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姫と兄弟

「あなたは本気で馬鹿なのですか?」


 冷たい目が俺の肺腑をえぐる。

 だが、俺は必死に顔を上げて抗弁した。


「いや、あの、馬鹿かも知れませんが、でもそうではなくて……」

「馬鹿が感染りますから口を開かないでください」

「あぐぅ……」

「息も禁止です」


 俺は慌てて呼吸も止める。

 俺がいるのはアヴァール帝国カリュー辺境伯領の派遣武官府の執務室である。大きめの机が一つあり、壁際には本棚がズラリと並んだ、市長の執務室といった風情の部屋だ。

 そして目の前で俺を叱責しているのはベルタ姫。

 驚くことに17歳にしてアヴァール帝国第1皇位継承者だ。

 ベルタ姫はアヴァール帝国らしい浅黒い肌の持ち主だ。尾崎祐太朗の感覚としてはかなり黄色人種の血が強く出ているように見える。黒い瞳と黒い髪を持ち、すらりとした長身で、やや筋肉質の身体を持ち、つり目がちな美人である。軍服が実によく似合っている。強気そうな顔が好きな人にはたまらないのではないか。

 ベルタ姫は息を止めたままでどんどん赤くなっていく俺に向かってくどくどと、


「いいですか。辺境伯でさえあくまで領邦を皇帝陛下に代わって治めているにすぎません。軍事と政務の代行者にすぎないのです。ましてやそこに派遣された派遣武官の代理人であれば、帝国としては木っ端もいいところです。その代理人が古い慣例を無視して制度改革を行うなど、慢心を通り越して狂気さえ感じさせます。アヴァール帝国の法は始祖アルシダール女王が定めた神聖にして不可侵のもの。それを中央の許可無く変更などーー」


 俺は息を止めきれなくなってぷはぁと息を吐いた。

 ベルタ姫がプチンと切れた。がたんと椅子を倒しながら立ち上がって、


「あなたはこの私の命令が聞けないというのですか!?」

「ひ!? あ、いや、違うんです!!」


 何も違わないが、いずれにせよ自分で息を止めて自殺などできるわけがない。

 また殴られるのかと必死に顔を守ろうとしていると、執務室の分厚い木の扉が開いた。


「兄弟!? 兄弟はどこだ!??」


 足音も高く入ってきたのは、カリュー辺境伯に皇帝直属の派遣武官として送り込まれたシャープールその人である。背が高く筋肉質で爽やかな28歳だ。当然、こちらも黒目黒髪である。もともとアヴァール帝国の軍事的エリートが集まった近衛隊であり、そこで頭角を現して、今は南方の押さえであるカリュー辺境伯への派遣武官を任じられ、ここにいる。

 シャープールは俺を見つけて、


「おお! ここにいたか!!」


 と満面の笑みで両手を広げた。


「あの……その……私もここにおります……」


 顔を真っ赤にしてもじもじとベルタ姫が言った。人格が入れ替わったのか、と思うくらい、俺に対するときのきつい気配はかけらもない。


「ん?」


 シャープールはベルタ姫の存在にはじめて気づいたようにベルタ姫の方を向き、


「……ああ」


 と冷たい声で言った。

 そのままベルタ姫を完全に無視して、


「兄弟、話がある」


 と俺の方に身を乗り出すようにして近づいてきた。


「いや、あの……ですね」

「む? どうしたのだ兄弟?」


 俺は絶望と俺への怒りを行き交っているベルタ姫をちらちら見ながらシャープールに耳打ちをする。


「……あのですね、ベルタ姫が怒っているので、ぜひその対応を」

「知らん」

「いや、迷惑を受けるのは僕の方なので」


 その言葉にシャープールの顔色が変わった。


「ベルタ!」


 ベルタ姫は思わず気をつけの姿勢で、


「ははははははははいっ!?」


 シャープールはつかつかと歩み寄り、


「また兄弟に迷惑を掛けていたのか!!?」

「いえ! その!!!」

「馬鹿者ーーーーッ!!!!」


 手を振り上げたところで慌てて俺が後ろから羽交い締めにした。


「ちょちょちょちょっと待ってください!! 事実とは違いますが、わ、悪いのは僕なので!!!」


 とりあえず第1皇位継承者を殴る、と言う行為に思いが至ったのか、シャープールは荒い息を吐きながら、手を下ろした。

 そして、


「今日のところは兄弟に免じて許してやる!! 二度とするなよ!」


 ベルタ姫は半泣きで頭を下げて二度としないと誓った。だがシャープールの視線が僅かにそれたその隙に、俺の足を思いっきり踏みつけ、


「いたっ!!!!!」

 俺が悲鳴を上げると、言いつけられる前に


「それでは巡回をしてきます!」


 とベルタ姫は足早に出て行った。

 俺が涙をにじませながら足の甲をさすっていると、


「む? どうしたのだ兄弟?」

「……なんでもありません」

「そうか。なら俺の話を聞いてくれ。奴らが罠に掛かった」

「マジッスか?」


 思わず俺も身を乗り出した。

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