姫様
アニェーゼ様というのはアグニ家の本家の次女のことだ。
若干14歳にして天才の名を欲しいままにしている魔術師である。次期評議員の呼び声も高く、実現すればヴァーユ家のベアトリーチェを越えて史上最年少の評議員となることになる。
そんなアニェーゼ様であるが、物心ついてこの方、魔術においても舌戦においても人に負けたことがないせいなのか、気が強いことでも人後に落ちず、アグニ家の長老でさえ手綱を取れないと評判の美少女である。
そのアニェーゼ様が、勝手に出撃を決めたわずか三日後、まさにその本人が丘の上で颯爽と馬首を巡らし、長く淡い色の髪の毛を風になびかせたまま空気の匂いをかぐような仕草をした後、
「ここね……」
とつぶやいた。
「ここ……ですか?」
とおそるおそる返したのはアニェーゼ様の執事的な立場を任されているエラルド教授だった。四十代の前半のはずだが、苦労のせいか六十歳に見える哀れな人だ。やはり馬に乗っている。というか今アニェーゼ様に付き従っている10人のアグニ家の面々は全員馬に乗っている。何しろここはエートルリア王国の北側に存在する広大な荒野だからだ。
アニェーゼ様は、アヴァール帝国の侵攻からエートルリア王国を守ることを決めたあと、直ちにアグニ家の魔術師120名を引き連れてエートルリア王国に向かった。
アヴァール帝国はすでに国境を侵犯し、途上にある村々を適当に強奪しながら王都目指して一直線に南下してきているという。
おそらく決戦の地となるのは、今までもアヴァール帝国の侵犯を食い止めてきたエートルリア王国の北辺の要衝であるカンザの周辺にある荒れ地だと目されており、すでにエートルリアの手持ちの軍4000はカンザに入り、アグニ家の120名の魔術師も続けてそこに入った。
三日後にはアヴァール帝国軍がやってくる、というタイミングで、アニェーゼ様が突然、戦場となる場所の地形が見たい、と言い出して、取る物もとりあえず、すぐに出られるアグニ家の講師以上の10人で荒れ地に向かった。そして何の因果か、俺もその10人に入っていた。
自分の発言に、期待した反応を得られなかったのかアニェーゼ様は不機嫌な顔でエラルド教授の方を見た。
「ったく、エラルドはいつもながら阿呆ね。この風の流れが分からないの? 風魔法を使うのには適度の量の自然の風が必要。それにここならその丘の向こうの川も水魔法に利用できるわ」
アニェーゼ様はすらりとした指で丘の向こうを指さした。
思わず俺は首をかしげていた。
その動きをアニェーゼ様は見逃さなかった。
「ちょっとそこの!」
一瞬、自分のことを言われたことに気づかずに、俺は無様にキョロキョロと周囲を見回し、カッとなったらしいアニェーゼ様は、馬を寄せてきて俺の額にアイアンクローをかけて、
「貴様だ貴様!」
「ひ! す、すみません!!」
「名前は!?」
「リキニウスです!!」
「さっき、不満そうだったわね? どうして? 適当に言い逃れしたら許さないわよ? 細切れにしてこの荒野の野獣の生態調査に協力してもらうから」
「いや、あの……」
「心して答えなさい。いい? あなたの命が掛かってるの。あなたが細切れになった後復活できるような魔法を習得しているのなら別だけどね」
人形のように美しい少女が凄むその迫力に、俺は震え上がった。