怪物(修正済み)
海賊が入り込んでから今までわずか四時間ほどの間だったはずだが、ジエタの被害は想像以上に大きかった。
色々話を合わせると海賊は二百人規模だったようだ。それが守備隊を襲う一方、組織的に火を付けて回ったらしい。
またジエタの有力な富商の二軒が襲われ、財宝を奪われた。富商については哀れとは思わなかったが、守備隊として自分たちの仕事を全うできなかったという悔しさは感じた。そしてなぜかジエタの中心の聖堂も襲われたという。聖堂にはこのジエタ建設の契機となった、海竜退治の英雄の杖が納められていたはずだ。好事家に高く売れるのだろうか。
その後の海賊の撤退は驚くほど速やかで、誰かがラッパを鳴らすと、来たときと同様、風のように去ったという。
シャープール将軍は町中を駆け回って、海賊を探しては『襲って』いたようだが、結局思ったほどの成果は上げられなかったようだ。
「出会えたのは雑魚ばかりだし、こう入り組んでいる町は性に合わん」
クィントゥスは守備隊の指揮を執り、燃えている建物からの類焼を防ぐために周囲の建物を破壊していたところ、そこに現れたシャープール将軍にふて腐れたようにそう言われた。
「海賊を倒したのですか?」
「俺は戦争でなければ向かってこない弱者を殺したりはせん! ……向かってきた奴は殺したが」
クィントゥスはすぐに、守備隊のベッソンに命じた。
「死体をすぐに確保してこい」
「分かった!」
ベッソンはシャープール将軍からざっと場所を聞いて駆け出していった。
「建物を壊せばいいのだな。俺も手伝おう」
シャープール将軍が巨大な木製の槌を手に立ち上がり、消防活動に加わった。
シャープール将軍が加わってからの、消防活動の進み具合は驚くほどで、二人がかりで崩していた壁がシャープール将軍の木槌の一撃で抜けるようになり、ひとまず燃えている建物の周辺はほぼ均し終えた。これでよほどの大風でもいきなり吹かない限りは、燃えている炎はその場を焼き尽くして鎮火するだろう。
建物を壊す、というのは近衛武官の将軍にもそれなりに楽しかったようだ。
「よし、次はあれを壊すぞ!」
嬉しそうにシャープール将軍が指さした先はジエタの象徴とも言うべき杖の祀った聖堂だった。海賊の略奪にはあったものの放火はされてなかったのである。
「そ、それはなりませぬ!」
守備隊がシャープール将軍から聖堂を必死に守るという一幕もあった。
不満げなシャープール将軍をなだめていると、海賊の死体を確保しに向かわせたベッソンが帰ってきた。
ベッソンはずいぶん走り回っていたようで、戻ってきた後も荒い息を吐きながら息を整える時間が必要だった。
しばらくしてベッソンは顔を上げ、申し訳なさそうに
「将軍の言葉の場所を探し回ったのですが、死体は発見できませんでした……」
クィントゥスが眉をひそめる。
「何!? どういうことだ?」
「死体を目撃した住民はいたので、死体があったのは間違いない。それが俺がたどり着いたときには無くなっていたから、すでに誰かが回収したとしか……」
クィントゥスは首をかしげた。
海賊の撤退はおそらくシャープール将軍の出現が原因だと思われる。予想外の強敵の出現によって、守備隊の詰め所も確保しきれず、海賊の中の手練れと思われる『小柄な海賊』も手傷を負い、四人以上殺された。一応、二軒の富商の略奪を完遂したことで、一定量の目的は果たしたと言うことで、傷口を広げないうちに、と逃げたのだろう。
それなのにわざわざ死体を回収していく必要があるだろうか、と思う。海賊達が仲間の弔いに熱心だとはとても思えない。宗教心などまったく感じられない残虐非道ぶりだった。
では死体を隠したい理由でもあったのだろうか。
たとえば、一目で海賊達の根城が分かるとか、あるいは死体に入れ墨で宝の地図が……などと考えていると、シャープール将軍が言った。
「お前達がいた場所、あそこにも死体があるのではないか?」
シャープール将軍の言葉に、クィントゥスは目を見開いた。確かに自分たちがいた場所=詰め所にも一つ死体があったはずだ。『小柄な海賊』の次に入ってきた海賊は、シャープール将軍に首を折られて死んだ。そして、詰め所は海賊にとって強敵=シャープール将軍の巣くう魔窟である。撤退を決めた後、わざわざ危険を冒してまで詰め所に死体を回収しに行く愚を犯すとは考えにくい。
クィントゥスは立ち上がった。シャープール将軍の目をまっすぐに見て、
「シャープール将軍、詰め所に戻ってもよろしいですか?」
「よし、いくか」
とシャープール将軍もうなずき、立ち上がった。シャープール将軍が歩きだすと、当然のようにそこらにいた全員がシャープール将軍の一歩後ろをついていった。まるでボスに従う犬の群れのようだが、自然とそうなった。シャープール将軍の立場がそうさせているわけではない。むしろ、シャープール将軍が近衛武官の将軍である、という事実を知るものは少ない。「なんで将軍と呼ばれているのだろう?」と疑問を抱きながらも、当然のように従ってしまっているのだろう。それがシャープール将軍の持つ人間の格であり、存在感だ。
クィントゥスもまたどこか不思議な安心感と一体感でシャープール将軍の背中を見つめる。
この人についていけば大丈夫だ、いつの間にかそんなことを思っている。
詰め所の惨状は、外から見ても出てきたときのままで、やはり海賊はここには来なかったようだ、とクィントゥスは胸をなで下ろした。
戸口から中を覗き込むと血の濃い匂いで思わずむせそうになった。そこかしこに守備隊の斬殺死体が転がっていて、その手前に海賊の死体も首が捻れたような格好のまま、床に転がっている。
何となくついてきたジエタの住民が死体を見て悲鳴を上げた。
クィントゥスはベッソンに、とりあえず守備隊以外の人間を外に出すように伝えて、扉の残骸を踏み越えて中に入った。
まず準備をしなければならない。
仲間の死体を守備隊の面々で手分けして二階へ運んだ後、丁寧に並べた。並べ終えた後、全員で目をつぶってしばし黙祷を捧げる。
それから一階に降りて、海賊の死体の前にしゃがみ込んだ。
「ふむ。こいつは兵士としては二流だな」
腕組みしたまま死体を見て、シャープール将軍はそう言った。
「見ただけで分かるのですか?」
「もちろんだとも。実力によって筋肉の付き方は変わる。こいつはダメだ。あのちびっ子はなかなかのものだったが」
シャープール将軍はどこか別れた恋人のことを思い出しているような表情でそう言った。
おそらく『小柄な海賊』のことを言っているのだろう。
若干呆れた気持ちになりながら、クィントゥスはとりあえず海賊の死体から衣服を剥いでいった。武器や装備は何らかの情報があるかも知れないため、すべてためつすがめつし、床に並べる。
武器や鎧は量産品のようだがかなりしっかりしたものだ。アヴァール帝国軍の正規の装備と比べてなんの遜色もない。
だがそれ以外は一通り調べたが、おかしいところもなにか身元を特定できるようなものも発見できなかった。
もしかしてこいつは回収の必要が無かったから残したのだろうか。
首をかしげていると、シャープール将軍が難しい顔で下着のみになった海賊の死体を見ていることに気づいた。
「どうされましたか?」
「……こいつはアヴァール軍人だな」
「え?」
「間違いない。アヴァール軍人は騎乗射を訓練させられるため、太ももの内側に筋肉がつく。しかもその際、アヴァール帝国の騎乗法には癖があるから独特の付き方をする。こいつは正規の訓練を受けた人間だ」
「で、では……」
クィントゥスは驚いた顔で改めて海賊の死体を見る。自分の目からはまったく違いが分からないが、そういうことであるならば死体を回収した理由も分かる。
「思えば他の奴らもどこかアヴァール帝国軍の匂いがしたな。くそっ、アヴァール帝国軍人に、あの統率の取れ方、そしてやけにまっとうな装備……面倒なことになったぞ」
シャープール将軍は頭をくしゃくしゃとかきむしった。
それから何かぶつぶつとつぶやきはじめる。
「まぁいい。兄弟が戻ってくるまで待つか。ん? 一応、中央に連絡しておいた方がいいか。ったく面倒だが……そうかベルタに命じれば簡単に連絡がつくぞ」
晴れ晴れしたようにシャープール将軍は顔を上げた。
「念のため夜間は城門を閉めよ。また二人で組を作って定期的に巡回するように」
「了解しました!」
「俺は宿屋に戻る。何かあれば来い」
シャープール将軍は当然のように言い捨てて、歩き出した。
守備隊の面々は、クィントゥスも含めて頭を下げた。その場にいる全員がシャープールのおかげで命拾いしたのは紛れもない事実だった。
ジエタが海賊に襲われてから、三日があっという間にすぎた。
類焼も無事に止まり、犠牲者の火葬もすんだ。守備隊は半減してしまったが、とりあえず殉職者の家族には年金が支給されることに決まり、一段落ついた感があった。
四日後、一つの報告がジエタの守備隊にもたらされ、その内容は守備隊の面々の胸をなで下ろさせた。
「このことは、シャープール将軍にも伝えた方がいいのでは?」
と誰かが言い始め、代表してクィントゥスがシャープール将軍が泊まっているという宿屋に向かうことになった。
報告の内容を思うと自然と足取りも軽くなった。
宿屋の部屋にいたシャープール将軍はなにやら、見慣れぬ長大な矛のバランスを確認していた。
開けっ放しの扉の外からクィントゥスが声をかけると、
「おう、守備隊の男だな。どうした?」
名前を覚えてもらえてなかったことにややショックを受けたクィントゥスは、シャープール将軍が持っていた矛についてとりあえず訊ねた。
「……それはいったいなんですか?」
すると、シャープールは目を輝かせて、
「竜を倒せるような武器をずっと考えていたのだがな。ようやく鍛冶屋が試作品を作り上げたとのことで部下に持ってこさせたのだ」
「ほう。竜、ですか」
「うむ。強敵だ」
ちょっと興味を引かれて、
「どういった武器なのですか? 矛のように見えますが……」
「お、持ってみるか?」
シャープール将軍が片手でひょいっと渡した矛を、クィントゥスが片手で何気なく受け取ろうとした瞬間、
「!」
支えきれずにそのまま落としてしまった。
ずしんと宿屋が揺れた気がした。
「な、なんですかこれ?」
足に当たったら大事だった。
「鋼鉄製の矛だ。これならば竜に一撃を入れられるぞ」
床に落ちた矛を両手で持ち上げてみる。今度はさすがに何とか上がったが、とても武器として振るえる重さではない。シャープール将軍はこれを木の棒くらいの感じで遊んでいたのだが、実際は二十キロはあるのではないか。
「……凄まじいものですね」
シャープール将軍はへっぴり腰のクィントゥスの両手から矛をひょいっと片手で持ち上げて肩に担いだ。
「相手は竜だからな!」
「なるほど」
クィントゥスに竜というものはあまりなじみがない。ただ化け物だという漠然とした知識だけがある。なるほど、この武器であればその『竜』を退治できるかも知れない。もっともあの矛を自在に扱うシャープール将軍も充分に化け物だが。
「それはそうと俺の矛をわざわざ見に来てくれたのか?」
「あ、違いました」
クィントゥスは改めてシャープール将軍に向かって報告をする。
「ジエタを襲った海賊ですが、捕らえられたようです」
「何?」
その「朗報」と呼ぶべき報告になぜかシャープール将軍は焦った顔をした。
「どうされました?」
シャープール将軍は気まずそうに顎をかく。
「いや、アヴァール帝国軍が海賊に荷担しているとなると、近衛の出番だからな。すでに連絡してしまったぞ。奴らも忙しいのに無駄足を踏ませてしまったか」
「それは申し訳ないことをしましたな。いずれにせよ、海賊は全員捕縛されたとのことです。海賊逮捕の功績は、カリュー辺境伯麾下のモルデカイ殿のものとのこと。どうやらイズマール党が海賊に扮していたらしいのですが……」
「イズマール党? そういえばベルタもそんなことを言っていたな。確か兄弟が接触している海賊もイズマール党がどうのこうの……おい! ベルタ、詳しいことを……って、ああっ奴は中央への連絡に行かせたのだった! ……ったく肝心なときに使えない奴だ!!」
それからふとシャープール将軍は首をかしげ、
「……そういえばイズマール党とはなんだ?」
「カリュー辺境伯領は、かつてイズマール王国という小国だったのです。そのかつての支配層がそのままイズマール党として徒党を組んでいたようで。さして悪さをするわけでも無く、ジエタにも労働の手伝いに来ていたようなので、気にしておりませんでした……」
「ん?」
シャープール将軍は首をかしげた。
「何か?」
「イズマール党とはつまりアヴァール帝国ではないのだな?」
「そうなります」
「いや、あの死んだ海賊はアヴァール帝国軍人だぞ?」
「……そういえば」
クィントゥスは海賊の死体を思い浮かべる。シャープール将軍は、筋肉の付きかたでアヴァール帝国軍人だ、と断じていた。あの死体がアヴァール帝国軍人だというのが間違いなければ、イズマール党が犯人ではない、ということになる。
クィントゥスの気持ちを読んだようにシャープール将軍が顔をしかめた。
「……俺の勘が、より面倒なことになったと言っているぞ」
シャープール将軍の言葉にクィントゥスも頷いた。
「仕方が無い、確かめてみるか」
シャープール将軍は言葉とは裏腹に実に嬉しそうな笑顔で手に入れたばかりの矛を片手に立ち上がった。
「お供します」
「いや、俺一人で充分だ。お前はジエタに残って引き続き治安の維持に当たれ。海賊どもがまた襲ってくるとも限らん」
「分かりました」
そう答えたが、シャープール将軍と離れることに若干の寂しさを覚えている自分がいることにクィントゥスは驚いた。変わった人間だが、独特の魅力がある。
クィントゥスは頭を下げた。
「お気を付けて」
まるっと書き直しました。




