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キック

      @


 後で聞いた話である。


 アヴァール帝国の首都アルシダーリアで、ヒミカは対アヴァール帝国連合軍が待つレム王国への進軍に先だって、アテアス大帝に次のように進言した。


「軍は魔術に対して、場合によって無力です。従って私が先行しレム王国に潜入し彼を殺害します。彼さえ殺してしまえば、烏合の衆である連合軍など恐れることはありません。帝国はさらなる南進に成功するでしょう」


 彼とはもちろんレムス一世のことである。

 アテアス大帝は即断即決の大帝には珍しく逡巡した。

 潜入は当然のことながら危険を伴う。

 アテアス大帝にとってヒミカは単なる宰相と言うよりも、改革の同志であるし、また知恵袋でもあった。失うわけにはいかないと考えたのだろう。

 アテアス大帝は彼女にしては多くの言葉を用いてヒミカの翻意を求めたが、ヒミカの決意は固く、最終的にアテアス大帝が折れた。

 作戦はいくつかの修正とともに承認され、ヒミカは少数の護衛とともにレム王国へ向かった。

 レム王国に着いてからのヒミカの行動は、以前から周到に練られた計画を遂行するかのように迷いがなかった。

 まず、王都の水源である場所に向かった。王都の水源は王都の西側にある池である。ここはもともとただの平地だった場所を、建国のみぎりレムス一世とフェデリカ・ハンニバルが二人で協力して大地を削り、地下水を引き込み、さらに浄化魔法までかけて水源となしたものだった。

 そこでヒミカは二日かけて強大な魔力をため込んだ。

 そしてそのまま水を王都へ引き込む水道に侵入した。

 石造りの水道は鉄格子で侵入者を排除しようとしてはいるが、鉄格子さえなんとかしてしまえばまっすぐ城内に入ることが出来、事実、ヒミカはわずか数名の護衛とともに王城内部へ入り込んだ。

 王城内で使用した魔術は、氷樹である。

 これは構造物の間に水を染みこませ、さらにそれを凍らせることで体積を増大させ構造物そのものを崩壊させる魔術である。

 ヒミカは氷樹の魔術を王城の主塔に対して唱えた。

 水の枝は蛇のように主塔を構築する石と石のわずかな隙間に入り込み、そして膨らみながら凍った。

 崩壊は段階的に起こった。

 まず主塔の半ばほどが自重に耐えられず、外側に膨らみはじめそのまま外に向かって弾けた。次に、弾けた場所より上の部分がそのまま下に落ちて、残った下部部分を押しつぶした。

 王城の主塔は一瞬で瓦礫と化した。

 ヒミカは自身は宙に浮いたまま一部始終を見下ろしていた。

 粉塵が収まった後、ヒミカはつぶやいた。


「レムスはいなかったか……まぁ、当然ね。いたらこんなにかんたんに壊させたりしないものね」


 それから横を向いた。

 自分と同じ目線の高さに二人の人間がいた。二人とも宙に浮いている。

 一人は見慣れぬ女の魔法使い。十五、六歳だろうか。

 そしてもう一人は、


「そうか。レムスと一緒にあなたもここに来ていたのですね。日本の青年よ」


 日本の青年--確か、尾崎祐太朗という名前の男は唇をゆがめて吐き捨てるように言った。


「……あなたはひとの国まで来てさっそく破壊活動ですか」

「人の国、というのは語弊がありますね。ここの建国には私も力を貸しました。レムス一人の国ではありません」

「国は創った人間のものではありませんよ。住んでいる人間のものです」

「はは。おかしなことを言う」


 ヒミカはまっすぐ尾崎祐太朗--こちらでの名リキニウスを見た。


「人など器を与えれば勝手に増えます。政治はその器の善し悪しを定めるものにすぎません。統治者にとっては、良い政治を行う、というのはある種のゲームにすぎないんですよ。それにこの行為はレムスを今度こそ消し去り世界を救うための崇高な計画の一端です。そのためならば多少の犠牲はやむを得ないのです」


 リキニウスはため息をついた。


「……思った以上にクズだな」

「そうですか? あなたも日本では充分クズに値する人間だったようですが」


 リキニウスの目が暗い光を帯びた。


「……何もしなかった俺と悪をなしているあんたを一緒にしないでくれ」


 その目つきにぞくぞくとしたものが背筋を走る。

 悪くない。

 こういう反抗的な目つきをする相手を屈服させる悦びというのは何物にも代えがたい。

 先日、スザ城で出会った際はレムスの出現のためにろくに相手ができなかったが、今回は違う。

 ヒミカは笑みを浮かべた。


「レムスが現れるまでどうせやることもありません。時間つぶしに相手をして差し上げましょう」


 その言葉にリキニウスはあからさまに動揺したように見えた。恐怖と言うよりも困惑のようだ。どうやらこの短い期間でヒミカに対する復讐以外の何かが彼の中に芽生えたらしい。

 ヒミカの胸中の悦びが縮んでいく。

 ヒミカはため息をついてリキニウスを見た。

 つまらない人間に成り下がった。

 強い感情も強い目的もないただの人間だ。

 もちろん逃げ出すのであれば追ってまで殺す気は無い。

 だが向かってくるのであれば容赦はしない。


「あなたは本当に始祖フェデリカ・ハンニバルなのですか!?」


 リキニウスの横で宙に浮かんでいた魔術師の少女が声を上げた。

 ヒミカはそちらを見る。


「この世界に生まれたとき私がそのような名前であったことは間違いありません」

「そ、その始祖様がいったいなぜレム王国に害をなすのですか!?」

「世界を壊すものを滅ぼすためです」

「私には……私には始祖様が世界を滅ぼすものの見えます……!」


 ヒミカは眉をひそめた。それから呆れたように言った。


「……視野が狭く愚かな魔術師ではそう思えても無理はありませんね。しかし私はあなたに理解してもらう必要はありません。世界とは認識です。愚かなあなたの世界と私の世界が違っているのは当然ですから」

「……分かりません」

「だから分からなくて良いと言っているでしょう」

「……分かりません。分かりませんけど……私の世界を滅ぼすというのなら、私は抵抗します!」

「いいでしょう。そこの日本人がやる気を無くしてつまらなく感じていたところです。相手をしてあげましょう」


 ヒミカは軽く手を振った。

 ヒミカの頭上に幾筋もの空気の裂け目ができた。

 かまいたち、と言う奴だ。

 ヒミカの胸の中に圧倒的な万能感がわき起こる。

 向こうの世界ーー日本では魔法は使えなかった。

 だがここでは使える。

 そして魔法を使えるときの自分は最強だ。

 最強の存在は世界に対して責務を負う。

 だから自分がレムスを止めなければならない。

 それにレムスを止められるのは自分ただ一人だ。

 それが分かっていない愚か者はことごとく粉砕する。

 ヒミカは空気の裂け目を矢のようにリキニウスとその隣の若い魔術師に向かって放った。

 程度の低い魔術師にはとても躱せない魔術だ。躱せるとしたら、最上級の魔術師、それこそ竜術を自在に使いこなせるレベルだろう。そして目の前の二人がそのレベルだとは思えない。リキニウスは闇魔法は使えるようだが、それ以外のレベルは低く、もう一人は魔術を習熟するにはあまりに幼い。魔術というものはよほどの天才でもない限り、十年かそこらの鍛錬で極められるものではないのだ。

 自分に逆らった報いにズタズタになれ。

 ヒミカの唇が歪む。

 その瞬間、ヒミカは突然、自分の横に現れた者に蹴り飛ばされた。

 ヒミカは驚愕の表情のまま、地面に向かって落ちていった。

次回の更新は10月15日以降になります。

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