わる代わる何人か居たお父さんの顔など覚えていないけれど、少女にとって必ず『お父さんと』いうのは家に「買ってくる」もので、自分たちが『お父さん』に買われるものだった事はない。いつもお母さんが稼いだお金で食べたり飲んだりするのが彼女にとっての『お父さん』だった。
それが、母は喜んで『お父さん』の下に行くと言い出したので少女は母の喜ぶ場所ならとついてきた。
母は別室に連れられていき、少女は一人庭に出られる広間に残された。少女をここまで案内してきた人形のようにただ黙ったまま動かない、綺麗な紺色のドレスを着た女の人が一人、近くで見ているだけで少女と遊んでくれる人間は居なかった。
裸足で柔らかい絨毯を歩み、居心地の悪さに居ても立っても居られず外へ繋がる窓をこじ開け、外へ飛び出した。
高い壁に囲われた外にある庭は住んでいた家よりも遙かに広く、花壇があり、椅子と卓まであった。黙っている女の人は睨むようにこちらを眺めているだけなので質問するにも出来ず、一人庭を散策することにした。
「あ」
壁の向こう側から金色の羽を持つ虫が飛んで来た。花壇の上を一回りゆらゆらと飛んだ後、一輪の花に止まった。今まで見たことのある虫は黒い足のたくさんある虫か、ごみに群がる茶色い虫だけで、色とりどりの花に止まる虫など見たこともない。
初めて見た綺麗な虫だから、お母さんにも見せてあげよう。
ゆっくりと近づいて、掴み取るだけだ。
「だめだよ。羽根を強く掴んだりしたら飛べなくなってしまうから」
はっとした頃にはもう遅く、金色の虫ははらはらと空を舞ってどこかへ飛んで行ってしまった。邪魔さえされなければ捕まえられたのにと、声の主に苛立ちを覚えてしまったのは今でも覚えている。
誤字を発見したので修正しました。
他にも見落としが有るかも知れません。
見つかりましたらご一報下さい。