10 作戦会議
週末の土日に沙菜は桜病院に出向いたが、そこで泉に会っても龍とのことは口に出さなかった。それを口にしたならば止められることがわかっていたからだ。
万が一、泉にわずかな異変を見ぬかれて問いただされたら言い訳しきれる気もしなかったので、いつもの時間に中庭で会ってもなるべく早く切り上げて帰った。
沙菜は帰り際に龍と連絡先を交換していたが、初めて連絡が来たのは一週間が経ってからだった。
『兄ちゃんはしばらく忙しくて余裕がなさそうだ。落ち着くのは八月に入ってからになりそうだって』
沙菜は少し考えてから、
『じゃあ試験入る前に一回家に行っていい?作戦会議もしておきたいし』
と、返信した。
それから二日後、沙菜は神浦家の前に再び立っていた。部活の定休日を利用して放課後にやってきた。龍は部活はそこまで厳しくないのでいつでも休めるから、と言った。頭のいい学校はそういうものなのだろうか。
呼び鈴を押すと程なくしてドアが開いて沙菜は中に招き入れられた。リビングに入ると、テーブルの上のものが床に下ろされていて、そこには龍の勉強道具が広がっていた。
「宿題?」
「いや、試験勉強」
「もう!?」
「悪いかよ」
龍はグラスに麦茶を淹れて出してくれた。
「ありがと。英語?」
「あぁ」
「難しそう……全然わかんない」
沙菜は広がったテキストを覗き込んで目を丸くした。
「同い年だろ?」
「そうだけど、うちはそんなに頭よくないもん」
龍と沙菜はソファには座らず床に座った。
「作戦会議、だっけ?」
「あ、うん」
沙菜は麦茶を一口飲んだ。
「海斗さんはさ、私が急に現れて話はじめたらやっぱり嫌がるよね?」
「まぁそうだろうな」
「うーん、どうしたら話、聞いてくれるかな」
沙菜は腕を組んで龍を見た。長い睫毛、すっと通った鼻筋は泉の面影を感じる。
「龍から事前に少し話しておくっていうのはどう?」
「兄ちゃんとの間で泉の話題を出すのはタブーなんだ。暗黙のルール、というか」
「そっか……」
「下手に話して俺まで兄ちゃんに敵視されたら、もうどうしようもなくなる」
「じゃあそれは最後の手段として残しておきたいね」
「あぁ」
龍も腕を組んだ。
「俺の時みたいに突然押しかけて話すしかないんじゃないか?俺と沙菜も初対面っていう体で」
「演技できる?」
「それは……微妙」
龍は苦笑いを浮かべた。
「それに、海斗さんに門前払いにされないかな?」
「それは俺がなんとかするよ」
「うーん」
沙菜は浮かない顔をした。
「なんか不安」
「悪かったな」
「でも、やるしかない」
沙菜は強い意志の宿った瞳で龍を見た。
「絶対に話、聞いてもらう」
「まぁ頑張れ」
「うん」
話に一区切りがついて、沙菜は改めて部屋を見渡した。物がたくさん溢れていてどこか薄暗い部屋。
「この家、広いよね」
「まぁ、そうだな。一階に部屋が四部屋、二階にも四部屋」
「すごい!私の家なんて二階建てなのに五部屋しかないよ。しかも狭いし」
広すぎるリビング。話が途切れるとしーんと静まり返る。
「海斗さんは何の仕事してるの?」
「SE」
「忙しい?」
「そうだな。泉と同じくらいは家にいないかな」
「そっか……」
沙菜は両手で麦茶の入ったグラスを包み込んだ。
「寂しく、ない?」
「いつもこんな感じだからな。慣れてるよ」
沙菜の家は普通のサラリーマンの父親とパートで働く母親との三人暮らしだ。学校が早く終わって帰ると誰もいないことはあるが、夕方には母親が帰ってくる。父親も基本的には八時台には帰ってくる。常に人の気配がしている。
それに対して神浦家には人の気配がない。広すぎる家が一人きりであることを冷たく突きつけてくるかのようだ。
「掃除、しようか」
「は?」
「全然掃除してないんじゃないの?」
「まぁ……。たまにゴミは捨てるよ」
「それは掃除って言わない!」
沙菜は立ち上がった。
「決めた!私、この家を掃除する!」
「まじかよ」
龍は口をあんぐりと開けて沙菜を見上げた。
「正気か?」
「うん。龍も手伝ってよね」
「俺も?」
「当たり前でしょ!龍の家なんだから」
「今のままでも困ってないけど」
「ダメダメ!綺麗な方が勉強だって捗るよ!ほら、早く立って!ゴミ袋持ってきて!」
龍は仕方なく、と言った雰囲気で気だるそうに立ち上がった。
こうして大掃除が始まった。まずはリビングのローテーブル周りからだ。いらないものといるものを仕分けていく。迷ったらゴミに。容赦なくどんどん捨てていく。
続いてダイニング。大量の洗い物も一気に片付ける。少し見られるようになった時には外はすっかり暗くなっていた。
「まだ全然だわ……床だって掃除機かけただけじゃ綺麗にならなさそう。ちゃんと水拭きしなくちゃ」
「そこまでやらなくても……」
「ダメ!」
沙菜は厳しく言い放った。
「週末も来るから!」
「本気かよ」
「本気!週末は海斗さんは?」
「最近は大抵いないな。昼まで寝て、昼過ぎから仕事行って夜まで」
「じゃあ週末の午後に来るから」
きっぱりと言い放つ沙菜に龍は諦めたように溜息をついた。
「沙菜って強引なやつだな」
そして、少し笑顔を見せたのだった。




