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過去

     @


 後で聞いた話である。


 ヒミカは中庭に向かって走った。

 ヒミカがいるのはカリュー辺境伯領のスザ城である。

 カリュー辺境伯だったヤルツが逃げ出した後、接収し反乱の事後処理を行っていたのだ。

 開け放たれたままの扉から走り出たヒミカがキッと空を見上げると、夕闇の中を巨大な竜が悠々と舞っていた。明らかに成竜である。狂っている様子もない。

 つまり誰かの意志に従っているはずだ。

 ヒミカは目を細めた。

 予想通り竜の背に誰かがまたがっているように見えた。

 竜の背に誰かがいるのであれば、それは“彼”に間違いなかった。

 ヒミカの魂を急速にわずかな懐かしさと圧倒的な憎悪が染め上げて行く。

 ヒミカは杖を握る手に力を込める。

 ヒミカは空に向かって叫んだ。


「降りてきなさい!! レムス!!!」


 その命令に従ったように、竜が急降下をはじめ、カリュー辺境伯領スザ城の城壁に降り立った。驚くほど静かな着地である。

 竜がその長大な羽根を折りたたむと同時に、竜の背から人間が一人飛び降りた。

 夕日が赤く染め上げる世界に降り立った銀髪の人物を見て、ヒミカの胸が針で刺されたように痛む。それを無視して、言った。


「……やはりあなただったのですね、レムス」

「久しぶりだね」


 レムスは微笑んだ。


「二百年ぶりかな? 君はまだ僕に敵対しようとしているようだね、フェデリカ。今はヒミカ・フェデリカ・ハンニバルと名乗っているんだったっけ?」


     @


 レムスがヒミカをフェデリカ・ハンニバルと呼びかけるのを魂魄で聞いた俺は衝撃を受けた。

 ヒミカがフェデリカ・ハンニバル?

 ど、どういうこと?

 フェデリカ・ハンニバルというのは俺の記憶が正しければレム王国建国の王レムス一世に従い魔法塔の創始者でもある大魔法使いのはずである。

 一方、彼女の前に立つレムスの方は俺を助け、そして俺の魂をアテアス大帝と話すための携帯電話代わりにしてずたずたにしたあの銀髪の青年に間違いなかった。

 レムスとフェデリカ・ハンニバル……レム王国の建国に関わる三人の重要人物のうち二人がそろっている。単に名前が一緒なだけなのか、それとも『本人』に何か関係があるのか。二百年ぶりと言っていたそのセリフが真実ならば、まさか本人たちの転生体が二百年ぶりに向き合っている、と言うことなのだろうか。

 では、俺の妹を殺したあの殺人者はフェデリカ・ハンニバルだというのか?

 俺は混乱した。

 なんのために? 魂魄を巻き込んだみたいなことを言っていた。もしかしたらこの世界に戻るために妹を殺したのだろうか。

 意味が分からなかった。

 歯があったら歯ぎしりをしていただろう。

 なんであろうと妹を殺したあいつは絶対に許さない。

 一方、俺の存在に気づいてないらしいヒミカはレムスを憎々しげににらみ付けた。


「……あなたの魂は分割して封じておいたはずですが、どうやって復活したのですか?」


 レムスは肩をすくめる。


「もちろん大変だったよ。まだ魂は取り返せてないしね。僕の身体に残った魂は三分の一だよ? 僕じゃ無きゃこんな風に動けなかったところさ」


 ヒミカは杖を掲げた。


「ならちょうどいい。その身体に残る魂も封印してあげましょう」

「それは困るね。僕にはまだやることがある」

「……世界を破壊しようとまだ思っているのですか?」

「違うよ。人間を正しい形に戻そうとしているだけさ。悩みも苦しみも差別もない状態へ。生物の正しい形へ」

「それがあなたの思い上がりだとなぜ分からないのですか!?」

「君のその意見は間違った進化をしてしまった人間の保守的な思考にすぎないよ。歪んだ進化のあげくに奇妙な場所に立ち入ったけど、そこに最適化してしまって、そこから出てこようとしない愚かな生物なんだ、僕達は」

「そんなことはありません! それにそもそも神でないあなたが人間のあるべき形を語るのはおこがましい、そう思いませんか?」

「僕は人とは異なる魂の形を持っていたからね。もしかしたら人間じゃないのかも知れないね。僕のような魂の形をしている人間を魔王とフィリッポは呼んでいたしね」

「……あなたと話していてもらちがあきませんね」

「はは、フェデリカとはいつも平行線だね。昔は君と僕とが口論になったらアルビオンがたいてい仲裁してくれたけど、ここにはいないからなぁ」

「アルビオンには……迷惑をかけました。しかしアルビオンは最終的には私の意見に納得してくれました。彼女が病気で亡くなる前に和解をし、あなたを止めるために協力することを約束してくれました」


 なんだか積もる話が始まったので、俺は俺の目的を遂行することにした。

 こっそりと魂魄のまま竜に近づき、触れる。

 声が響いた。


『人間の感覚では久しぶり、ということになるのか、リキニウスという名の人間よ』

『やっぱりフィリッポか。ちょっとお願いがあるんだけどいいかな?』

『言ってみるがいい。魔王の要請には可能な限り応えることにしている』

『あのヒミカって女に噛みついてもらえないかな?』


 俺の魂魄はヒミカを指さす。竜は首を動かしヒミカの方を見て、


『あの人間の娘もまた魔王の一人。従って我にはできぬ』

『え? そうなの?』

『肯定だ』


 計画はいきなり頓挫した。だが、竜の魂魄に触れていると別の可能性を思いついた。


『えーとさ、じゃあ、質問。魔王って何?』

『人間が言うところの魂魄に異常を抱えている存在だ。肉体と魂魄とが完全に癒着しておらず、魂魄が肉体に縛られない欠陥品だ』

『ふーん』

『何を感心している? お前もまた魔王と呼ばれる存在だ』

『そういえばそう言っていたっけ?』

『そうだ』

『なるほど。最後にもう一つ質問。なんか、さっきからフィリッポの魂魄に触れているとこれを操れるんじゃないか、って気がしているんだよね。どう思う?』

『操れるだろう。強力な魂魄を持つ存在は、そうでない魂魄を操れる。お前達はそれを闇魔法と呼んでいたはずだ』

『なるほど。じゃあ、無理矢理操らせてもらって良いかな? 確か身体がいっぱいあるはずだから一体くらい良いよね?』

『その確認に意味は無い。拒否したとしてもお前は実行するつもりだろう』

『まぁそうだね。ごめん』


 今度は返事を待たず俺はフィリッポの魂魄に片手を押し込んだ。


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