脱出
俺たちが立てこもった要塞は半円状にくぼんだ断崖絶壁の下に張り付くように建てられている。天然の要害を使って左右および背後からの攻撃を防ぐための位置取りだ。もっとも周囲から完全に孤立する地形でもあるため、後詰めがあることが前提になる。一度立て籠もったら、正面以外逃げ道はない。
俺はまず要塞の一番奥、崖のすぐ下から上を見上げた。十メートル近くさらにハングアップした崖。ロープも無しでこれを登ることはできそうもなかった。
となると脇から城壁を降りるしかないのだが、城壁の端に行ってみると驚いたことに城壁の端は崩れていて簡単に乗り越えられるような状態になっていた。
実にまずい。
考えてみればこの要塞はイズマール王国時代の物で、放棄されて久しい。モルデカイが周到に反乱の計画を練っていてその計画の中にこの要塞の使用が入っていたのならある程度整備はしたかも知れないが、この問題には気づかなかったのだろう。気づいていれば、一度でもここに立て籠もったりしなかったと思う。
それくらい致命的な欠陥だった。
俺が逃げ出したことでここの状況がばれるとずいぶん罪悪感にかられそうだ。
だが、今まさに要塞を抜け出す立場の俺としては楽になったのも事実で、俺は息を潜めて、崩れた城壁を乗り越えた。そのまま滑り落ちたりしないように慎重に降りていく。杖は背中にしょっているので、両手を使ってバランスをとりながら必死に降りた。
地面に降り立った後、俺は大きく息を吐いた。
ロープを垂らして下ろすのも大変だが、足場の悪い瓦礫の山を下りていくという行為もそれなりに心臓に悪かった。女の子と一緒に降りたら吊り橋降下で恋が始まってしまいそうである。
俺はしばらく息を整えてから、周囲を見回した。
俺が今いるところは張り出した城壁によって正面のモルデカイ軍からは死角になっている。だが、結局モルデカイ軍の中を通らなければ、ヒミカ宰相軍が行軍してきている街道にはたどり着かない。
やはり魔術を使わねばどうにもならない。
俺は杖を背中から抜いて手に取った。
また不思議な感覚がわき起こる。
杖と魂魄が呼応しているような感覚だ。
この杖は、いい感じの魔術の杖、と言うだけでなく何か特殊な効果が付与されているのだろうか。
海竜を退治した英雄の物という杖。そういえば、レムスが「僕の杖」と言っていたような気がする。ということは海竜を退治した英雄というのはレムスのことだろうか? あれ? でも海竜を退治した英雄というのは大昔の人間であるわけで……そんな人間が現代まで生き延びているわけもなく……。
もしかしてあのレムスも俺と同じような転生者なのだろうか。
だとするとレムスというのはまさかあのレムス一世?
レムス一世が現代に転生してきた?
俺は別の世界からこの世界に転生してきたようだが、確かに転生というものがあるのならこの世界からこの世界に、と言うのもある気がする。
頭がごちゃごちゃになってきた。
だが考えたり検証したりする時間は無い。
とりあえず俺は透明化の呪文を唱えた。
風が俺の身体に巻き付いてきた。
これで完了。
鏡がないので自分では確認できないが、自分の魔術を信じるしかない。
俺は息を潜めて、モルデカイ軍の方に抜き足で近づいていった。
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スパイゲーとかMGSとかゲームは楽しいが、リアルで武器を持っている人の間を隠れて進むというのは超恐ろしかった。
前にアニェーゼと一緒に透明化の魔法を使ってアヴァール帝国軍にちょっかいをかけたことがあったが、あれはヒットエンドランというか、遠くから攻撃して即逃げだったのでまだ心に余裕があった。
今回のリアルMGSはコンティニューの無い、発覚即詰み仕様である。しかもリアルだから痛みのおまけ付き。
俺はびびりながらそれでも震える足を前に進めた。
姿を消す魔術はけっこう初歩的なものであり、自分の魔術がちゃんと機能している自信はあったし、実際手を見ると消えているのだが、不安は残る。どこかが消えてないのではないか、という不安だ。顔とか背中とか。だから巡回の兵士が近づいてくるのに気づいたときは緊張で心臓が破れそうだった。幸い巡回の兵士は俺に気づかずにそのまま通り過ぎてようやく俺は胸をなで下ろした。顔とか背中とか髪の毛だけ浮かんでいる、という奇妙なことにはなってなかったようだ。自信を取り戻した俺の足はちょっとだけ速まった。
姿を消す魔術とは、要は光をゆがめて視覚をごまかす技術である。だからじっくり見れば絶対にばれる。姿を消して護衛のいる要人を暗殺、と言うような使い方はできない。
だが、幸い陣地というのは常に人が動いている。
室内ならきっと風の動きや音とか、うっすら見えるなにかとかでばれてしまいそうだが、屋外で夜で人が動き回っている、と言う状態では、俺の存在に気づく者はいなかった。
俺はけっこうあっさり陣地を突破し、街道に出た。
ここからは体力勝負である。
俺は杖をもう一度背中にくくりつけて、息を整えてから走り出す。
長距離を完走することが目的だ。
だから焦らずじっくりと、無理をしないように走る。
とにかく走り続ける。
道ばたで三度休み、二度ほど通りすがりの馬車にヒッチハイクさせてもらった。
お礼を言った後、街道から逸れるという馬車から俺は一人降りて、もくもくと一時間ほど歩いて、ふくらはぎも足の裏ももう限界、という段階になって俺はいったん道ばたでうずくまってぱんぱんになったふくらはぎをマッサージした。しゃがみ込んでいる俺の頭の中には暗い想像しか浮かんでこなかった。本当にヒミカ宰相率いる軍はこちらに向かっているのか。もしかしたら何かの間違いで別のルートを使っていてすれ違ってしまったのではないか。あるいは俺がうつむいている間にすれ違ってしまったのではないか。そもそも俺は大切なものとすれ違ってきたのではないか。そんな俺はなんのために生きているのか。どうして世界は丸いのか。
そんな鬱状態の時、馬の足音を聞き、疲れ切った顔を上げると、近衛武官の白い鎧が目に入った。
先駆けの騎兵だった。
思わずうおっと声を出してしまった。その声に近衛武官は反応した。
不審者を見る目でにらみ付けてくる。
俺は慌てて立ち上がり、砂を払ってから、
「ヒ、ヒミカ宰相閣下率いる近衛隊ですか?」
追っかけみたいに聞こえたかも知れない。
先駆けの近衛武官の目がさらに鋭くなる。
「貴様は何者だ?」
肯定と受け取っていい。やったーっ! と小躍りしたくなるほど嬉しかった。
念のため再度鎧を確認。白い鎧はこの国では近衛武官のみである。大丈夫だ。目の前の騎兵が間違いなく近衛武官である。俺は懐から書状を二枚出した。
「カリュー辺境伯領の派遣武官府のリキニウスと申します。こちらにダレイオス将軍ともうひとかたやんごとなきお方よりの書状を」
「なに!?」
先駆けの近衛武官は騎馬に乗ったまま俺から書状を受け取り、印章を確認し、驚きに目を見開いた。
「これは……たしかに本物のようだ……」
俺はかしこまって訊ねる。
「ヒミカ宰相閣下の本隊は?」
近衛武官は先ほどよりは警戒を減らし、当惑を増した表情で俺の方を向いて答えた。
「すぐ来る」
「お急ぎください。書状を読んでいただければ分かりますが、やんごとなきお方に危険が迫っています」
近衛武官の視線が光った。
「印章を持ち帰って秘書官に確認してからだ」
「分かっています。では私は書状を無事渡せたことを戻って伝えます」
「おい!?」
近衛武官は驚いたようだったが、俺は背を向けて再び早歩きで歩き出した。
急いで戻らなければならない。
あの書状を読めばヒミカ宰相も全力で進軍させるだろう。だが、それでも軍というものは輜重隊や工兵を抱えているため遅い。ローマ軍や、アレクサンダー大王のマケドニア軍で一日二十四、五キロの行軍だった。本能寺の変に際しての豊臣秀吉の中国大返しも、秀吉および一部の部下は一昼夜で八十キロを踏破したが、本隊がそろった時間を考えれば平均して一日二十八キロにすぎない。また今回、たどり着いた先ですぐに戦闘が予想されるため、余力も残しておかなければならないことを考えると、やはり俺が戻って伝えた方が早い。
だが任務をやり遂げたために一気に足取りが軽くなった。
必死に歩いていると、後ろから再び馬が来た。
振り返ると先ほどの近衛武官だった。
「あの……何か?」
近衛武官はひらりと馬から下りると、その手綱を俺に向かって差しだし
「急いでいるのならこの馬を使え」
「あ、ありがとうございます!」
一応、リキニウスは馬には乗れる。
これでずいぶんと時間短縮できる。
俺は近衛武官の好意に心の底から頭を下げた。
近衛武官は俺が鞍に上がる助けもしてくれ、しっかりまたがったのを確認した後、街道を駆けて戻っていった。
俺は馬上で去って行く近衛武官に対して再度頭を下げ、それから前を見て馬に拍車を入れた。




