部屋
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アニェーゼが俺の妻?
そんな素敵なことは、誤解であっても素敵なのである。
が、現実の俺はそれどころではなかった。
それほどジュスト宰相の持ってきた情報が俺をびびらせていた。
近衛騎士団は、公式に招集命令拒否を伝えてきて、さらにレムス一世を名乗る存在の排除を明言したのだ。
「……ま、マジっすか?」
と聞いた俺に、
「マジです」
とまじめな顔でジュスト宰相は答えた。
俺は魔法塔にいたため、騎士団のことは正直よく知らない。
知っているのは、彼らが自然の中にある魔力を使用するのではなく、自らの体内に満ちる魔力を使って肉体を劇的に強化する一団だ、という情報くらいだ。にもかかわらず「野獣のような騎士団」像が俺の頭の中に住み着いていた最大の理由はたぶん魔法塔にある騎士団差別だろう。魔法塔と騎士団は創設当初より仲が悪い。だから騎士団は野蛮なもの、恐ろしいもの、愚かなもの、という刷り込みが行われる。それに「よく分からない理屈で強いらしい」という要素が追加されると、「殺しても死なず言葉も通じない野獣のような騎士団」像ができあがるというわけだ。
その騎士団が敵に回ったと聞いて俺は震え上がった。
たぶん、タコを気持ち悪いと思っている人が、タコが海から大量に現れて襲ってくる、と聞いたときと同じ嫌悪感である。理屈と言うよりも生理的反応だ。
もちろんちゃんとした大人である俺はそれを表面上に出したりはしなかった。
しみ出してきた掌の汗をこっそりとぬぐって、
「あ、アニェーゼさんは騎士団のこと、知ってますか?」
アニェーゼも同じような嫌悪感を共有しているのか顔をしかめたまま首を振った。
「知らないわね。体内の魔力を使うとかわけわからないし……」
つまり騎士団の情報はほぼ無い。
そう考えると改めて恐怖に背筋が凍りついた。
逃げ出したくなる想いを必死に抑えながら冷静になろう、と俺は大きく息を吐いた。それから考える。
騎士団が攻めてくるデメリットは何か。
レムスの排除は明言されている。レムスを排除されること自体は俺にたいしたデメリットはない。せいぜいがヒミカに復讐する手段が遠のくくらいだ。もちろんレムス一派である俺は排除対象に含まれるかも知れないが、そこはこの国さえ逃げ出してしまえばなんとでもなる。
だが、と俺はさらに考えを膨らませる。騎士団は明確にレム王国の王命に逆らった。これは明らかに反逆行為である。当然騎士団もそのことを自覚しているだろう。だとすると騎士団の行動はレムスの排除だけで終わるのか。当然、王国全体の主導権を握ろうとするのではないか。その場合、国王以外の主要な人間を排除し、中枢をすべて騎士団で抑える形になるだろう。そして、もともと騎士団と仲が良くない魔法塔はそれに逆らうことが予想される。となると最悪、魔法塔との戦争が始まる。
憎み合った者同士の全面戦争だ。
俺は天井を見上げ二秒考え、それからジュスト宰相の方を向いた。
「しゅ、主要な者を集めてください。対策を練らないとまずい気がします」
俺の裏返った言葉にジュスト宰相は頷いた。
フィオレ四世陛下、ジュスト宰相、そして将軍の名を冠する者が二名、大臣の名を冠する者が三名、最後に俺とアニェーゼ。それが会議室に集まった面々である。
レムスは「竜に会いに行く」と言って出て行ったっきり帰ってきていない。
会議室に集まった全員が全員重苦しい表情だった。
それはそうだろう。何しろ、騎士団の行った宣言は内乱と同義なのだ。
そして内乱の対象は国王一派、つまりこの場にいる面々である。
ジュスト宰相が震える声で、
「れ、連合軍を王都に呼び、いったんの備えとしては?」
と提案した。
実は対アヴァール帝国同盟の軍は、すでにレム王国の西の平原に集合しつつあった。
その数なんと二十万。
とてつもない数であるが、二週間後にアヴァール帝国軍との決戦を想定しているので当然と言えば当然だった。
ちなみに集合場所に一番近いレム王国も当然軍を参加させる必要があり、魔法塔や騎士団に招集命令を出したのはその一環でもある。
一方、アヴァール帝国軍も軍を発してこちらに向かっていると斥候が伝えてきている。帝国軍は十八万。このまま予定通り行けば二週間後に西の平原で激突するだろう。
一応、連合軍が数の上では勝っている。だが強力なアヴァール帝国軍に対しては軍量で二万勝っていても実際のところまだ分が悪い。
レムスの目的は別にあるので気にしてはいないようだが。
いずれにせよ決戦は間近なのだ。
そして騎士団の裏切りはこんな最悪なタイミングで行われたわけである。
超まずい展開なのである。
だからジュスト宰相の提案--連合軍を王都に入れるというアイディアはなかなかに魅力的に思えた。
確かに二十万の兵に守られれば安心だ。
だが、と俺は腕を組む。各国から集めた連合軍を、自らの都合だけでレム王国の王都に差し向けるのはさすがに公私混同と言われかねない。またこの連合軍を作り上げたのはレムスでありレムスからの命令も必要だ。
だからグッとこらえた。
一方、俺は俺で、ある程度冷静になっていた。ジュスト宰相や将軍たちから騎士団の能力を教えられたからだ。
彼らは人間としては恐ろしく強い。だが、竜ほどではないらしい。魔術を使えば、あるいは一対複数ならばなんとか対抗できるレベルだ。
つまりシャープールと同じくらい、ということだろうか。
シャープールが大勢いるというのはそれはそれで想像を超える恐ろしい状態にも思えるが、得体の知れない存在よりはだいぶん想像しやすい。
考えてみればもともと騎士団と魔法塔の勢力は拮抗していた。となると能力についても拮抗している、と考えるべきなのだ。
大丈夫だ。
何とかなるはずだ。
俺は掌の冷や汗をズボンにこすりつけながら自分に言い聞かせた。
とりあえずレムスが帰ってくるまで王城の防御のレベルを引き上げてもらうことにした。巡回の兵士を増やし、武装のレベルも上げる。また城壁を越えようとする騎士が現れる可能性もあるため、城壁上の歩哨の数も倍に増やした。
会議が終わりホッとした俺は与えられた自分の部屋に帰ろうとすると待ち構えていた侍女に、
「リキニウス様の部屋はこちらに移動になりました」
と別の部屋に案内された。
アニェーゼも着いてくる。俺の部屋でなにか話があるのだろう。
もともと与えられていた部屋は玉座の間のほど近くにあり、おそらく大臣の秘書用の部屋であったようだが、新しく案内されたのはちょっと離れた塔の中の一室だった。塔のフロア一つを占拠しているようだ。玉座から離れているから不便であるがその分かなり大きい。しかしなぜこのタイミングで移動? と首をかしげながらそこに入ってみて、俺は驚いた。
思わず目を見開いて部屋の中を見回す。
「あ? え?」
とにかく広い。寝室以外に二部屋以上ついている。また内装も豪華で床は絨毯が敷かれ、壁には風景画が掛けられている。
もっとも、俺が驚いたのはそこではなく、その部屋のあからさまなエロさだった。
何しろ壁も絨毯も薄いピンクを基調にしているのである。そして、ベッドはやけに大きく、しかも入浴用の設備まであり、驚いたことに風呂桶はガラス張りだ。
つまるところラブホテルの一室を思わせ、実際、明らかにそのための部屋だった。
想像するに過去の国王が愛妾用に作った部屋なのではないか。
俺が驚いた顔で侍女の方を向くと侍女は表情を消したまま、
「お久しぶりの再会。ジュスト宰相よりご夫婦でしばしゆるりとすごされよ、との言葉を承っております」
「…………は、はぁ」
そういえば夫婦と誤解されたままだった。
思わず目の端でアニェーゼの姿を追う。
アニェーゼはゆでだこのように顔を真っ赤にしていた。
あれ?
なんか思ったほど嫌がっていない?
そのことに胸を高鳴らせていると、侍女が頭を下げて出て行った。
音も無く扉が閉められる。
とたんに外の喧噪がかき消えた。防音効果もばっちりだ。
静けさが二人きりだという感覚を強める。
息苦しさが一気にふくれあがってくる。
心臓がばくばくしている。部屋の雰囲気が俺を追い詰める。
以前部屋に二人きりでいても平気だったのになんで今回はこんなに緊張するのだろう。
ダメだ。もう耐えられない。
俺は大きく息を吐き、ぎこちない笑顔を作ると、
「へ、部屋の追加をお願いしてきます!」
慌てて侍女を追って飛び出そうとすると服の裾が掴まれて俺は急停止した。
「!?」
振り返ったら、俺の裾を掴んだ相手は当然アニェーゼだった。
アニェーゼはうつむいて真っ赤になったまま、言った。
「……あのね、そのね」
消え入りそうな声で、
「リキニウスがね、心配だから……」
「え、あ……」
「だ、だからね。どうしてもって言うんなら、リキニウスとそ、そうなってもいいかなって」
「そ、そうって?」
「け、結婚って意味よ! ったくもうなんでそんなことを私が言わなくちゃいけないのよまったくリキニウスはいっつもいっつも」
最後の方はごにょごにょとなって何を言っているのだかよく聞こえなかったが、俺は頭に血が上っていくのを自覚した。
次回の更新は17日の週になりそうです。




