竜の背
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空を竜の背に乗って飛ぶというのは初めての経験だ。
そしてもう二度としたくない、と思うのである。
何しろ怖い。風が強いし当然のことながら揺れるし俺はまるで「僕は竜の一部です」と言わんばかりに両手を広げて竜の背中に張り付いていて何とか耐える。
目の前に俺に背を向けて座っているレムスはそんな恐れを一切感じさせずすっかりリラックスしているようだが、なんでこんな態度でいられるのか分からない。
俺は風の中、顔だけ上げて
「……あ、あの」
レムスは振り向いた。
「ん?」
「落ちるのが怖くないんですか?」
「ああ、別に怖くないよ。落ちたら飛翔の魔術を使って飛べばいいだけじゃないか」
俺は首をかしげて考える。
「……なるほど」
俺は竜の背で身体を起こし、あぐらをかいた。
なるほど。それでいいのだ。
そう考えると怖くなくなった。
ただ、人は高所から落下する際、意識を失うという。意識を失うと魔術を唱えられないからアウトだ。気をつけないといけない。それから、俺にはもう一つ、
「えーっと、その杖、借りて良いですか? 杖がないと魔術唱えられないので」
「えー」
不満げな顔でレムスは口をとがらした。
「いや、あなた、さっき杖無しで魔術使ってたじゃないですか」
「そりゃそうだけど」
「貸してください」
それでも渋るのを無理矢理もぎ取った。
杖が手にあるとさらに安心度が増した。ようやく人心地がついて俺はため息をついた。
悔しかったがあの場でヒミカを殺すことは不可能だった。
竜の肉体は今どうして飛んでいるか分からないくらいに疲弊していたし、見た限りヒミカの魔術の腕は俺のそれを遙かに超える。失敗して俺がまた殺されたら振り出しに戻るどころの騒ぎではない。妹が一回、俺が二回殺されたことになり、貸しが増えてしまうのだ。
確かに妹はまだ発見できていない。
だが妹はもしかしたら幸せな人生を歩んでいるかも知れない。俺が妹を発見することによって、妹の新しい人生にむしろほんのちょっとだけ瑕疵が発生するかも知れない。もちろん妹は今の人生で苦しんでいるかも知れない。俺が妹を発見し彼女を救えるかも知れない。
だが、妹はまだ発見できておらず、そして仇は発見した。しかも仇としての自覚をもった仇である。転生前の記憶を失っているわけではない。
だから俺は、妹に関わるより、目の前のヒミカへの復讐を優先することに決めた。
何が何でも復讐を果たす。
妹を殺した相手に絶対しかるべき報いを与えてやらなければならない。
絶対に、だ。
どんなに惨めであっても、どんなにかっこわるくても、必ずヒミカには復讐する。
俺はヒミカ宰相の顔を復讐相手として脳に刻み込んだ。
あの場にシャープールやセリカはいなかった。せめて別れの挨拶だけはしておきたかったが今となっては不可能である。
生きていればまた会うこともあるだろう。
俺は大きく息を吐いた。
レムスを見る。
レムスは俺の仇と知り合いらしい。なら情報を聞きだしておくべきだろう。
「……いくつか聞いていいですか?」
「暇だしいいよ」
「あなたは……レムス一世なのですか? つまりレム王国の建国の王の」
「うん」
あっさり答えた。
俺は改めて死ぬほど驚きながら、
「じゃ、じゃあ、二百年生きているんですか?」
「二百年じゃないね。僕が誕生してからは八百年くらいたってるかな」
「!?」
うわぁ。八百年ってすげぇ。
俺が生まれた1992年の八百年前というと、いいくににつくろうかまくらばくふ、なのである。つまり鎌倉幕府誕生の年である。
鎌倉幕府でさえ141年で滅んだというのに、こいつは八百年。
「ず、ずいぶん若く見えますね」
「けっこうな時間を時間凍結させて過ごしているからね。活動している時間は合わせて百年くらいじゃないかなぁ」
「ああ……なるほど」
それでも百歳。俺は前世と今生を足して四十五歳。倍以上である。
「ヒミカ……って人もやっぱり長生きなんですか?」
「ヒミカ? ああフェデリカか。彼女は君と同じ転生体だよ。あのヒミカって身体は見かけ通りの年齢のはずだ」
ヒミカは俺の世界に転生し、そして祐佳を殺してこちらに世界に転生して戻ってきた、ということだろうか。
だが俺は首をかしげる。
「えーっと、あなた……っていうかレムス一世とフェデリカ・ハンニバルって仲間なんじゃなかったでしたっけ? レムス一世の伝説には大魔法使いフェデリカ・ハンニバルと無敵騎士のアルビオンがかならずついてきますよ? でも見たところずいぶん仲が悪いみたいですが……実は敵だったとか?」
「仲は良かったよ」
レムスは笑みを浮かべた。そして懐かしそうに続けた。
「うん。恋人だった時期もあったしね」
ヒミカの恋人……あまり、いや絶対に羨ましくない。殺人者を恋人に持つなんて最悪だ。
だが、レムスがヒミカについて詳しいことは間違いないようだった。
敵を知り己を知れば百戦危うからず。
俺は竜が目的地に到着するまでの間、ヒミカ、つまり、フェデリカ・ハンニバルの情報を可能な限りレムスから聞きだすことにした。
レムスによると、ヒミカはレムスを殺そうとしているらしい。
「なんでです?」
と訊ねると、
「僕がやろうとしていることが気に入らないみたいでさ」
「そういえばあなたは何をしようとしているんですか?」
「ん? ああ、竜って素敵だと思わないか?」
突然訳の分からないことを言い出した。
「……いや、まぁ、でかくて強いですけどね」
「いや、違う。魂の形だよ。竜の魂は一つだ。人間は違う。それぞれが魂を身体に隠している」
レムスは遠い目で続けた。
「だから、争いも起こるし、寂しいという気持ちも生まれる」
「はぁ……」
「僕はね、人間を一つの魂に戻したいんだ」
「ん?」
「生物はそれぞれ種族ごとに本来魂が一つだ。竜だけじゃないんだよ。犬や猫や魚なんかも全部そうだ。なのに人間だけがまるで一人一人が種族であることを主張するように、独立した魂を持っている」
「そう、なんですか?」
「うん。なんでそうなのかは分からない。人間の魂には本来あるべき“外皮”がないし、人間という器の中に発生した偽の魂魄なのではないか、と僕は推測しているけどね。つまり人間の器がそれぞれ、種族の振りをしている、ってことだ」
ちょっとよく分からない。
「……で、何をやるんです?」
「魂を一つにすればいい。そうすれば人間の器の中に宿った魂は正しい形を取り戻す」
「だからそれをどうやって?」
「ああ、そうか。魔術だよ」
レムスは笑みを浮かべた。
「そのための魔術を作り上げた。可能な限り多くの人間を一カ所に集める。そしてその魔術を発動させれば、その場にいた魂は一つになる。……今度こそ新しい種族の誕生だ。他の人間は救われないけど、まぁ仕方が無いさ」
俺は首をかしげた。
「うーん……」
レムスは焦ったように、
「あれ? 楽しくない? もう寂しい思いをすることもなくなるし、死や病気も辛くないよ?」
「でも楽しいこともなくなりそうじゃないですか?」
「いやいや、フィリッポに聞いたけど、あれでけっこう色々楽しいらしいよ? 星を見たり、川を見たり、人間を見たり……」
「見てばっかじゃないですか!」
「そりゃそうだよ。種族ってのはそういうものさ。世界を淡々と受け入れるんだ」
「まぁ、ヒミカってひとがあなたに愛想尽かせた気持ちも分かります」
「そうかなぁ……」
「でも、とりあえず僕はレムスさんの手伝いをしましょう」
レムスはきょとんとした。
「え? そうなの? 手伝ってくれるの?」
俺はにこやかに頷く。
「ヒミカに復讐することが僕の目的なので」
「うーん、それはいいけどさ。一つになったらそういうのも気にならなくなるんだけどなぁ」
「まぁまぁ、細かいことは気にしないで! 僕の目的はヒミカを殺すことなんで!」
「確かに闇魔法を使える人が手伝ってくれるのはけっこう助かるんだよね……」
「じゃあ、今後ともよろしく!」
「う……うん。じゃあ、そういうことで……」
「ついでと言ってはなんですが、この杖しばらく借りますね! 同盟者への協力ってことで一つ」
「え? え? そ、そうなの?」
「そうなんです! 大丈夫、魂が一つになれば所有権とかその手のことも気にならなくなりますよ!」
「え? あれ? そ、そうかな……」
「で、どこに向かうんでしたっけ? この竜はどこに向かっているんです?」
「ああ、レム王国だよ。反アヴァール帝国軍の一時的な集結場所にちょうど良かったからね」
レムスの返事に俺は懐かしい目をした。目の前にアニェーゼの顔が浮かんでいた。
「……懐かしいなぁ。まだ一年くらいしか経ってないはずなのに」
俺は竜が飛ぶ先に視線をやる。
この向こうにレム王国が、魔法塔がある。
そう思うと心がはやる。




