魂魄
俺がナタリアの身体に重なって見える虹色の物体を撫でていると、
「な、なによ……」
今度こそほんとうに顔を赤らめたナタリアがなんだか色っぽい声を出して、ようやく自分が何をしているか気づいた俺は慌てて手を引っ込めた。
「ご、ごめん」
「……いいけど、どうしたの?」
「いや、ちょっと何が何だか分からなくて……」
怪訝な顔をしたナタリアはそれから心配げな表情になった。
「……まさか、お姉ちゃんの実験で妙なことになったわけじゃないでしょうね?」
ナタリアもちゃんと姉が悪いということをちゃんと認識していたらしい。
だがそれ以上に、その言葉は俺に衝撃を与えた。
イレーネ師匠の実験が関わっているとするならば、この目の前の『モノ』は、魂魄ではないかと気づいたのだ。
闇魔法は、そもそも魂魄に影響を与える魔法である。
だからこそ、魂魄に刻まれている記憶ーー前世の記憶を俺は思い出したわけで、魂魄をイレーネ師匠の闇魔法で弄られた俺はその影響で人間の魂魄を見れるようになったのではないか、と推測したのだ。
魂魄は魔力のもとともされる。
俺は急いで魔術用の呪文を唱えてみた。
「ちょっと! 実験塔以外で魔法は使っちゃダメでしょ!」
ナタリアの言葉を無視して続けた。
俺の身体に重なっていた半透明の『モノ』がすごい勢いで不可思議な流れを見せ始めた。同時に、魔力の気配が蠢きはじめた。
「こら! やめなさい!!」
言われなくてもやめた。
確信できたからだ。
間違いない。この『モノ』は魂魄だ。
俺は感動に打ち震えた。
これはある種の革命と言っていい。何しろ今まで魂魄は目に見えなかったのだ。理論上で存在だけは推測されていたにすぎない。ダークマターみたいな物だ。そして目に見えない物を、その成果である魔力の気配だけを頼りに制御しようとしていた。だから精緻なコントロールができなかった。結果、魔術はどうしてもおおざっぱで不安定な物となった。
だが俺には魂魄が見え、つまり細かな制御ができる。
呪文で魂魄がどのように反応し、魔力が精錬されていくか確認することができる。それはもしかしたら新しい魔術を生み出すことさえできるかも知れない。ここ百年ほど誰もなしえなかった偉業だ。
俺が俺のバラ色の未来に陶然としていると、
「ど……うしたのリキニウス? あなた顔が真っ青よ?」
「そ、そうですか?」
俺の魂魄はこんなに光り輝いているのに、顔色は冴えないらしい。
なんという矛盾。
だが、20年のへたれ人生を送ってきたリキニウスの皮を被ったこの俺様にふさわしいではないか。
何も分かってないな、この女は、とナタリアの方を向いた。
ナタリアはほんとうに心配している表情で俺の方を見ていた。
俺はふと思いついた。
そういえば幼馴染みであるナタリアもまたリキニウスとしての俺と同時期に生まれている。つまりナタリアが祐佳の転生の可能性もあるのではないか。
ナタリアに闇魔法を掛ければ……。
俺はイレーネ師匠の魔法構築を思い出す。
俺はナタリアの両肩に両手を置いた。
「え? な、なに??」
呪文が自然と口から紡ぎ出された。
俺の魂魄がざわめいた。
だが先ほど魔力を生成したときとまるで違う動きだ。
魂魄が波打ち、変形をはじめる。一方、魔力はまったく生成されない。
だから魔力しか感じられないナタリアは気づかなかった。
魂魄がいきなりずるりと身体からずれた。魂魄は液体の人型のようにゆっくりと俺の身体から離れ、そして流れる雲のように、ナタリアの方に向かう。
凄まじい苦痛が俺を襲った。心臓を無理矢理身体から引き出されるような激痛だ。
同時に俺は圧倒的な開放感を感じていた。身体というくびきを離れた悦びである。
何でもできる気がする。
俺は俺という肉体と俺という魂魄の二つが同時に存在する感覚の中で混乱しながらそれでも、魂魄の手を伸ばしてナタリアの魂魄の表層に触れた。
ナタリアがビクンと硬直した。
虹のような色の波紋が、俺の手を中心としてナタリアの魂魄をさざめかせた。
力を込めた。
俺の魂魄がナタリアの魂魄にゆっくりと押し入っていく。
「あらあら」
声にギョッとして振り返ったら、開いたドアの前にイレーネ師匠が立っていた。