05 桜の木の下で
「わ………!」
沙菜は中庭に出ると思わず声をあげた。静香の部屋から散々見ていた桜の木だったが、間近で見るとまた違う。迫力があってとっても綺麗だ。
沙菜はお気に入りのベンチに腰掛けた。薄暗くなった周りにもよく映える桜。風が吹くと花びらがはらはらと落ちるのがまた綺麗だ。
沙菜はしばらく桜の木に見とれていた。
「あ……」
急に声が聞こえて、その方向を見るとさっき静香の部屋ですれ違った若い男の先生が立っていた。
「あぁ、どうも」
沙菜はぺこりと会釈をした。神浦先生、だったっけ。ブラックの缶コーヒーを持って沙菜の方に近づいてきた。
「隣、いいですか」
神浦先生はそう言いながら返事を待たずに沙菜の横に腰掛けた。沙菜は何も言わずに桜に目線を戻した。
「桜、見てるの?」
勝手に横に座ってきて急にため口。なんて失礼な人なんだ、と沙菜は少しむっとしながら、
「そう」
と、だけ答えた。
「高校生なのに、いい趣味してるね」
神浦先生はふふっと笑いながら言った。
バカにされた……
沙菜はそう思ってさらにむっとした。なんなんだ、この人は。いい気分で桜を見ていたのに台無しだ。
「きみ、牧野さんのお見舞い?」
牧野さん、静香のことだ。
「そう。あと私、沙菜。角田沙菜」
「あぁ、ごめんごめん」
神浦先生はふふっと楽しそうに笑いながら缶コーヒーの蓋を開けた。静香はこんな感じの悪い人と話したというのか。
「あなた、神浦先生、ですよね?」
沙菜は反撃に転じた。
「あぁ、そうだよ」
「かみうらせんせい………呼びにくっ。噛んじゃいそう」
沙菜は悪意を込めて言った。
「下の名前のほうがさらに呼びにくいよ」
神浦先生は沙菜の反撃をすっとかわして笑った。
「……何ていうの?」
沙菜はしばらく悩んで、最後には好奇心に負けて聞き返した。
「神浦泉。泉先生」
「せんせんせい……ぶっ」
沙菜は思わず吹き出した。
「『せ』ばっかりじゃん」
「そうなんだよ。『せん』なんて2回繰り返すからな」
泉も一緒に笑った。沙菜はしばらく笑ってから我に返ってだんだん悔しくなってきた。なんで笑ってるんだよ、私。
「なんか先生っぽくないね、神浦せんせー」
わざとバカにしたような言い方を選んだ。
「ここの先生ってみんなおじさんで、威厳、あるもん」
「そうだな」
ちらっと泉の方を見ると、沙菜と同じく桜を見つめていた。
「……泉ちゃん」
「へ?」
「先生にはちゃん付けがお似合いだよ。泉ちゃん」
沙菜はむきになっていた。どうしてもこの人を負けさせたいと思っていた。
「ふ……あはははは」
泉は大声で笑い出した。沙菜は何故か恥ずかしさと少しの嬉しさが込み上げてきて、
「なによ」
と、小さな声で言って泉の笑いが収まるのを待った。
「『ちゃん』付けなんて初めてされたよ」
泉はまだ笑いの残った声で言った。
「あ~久しぶりにこんなに笑ったわ」
泉は立ち上がった。
「行くの?」
「あぁ、そろそろ休憩も終わりだ」
泉は顔だけ沙菜の方に向けて、
「春とは言っても冷えるから、早く帰りなよ」
と、言った。
「大丈夫だよ。じゃあね」
沙菜は投げやりに手を振った。泉も沙菜に背を向けてひらひらを手を振りながら、
「またね、沙菜」
と、言って振り返らずに病院の方に去っていった。
「『沙菜』って……」
沙菜は泉の背中を笑いを含みながらにらみつけて呟いた。変な人。沙菜はその後少し桜を見つめてから帰った。医者っぽくない変な人、泉のことがしばらく頭から離れなかった。