吶喊
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突然、吶喊がわき起こり、俺は大いにうろたえた。
え、え、え? と手かせを着けたままおろおろしていると馬車にセルマが飛び込んできた。
セルマは躊躇なく
「主人殿こちらへ!」
俺は左右を見回し、手かせを着けたまま代官府から盗ってきた杖をとりあえず掴んだ。
これは置いておけない。
掴んだ瞬間違和感があった。杖から何かが流れ込んできたようなそんな感じだった。だが、困惑している俺をセルマは杖ごと抱え上げ、そのまま走り出した。
驚いたことに馬車から出ると周囲は戦闘中だった。
アヴァール帝国軍同士が戦っているように見える。
しかし、敵はモルデカイの部隊よりもずっと多い。
いったい何が起こっているのか。
あちこちで剣と剣が交わり、火花が散っている。
さすがに俺を抱えて戦闘に飛び込むのはためらわれたようで、俺はいったん下ろされ、代わりにセルマは自らの剣を抜いて駆け出していく。
俺はイズマール党に護られながら必死に前へ前へ駆ける。手かせがあるために俺としては抵抗もできない。ただ生き残るために、死なないために、必死になって走り続ける。
乱戦になっていたので弓が使われなかったことが幸いだった。囲まれて弓で狙われたら目も当てられないことになっていただろう。数の暴力は飛び道具こそ効果を発揮するのだ。だが敵味方入り乱れる乱戦では味方に当たる恐れがある弓は使用できなかったため、結果としてモルデカイ・ヤルツ軍は充分な力を発揮できなかった。一方、近接戦においては近衛武官の個々の高い戦闘力が意味を持った。またモルデカイは俺たちがモルデカイ軍にまっすぐ向かってくることは予想していなかったようで、おかげで俺たちはモルデカイの陣を突破し、なんとか要塞の中に入り込むことができた。
すぐにダレイオスによって城門が閉められた。
城門は樫の板を何枚も重ねた分厚い物だ。
さらにダレイオスは城壁へ弓を持たせた部下を上げた。これは防御のためである。
城という物は城門を閉じればいいというわけではない。
要所要所に人員を配置し護らなければ、城壁は簡単に乗り越えられてしまう。要は城は『護りやすく』構築された陣地なのである。自動で護ってくれる訳ではない。
ともあれ城壁という物に護られることの安心感は強い。
俺がホッとしていると、
「おう、兄弟。無事だったか」
シャープールがダレイオスと連れだってやってきた。
見ればダレイオスのあちこちに傷がある。この乱戦の中、近衛隊の被害は二十人ほどだったという。一方、シャープールは身体がいったい何でできているのか傷が見当たらない。
確か先頭に立って暴れ回っていたはずなのに。
怪物というのはどこまでも怪物らしい。
とはいえ助けてもらったことは間違いなく、俺は殊勝に頭を下げた。
「おかげさまで」
うんうん、と頷いているシャープールの横でダレイオスが聞いた。
「リキニウスと言ったな、お前は剣は使えるのか?」
意図が読めずにちょっと困惑しながら俺は答えた。
「シャープールさんに一通り教わりました。得意ではありませんが」
ダレイオスは俺の全身を見て、それから手かせを見て、
「ここにいる以上、戦力として働いてもらう。我々はこの要塞を三日死守しなければならないのだ」
「はい」
「正直その身体ではとても戦力にはなりそうもないが、シャープール殿やイズマール党がお前に気をとられて不覚をとられても困るしな」
ダレイオスはぶつぶついいながら俺の手かせの鍵を外した。
「いや、兄弟はやるときはやる男だ。俺は知っている」
腕組みしながらえらそうにシャープールが断言する。
なんの根拠でそう言っているのか。
だが、この杖があれば……と俺は持ったままだった杖をグッと握る。
するとダレイオスが難しい顔をしながら言った。
「魔術はしばらく使ってはならん」
「え?」
「レムスとやらの“扉”になる直前、お前は魔術を使ったはずだ。それがきっかけで、再び“扉”になるとも限らん。陛下から直々に禁止を言い渡されている」
「わ、分かりました」
「ただし、状況によっては使ってもかまわん」
「え?」
「魔術なるものは時と場合によって非常に強力な効果があると聞く。ならばその時が来たと思ったならば躊躇無く使え」
「……じゃあ、僕の疑いは晴れたのですか?」
ダレイオスは苦い顔で言った。
「……シャープール殿の勘を信じることにしただけだ。シャープール殿が大丈夫だと言えば大丈夫なのだろう。つくづく俺が思考しても無駄だと思い知った」
「はぁ……」
思わずダレイオスと一緒にシャープールを見る。シャープールは気にした様子もなく、城壁の上を見て、
「敵の陣容を見に行くとしよう」
シャープールが城壁の上へ上がっていく。
「付き合いましょう」
ダレイオスも後に続いた。
何となく俺も付いていく。
城壁の上に立ったシャープールは手をかざして眺め渡した。
「おう。見渡す限り敵だな。確か三千か」
シャープールの言葉通りだった。まだ夜であるため夜襲を警戒するかがり火がズラリと並んでいる。どこか幻想的な光景だ。
突然、風を切る音がして、シャープールがひょいと顔を避けた。先ほどまでシャープールの頭があった場所を矢が通り過ぎる。
シャープールは平然とした顔で下を覗き込み、
「おうおう、きちんと見ているな」
「ですな」
シャープールは狙い撃ちされていることを気にした様子もなくダレイオスを振り返った。
「で、状況はどうだ?」
「よくありませぬ」
「ほう」
「この要塞は備蓄がろくにありません。矢も食料もありません。我々が持っていたわずかな物だけです。井戸はあるので水は大丈夫ですが」
「なに!? 食い物がないのか……」
「ええ。困ったことに」
シャープールは頭を抱える。
「それはまずいな……俺も腹が減ればいつもの力は出んぞ……」
俺はふと思いつき口を開いた。
「あの……」
「なんだ兄弟?」
俺は食料がないと聞いてすっかりしょげているシャープールの方をまっすぐに見た。
「矢も食料もないとなるとヒミカ宰相が率いる本隊に少しでも早く来てもらわないと困りますよね?」
「もちろんそうだな」
「だけどヒミカ宰相は皇帝陛下の現状を知りません。だから誰かが伝えた方がいい。そして、どうせ僕はここで戦っても役に立ちません。なら、僕がここを出て伝令として本隊に今の状況を伝えます」
シャープールは顔をしかめた。
「いや、ここを出るといってもこの包囲の中どうやって出るのだ? 見つかれば間違いなくなますにされるぞ?」
「魔術を使います」
ダレイオスが舌打ちをする。
「魔術は禁止と言っただろうが!」
「いざというときに使えともおっしゃいました。なんなら要塞の外に出てから魔術を使ってもかまいません。それならば迷惑は掛けないでしょうから」
ダレイオスは黙った。だが、シャープールはまだ渋い顔をしている。
「だがな……」
シャープールに耳打ちした。
「うまくいけば、空腹がそれほどでもないうちに闘えますよ?」
シャープールの顔が輝いた。
シャープールは俺の肩をがっしりと掴み、
「お前にしかできない! 大丈夫だ、兄弟ならやれる!」
「はあ」
そこまで現金に言われるとそれはそれでちょっと辛い。
だが、冷静に考えて矢も食料も無しで三日間持ちこたえるのは無理である。
しかもこの要塞には皇帝さえいるのだ。鍛えられた近衛武官はともかく、女性である皇帝にとっては体力的に相当きついのではないか。
とりあえずアテアス大帝には、忠誠心はないが、レムスの件で殺されなかったどころか治療を受けたらしい恩がある。それにシャープールやセルマ達が殺されるのも忍びない。
やはり、ここは透明化の魔法を使える俺が行くしかないではないか。
結局、ダレイオスもそれが最善であると納得した。
俺は城壁から降りて、準備をした後、セルマのところに向かった。
セルマ達は生き生きと籠城の準備をしていた。
事情を説明すると、「私もついていく!」と言いだしたが、もちろん、無理である。
何とか説得し、別れの水杯を交わした。
これで思い残すことはない。
すでにアテアス大帝と親衛隊長ダレイオスの親書は手に入れてある。
これをヒミカ宰相率いる本隊に渡せばいい。
俺は決意の顔で立ち上がった。
次の更新は週明け予定です。




