大帝
俺は、はいはいと言いながら、準備よく先ほど厨房でもらってきた鶏のささみを生のまま並べた皿を床に置くと、思念波の主である竜の幼生ーーフィリッポが飛びついてがつがつ食べ始めた。
その浅ましい姿に、しょせん畜生だな、と思いながら、なぜか開いていた窓を閉める。レム王国に比べるとずいぶん北に位置するし、地熱もないため、さすがに夕方になると冷える。
ささみをあっという間に食べ終えてようやく人心地が付いたのか、フィリッポは俺の膝に飛び乗ってうとうとしながら、
『そなたが相手をせぬせいで我は暇で暇でしょうがない』
と思念波を届けてきた。
「いやいや、暇って、あなた、こっそり窓から外出て飛び回っていましたよね?」
『ぎく』
「やっぱりそうか。しかしよく窓を開けれましたね」
『実に苦労した』
「次から出て行くときにちょっとだけ開けておきましょうか?」
『助かる。人の文明のすべてが我には興味が尽きない』
「ただし絶対人に見つからないでくださいね。万が一竜の幼生だとばれたらとんでもないことになります」
『忠告の通りにしよう』
俺がフィリッポの喉の裏をゆっくり撫でてやると、猫のようにごろごろと音を立て始めた。
やはり畜生。ちょろい。
フィリッポの喉の裏を撫でながら俺は考える。
実際のところ、竜の幼生がばれる可能性は少ない。変わった鳥か、変わったトカゲとしか思われないだろう。
何しろ、ここアヴァール帝国では竜が極めて珍しいのだ。
シャープールと俺が出会うきっかけになった竜も、怪我をして半ばおかしくなって北上してきたものだということだし(結局そいつもフィリッポによって南に帰った)、それこそアヴァール帝国にすむ人にとっては竜は伝説の中くらいにしかいない存在らしいのである。
一方、レム王国の魔法塔では竜は雷と同じくらい頻繁に起こる災害だったので、その落差に俺は首をかしげる。
まぁ、暖かいところに生息する竜はそういうこともあるだろう。カンガルーだってオーストラリアにしかいない。
だが、竜以上に俺を驚かしたことが一つ。
なんとアヴァール帝国には魔術師がほぼ存在しないのである。
確かに強力な魔術を使用するには魔力の強い場所にいることが必要だが、魔術師の生息域とは関係ない、と思う。別に魔術師は寒い気候だと弱ったり死んだりするわけではない。俺も今のところ弱っている気配はない。弱っていたとしてもそれはベルタ姫のイジメのせいで、気候のせいではない。
というかさらに言えば魔術の存在そのものをアヴァール帝国の一般人は知らないようなのだ。アヴァール帝国における魔術師は、むしろ俺がいた日本での『魔術師』のイメージに近く、よからぬ力を振るうよからぬ老人なのである。よからぬ力のもとは『魔法』という超常的なもので、よく分からない、という設定になっている。
一応、高級軍人であるシャープールは「魔術師の存在」を知識として知っていたが、シャープールは「魔術というのはレム王国の特殊技能ではないのか?」と言っていた。レム王国の奥深くで、物好きたちが役に立たない技術をしこしこ磨いている、そんなイメージらしい。
レム王国民にとっては魔法は、科学と同じくらいちゃんとした技術なので、その落差に驚いた。
いったいどうしてこんなことになったのだろう?
レム王国は魔術の先進国で、その技術を隠匿している、というだけのことなのだろうか?
真実はまだ分からないが、とにかくレム王国を出なければこんなことには気づかないまま一生を終えるところだったわけで、これもまた、レム王国脱出の余得と言えなくもなかった。
ちなみにレム王国を脱出した一番目の目的は、時間凍結刑からの逃走でこれは現状達成しているが、二番目の目的、命の恩人レムスの依頼はいまだこなせていなかった。
レムスから渡された袋の奥に入っていた手紙には、「アヴァール帝国の女王との接触」とだけ書かれていて、細かい指示など何もなかった。それくらいなら直接言ってもらってもちゃんと覚えられていたはずだが、確かに聞かなかったことにしたいくらいの難問である。
アテアス大帝との接触。
この難問と向き合う度におれは「うーむ……」と悩むことになる。
普通は異国人がアテアス大帝に会うことはできない。
偶然ベルタ姫とは出会うことができたが、皇帝のスペアにすぎないベルタ姫と皇帝そのもののアテアス大帝とではまるで状況が違う。
アテアス大帝は基本、都を動かない。だからアテアス大帝に接触するには都に行かなければならないわけで、しかもアテアス大帝は最強の近衛武官によって幾重にも護られている。他国人である俺が接触する手段などありはしない。驚くことに近衛武官であるシャープールでさえ、アテアス大帝の顔をろくに見たことがないのだと言う。
さすがにベルタ姫はアテアス大帝と会ったことがあるようだが、俺をアテアス大帝に紹介する気などかけらも無いだろう。
宮殿の奥深くにひっそりと生きる大帝。
なかなかロマンチックかつ神秘的である。
闇魔法を使えば何とかなりそうな気もするが、闇魔法のせいで色々あったわけで、とりあえずまず闇魔法無しで方法を考えたいと思っていたりする俺がいる。
ではいかなる方法でアテアス大帝と接触するか。
実際のところその手段が今のところまったく浮かんでいないのだ。
まったく面倒だ。
妹も探さなければならないのに、やらなければならないことが多すぎる。
そして思考が停止すると俺の脳裏には別れたときの泣き続けているアニェーゼの顔が浮かんでくる。
アニェーゼはどうしているだろう?
元気だろうか。
俺のことをまだ覚えていてくれるだろうか。
俺はもう一度長いため息をついた。




