想定
「アヴァール帝国の第1軍団から第3軍団までは、皇族たちによって率いられている近衛軍だと聞いています。おそらく今回の軍事行動は第1軍団の軍団長であるホスロー皇子の意図によるものでしょう。それも皇位継承権第1位のベルタ皇女に対抗するために、華々しい戦果が欲しい、と言う極めて個人的な目的で始まったもの」
俺の言葉にアニェーゼ姫は頷いた。
「そう聞いているわね」
「だとすると今回のアヴァール帝国軍はカンザを攻略できるような新しい攻城兵器を持っているわけではありません」
「うん」
「つまりホスロー皇子の第1の目的は、挑発し外に出てきたエートルリア国軍との野戦による決着」
「そうね。でもエートルリア軍は出ないわね。あの腰抜けたちは」
「ええ。そう思います」
アニェーゼ様は続けなさい、と言う顔をする。
「つまり重要なのは第2の目的です。そして、ホスロー皇子の第2の目的は、防衛軍がカンザに籠もったままならば、カンザを無視してさらなる長征を行い王都への直接攻撃、かと」
「!?……カンザを無視するっての?」
「僕ならそうするだろう、というだけです。王都に向かったことを知って後を追ってくれば、軍の向きを変えて出てきたエートルリア軍を予定通り野戦で蹴散らせばいいだけのことですから」
アニェーゼ様は難しい顔をした。
そして何事か考えはじめる。
それを見ながら俺は黙って待った。
俺が念頭に入れているのは三方ヶ原の戦いである。
武田信玄が上洛途上、浜松城を素通りし、それに切れた徳川家康が家臣の反対を押し切って出陣。すると、素通りしたはずの信玄軍が待ち構えていてこてんぱにやられる、という流れだ。これは、領主連合の長にすぎなかった徳川家康が、ここまでメンツを潰されると長としての立場を維持できない等色々理由があったわけだが、ホスロー皇子の目的はもっとシンプルだと思われる。
つまり戦って勝利すること。
ホスロー皇子はおそらく勝利の後、手にした領土を維持することさえ考えてない。持てるだけの財貨を持って速やかに帰国することだけを考えているのだ。
つまり、今回エートルリアに侵入してきた軍は、アヴァール帝国の軍と言うよりは野盗の群れに等しい。
アヴァール帝国の領土を拡張するには、兵站の維持および後方を攪乱されないためにまずカンザを攻略する必要があるが、野盗の群れとしては、強盗に入る先はきっちり防衛されているカンザである必要は無く、むしろ王都周辺の方が強奪できる財宝が増える、と言うわけだ。
「なるほど……ね」
しばらくたってからアニェーゼ様は俺の方を見て何度か頷いた。
それから俺の肩を叩き、
「あんた、合格」
「……は?」
「もう一度考える必要があるわね。まだ若干時間はあるし今晩作戦会議を開くわよ。戦略室に来なさい」
「あ、いや、その、あの……えーっと……」
俺の返事など聞く気も無いらしく、アニェーゼ様はそのまま軽やかに馬を操って丘を降りていく。
俺は一人呆然と丘の上に残された。
一方、アニェーゼ様は急に主人が動き出したことに慌てて近づいてきたエラルド教授に向かって
「いったん撤収よ!」
「はい? あの、それはいったい……」
アニェーゼ様は軽蔑しきったまなざしをエラルド教授に向けた。
「……ったく、1から10まで説明しないとダメなの? 少しはその頭で考えなさい」
それだけ言い捨ててそのまま馬を止めることなくカンザ要塞の方に消えた。
エラルド教授はそれを見送り、長い長いため息をついた。
俺が丘から降りてくると、
「ああ、えーっと、きみ……リキニウス君と言ったかね。姫様のあれはどういう意味か、分かるかね?」
姫様というのはアニェーゼ様のあだ名である。
「あ、いえ……さっぱり」
「そうか……君の一体どこを気に入ったのかは分からんが、とりあえず姫様の言うとおりにした方がいいだろう」
「あの、夜、戦略室に来いと言われたのですが僕はどうすれば……」
「夜と姫様が言えばそれは20時のことだな。19:00頃から待機しておくのが望ましい。戦略室は姫様の部屋をそうお呼びになっていた。おそらく姫様としては、エートルリア王国を自らの才覚のみで救おうと思われていて、その戦略のすべてはここで生み出される、という覚悟の表れだろう」
「なるほど」
つまりは天才少女のごっこ遊びに等しい。
それにしてもさすがはアニェーゼ様の執事である。魔法教授としてはともかく執事としてはとても優秀なのではないか。
俺はちょっとだけ感心しながら、顔だけはいつものリキニウスの困った表情で立ち尽くした。
すみません。名前間違っていたので修正しました。