隠された部屋
「あなたをフェデリカ・ハンニバルの書記に任命します」
「承りました」
アニェーゼは頷いた。
魔法塔の評議会の執務室である。ここは採光がよく、明るい。窓を背に大きな机があり、その前にアニェーゼは立っていた。
アニェーゼと向かい合って立っているのは、アニェーゼの叔母であるドロテアとヴァーユ一族の評議員の壮年の男性だ。二人は机の中から恭しく小さな木の箱を取り出すと、それをアニェーゼに手渡した。
アニェーゼは受け取って、箱を開ける。中に入っていたのはメダルだった。それを取りだし首から提げた。
魔法塔の始祖フェデリカ・ハンニバルが持っていたというメダルだ。彼女の魔力が籠もっている、と言う噂だ。
そして、フェデリカ・ハンニバルが、魔法塔の代表の証として、二十二歳の青年に預けた物だ。
これを首から提げたアニェーゼは、先例によって魔法塔の代表と言うことになる。
アニェーゼは改めて叔母とヴァーユ一族の評議員の二人に向かって
「それでは王都に向かいます。その前に、先例に倣い、少しだけフェデリカ・ハンニバル様の自室でフェデリカ・ハンニバル様の霊と二人きりになりたいのですが」
アニェーゼの狙いはこれだった。
メダルを授かった青年は出発直前、フェデリカ・ハンニバルの部屋で数刻を過ごした。そのわずかな時間で様々な魔術の奥義を学んだとも言われている。
ドロテアとヴァーユ一族の評議員はわずかに逡巡した後、了承した。
フェデリカ・ハンニバルの私室に入ったのは出発直前である。
準備をすべて終えた後、評議会のある塔の最上階にあるフェデリカ・ハンニバルの部屋に向かった。
部屋は厳重に封印されていたが、仮にも「魔法塔の代表」である。その要請を拒否できるわけがなかった。
初めて入るフェデリカ・ハンニバルの私室は多少かび臭かった。管理人の元評議員がいかめしい顔で
「神聖な部屋です。くれぐれも物などに手を触れないように」
「分かっています」
扉が閉められるとアニェーゼはすぐに行動を起こす。
まず部屋を見回す。小さな部屋だ。どこか家庭的な雰囲気がある。フェデリカ・ハンニバルは女性だから最終的に自分が日常の大半を過ごす場所にこのような部屋を選んだと言うことだろう。
ここから“何か”を見つけ出さなければならない。
自分が“何か”を隠すのであればどこに隠すか……。
アニェーゼはゆっくりと部屋の中を確認していく。
整理整頓された部屋だ。始祖は神経質な性格だったのだろうか。
机とベッドの下を確認した後、アニェーゼは壁際に置かれた本棚に目を付けた。魔術や政治に関する書物が並んでいる。
アニェーゼは歩み寄り、まず押してみた。びくともしない。
次は引いてみる。やはりびくともしない。
アニェーゼは考え込み、それから斜めに力を込めてみた。
本棚がずるりとずれた。
「!」
そのまま最後までずらすと、本棚の背後に隠されていた扉が現れた。
隠し部屋だった。
すぐに見つけられる程度の隠し部屋だが、始祖に関わる神聖な物、として一切調査されてこなかったために、今まで発見されていなかったのだ。
アニェーゼの胸が高鳴る。
「まだですか?」
外から声が掛けられた。あの管理人の老人がしびれを切らしたらしい。
アニェーゼは、
「今精神を統一しているところです。邪魔しないでください」
と強い口調で答えた後、急いで隠し部屋に入った。
隠し部屋は、外のひどく整頓された部屋とは異なり乱雑で生活の匂いがあった。書物も外の部屋のように本棚に刺さっているのではなく、床に適当に積み上げられている。とは言ってもおそらく二百年近く誰も立ち入らなかったわけで、埃っぽさとかび臭さがひどい。
部屋の中央に複雑な魔方陣が書かれていた。だが、ネズミでも囓ったのか単なる経年劣化なのか一部が欠けて魔方陣としては機能していないようだ。
もっとも魔方陣を詳しく調べる時間は無かった。
この部屋の中で、なんとかフェデリカ・ハンニバルの謎を解く鍵を見つけ出さなければならない。
アニェーゼは、なるたけ息を止めながら隠し部屋の中をざっと見回す。積んである本の一番上に置かれた物が、フェデリカ・ハンニバルがもっとも最近手に触れたものであるはずだ。だから一番上を注意深く見ていく。すぐにフェデリカ・ハンニバルの日記らしい物が見つかった。机の一番手にとりやすいところに刺さっていた。中を見て、失踪の直前まで律儀に書かれていたらしいことを確認した後、アニェーゼはローブの裾を思い切りめくって真っ白な太ももをむき出しにして日記をふとももに縛り付けた。そのまま裾を元に戻す。
それから名残惜しいのを我慢して、外に出る。
本棚を元の位置に戻し、自分の身体についたほこりを払い、鏡で不自然なところがないことを確認してから、フェデリカ・ハンニバルの私室を出た。
不機嫌そうな管理人に、
「おかげでよい時間が持てました。これで堂々と王都に向かえます。ありがとうございました」
と丁寧に礼を言った。
「あくまで特別な措置なのですから、くれぐれも二度三度と求めないように」
「分かっています。無理を言って申し訳ありませんでした」
殊勝に頭を下げる。だが、実際は何とか理由を付けて再度あの部屋を調べようと心に決めていた。
すでに荷物はまとめてあり、王都に向かう馬車の準備もできていた。
アニェーゼは魔法塔の外に出ると馬車に乗り込んだ。
一応、道中の護衛に三人の人間がつく。すべて魔法塔の魔術師だ。さすがに彼らの前ではフェデリカ・ハンニバルの日記を取り出すことはできない。
日記を太ももの内側に隠したまま、じりじりした気持ちで馬車に揺られ、アニェーゼは王都へ近づいていく。
宿屋で一泊した際に、ようやく部屋で一人になることができて、日記を太ももから荷物の底に移動することができた。
可能であれば中を読みたいとも思っていたのだが、馬車に乗っていただけなのに肉体の疲労は激しく、ベッドで倒れ込むように寝てしまった。
翌日もまた朝から馬車である。
結局、アニェーゼはまるまる二日かけて王都にたどり着いた。
げっそりとした顔で、城門の前で護衛の魔術師と別れ、ひとりで王都へ入っていく。
王都の中央の丘に国王が住む王城が建っている。丘のすぐ周りには貴族の豪華な邸宅が並び、そこから城壁に向かって同心円状に猥雑さを増していく。城壁の内側はかなり広大で、城壁内で二万人以上が生活している。
王城までは徒歩だ。
王都の賑わいの中をアニェーゼは歩いた。
半ば以上土に埋もれて存在している魔法塔とはずいぶん雰囲気が違った。露店があり、商人がいて、旅人がいた。魔法塔はそもそも一般人は入り込めないため、極めて閉鎖的だ。それに比べてこの開放感はアニェーゼには新鮮で、うずうずしてくるのが自分でも分かった。ちょうど、すぐよこの露店の串焼きのたれの焦げる匂いがアニェーゼの鼻孔をくすぐり、アニェーゼは唐突に空腹を感じた。
立ち止まって考えた。
ここには仕事できているが、少しくらいならいい気がする。ある種の視察だ。
アニェーゼは巾着を取り出し、銅貨を手に串焼きの列に並んだ。
並んでいる客は一人ずつ串焼きを買ってそのまま歩き去り順当に列は減っていったが、最後の一人になってぴたりと止まった。どうやら前の客がやけに大量の串焼きを頼んでいるらしい。アニェーゼに背中を向けているのはひょろりとした男で、アニェーゼはイライラしながら、
(さっさと買い終えなさいよ! 一人で一体何本買うつもりなのよ!?)
すれ違いざまに足でも踏んでやろうかしら、などと考えながらイライラと待つ。
空腹がいや増していく。
ようやく焼き終えたのか、男はそのままだと持てない量--三十本近い串焼きを、どうやら自分で持参したらしい陶製の皿に盛ってもらい、嬉しそうにこちらを振り返った。
「え!?」
その顔を見てアニェーゼは愕然とした。
「……あ」
男も驚いた顔でアニェーゼを見て、
「ど、どうしてここにいるのよリキニウス?」
「あ、アニェーゼさん、どうしたんですか? なななななんでここに?」
驚いたひょうしにリキニウスは大皿を落としかけ、アニェーゼが慌てて支えた。
次の更新は21日の予定です。




