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水×風

 まず俺がこの場に水の気配を探し始める。

 今いるのは活火山であるエラ火口付近である。普通なら水の気配など雨の日以外にあるわけがない。

 だが今回だけはある。

 アキッレーオが持ち込んだ水の属性を帯びた魔力が。

 すぐに発見し、俺は口の中で「ちょっと借りますよ」とつぶやいてから、その魔力で水を作り出そうと両手で杖を握りしめて魔術を唱え始めた。

 俺の魔術に従って水が生成されていく。やがて樽に三つ分くらいの水になった。

 そして俺はその水を宙に浮かべそのまま竜にぶっかけた。

 俺には竜術は使えないから、ずいぶん不格好になったがそれでも竜はびしょ濡れだ。

 竜が不快げに首をもたげた。

 竜は変温動物である。従って冷気に弱いが、水を掛けた程度ではどうにもならない。水でダメージを喰らうのであれば雨のたびに絶滅だ。

 水だけではどうにもならないが、すでにアニェーゼは魔術を完成させていた。

 風術だった。

 しかも大規模な風術である。

 風が凄まじいうねりを伴って圧縮されていく。みしみしと音を立てそうなほど。

 気圧の急激な変化に耳が鳴った。

 吹き飛ばされそうになるのを全身の力を込めて耐える。

 突然、

 竜が鋭い声を上げた。

 悲鳴に似ていた。

 見ると竜の皮膚に霜が降りていた。

 俺は目を見張る。

 成功だ。

 俺が起こそうとしたのは真空冷却である。真空にすることによって、水は気化しその際周囲の熱を奪う。

 真空だけならばおそらく竜はさほどダメージを喰らわない。また長期間真空状態を維持すれば窒息させることは可能であるが、弱ってなければ窒息する前に竜は移動してしまっておしまいである。

 冷却してはじめて意味があるのだ。


「うまくいきそうです! 続けてください!」

「うん!!」


 アニェーゼも興奮した様子で、そのまま呪文を続ける。

 密閉されていない空間で真空状態を維持するのには信じられないほどの緻密な魔力のコントロールと凄まじい集中が必要だ。

 おそらく天才であるアニェーゼにしかできないであろう。

 だが現実としてそれは実行された。

 実行され続けた。

 竜は自らの危険を悟ったのか、翼を広げ飛び立とうとした。

 だがその動きは恐ろしく緩慢で、竜の力を持ってしてもとても飛び立てるとは思えない。

 そして竜は飛び立てないまま、羽を再び畳みうずくまるように首を折り曲げた。

 とぐろを巻くように丸くなる。

 すでに竜の全身は真っ白に凍り付いていた。

 俺はそれを確認し、すぐに皆が隠れている岩陰へ走った。


「今のうちに逃げてください! なんとか竜を弱らせている間に!!」

「し、しかし……」

「たぶん、竜は死んでいません! 動きが鈍っているだけです! 冷却力が弱まったらすぐに活動を再開します!」


 ようやく状況を理解したのか、皆逃げ始める。

 エラルド教授は俺に頷き、軽く俺の肩を叩いて立ち去った。

 アキッレーオは最後まで悔しげな顔をして俺を睨んでいた。

 フリヴィア皇太后を伴ったイザッコ教授も立ち去り、俺は安心して、アニェーゼの隣まで戻った。


「で、次はどうするの?」

「風術をとめて、竜が復活するまでの僅かな間に馬車から陛下を救い出します」

「ずいぶん分の悪い賭ね」

「ですが、やるしかありません。僕達はレム王国の一員なのですから」


 アニェーゼはこくりと頷いた。

 俺は竜を見る。すでに動きは完全に止まっている。だがいまだその身に纏った圧倒的な迫力は消えない。一歩近づくのにもそれなりに勇気がいる。

 脚ががくがく震える。だが、俺は進み出す。


「がんばれ、リキニウス」


 背中に掛けられたアニェーゼの声を励みにさらに進む。

 なんとか真空の影響を受けないギリギリにまで近づいた。

 真空のせいか冷たさはほぼ感じない。

 頭の中で、なんども馬車に飛び込みフィオレ四世陛下を救い出す手順を繰り返す。

 --できる。

 その確信とともに、俺は風術を止める合図をアニェーゼに送った。

 風のきしみがやんだ。

 アニェーゼが風術を止めたのだ。

 俺の後ろでアニェーゼが力尽きて地面に座り込む。このレベルの風術をずっと使い続けたのだ。当然と言えば当然だ。普通なら意識を失う。アニェーゼだからできたのだ。

 アニェーゼのがんばりに応えるように俺も全速力で駆け出した。馬車のドアは幸い開いていたのでそこにそのまま上半身を突っ込み、目星を付けていた一番奥の席に手を伸ばす。馬車はすでに四分の三は潰されていて、普通に入るスペースはない。

 フィオレ四世は……。

 いた! フリヴィア皇太后より簡素だがセンスのいい瀟洒なドレスに身を包んだフィオレ四世は予想通り、奥の席にいた。ぴくりとも動かず完全に気を失っているようだ。俺はフィオレ四世の左脚がつぶされていることに気づき思わず息を呑む。あるいはこの痛みで気を失ったのかも知れない。

 だが逡巡している余裕はない。

 俺は恐れながらフィオレ四世陛下を両脇から抱きかかえるようにして馬車から引きずり出す。

 地面まで引きずり出した後、すぐに耳をフィオレ四世陛下の胸に押しつける。

 かすかな心音。

 生きている!

 悦びで思わずアニェーゼの方を見た。

 息も絶え絶えなアニェーゼがこちらを見て、にっこりと笑ってくれた。

 ちょっとだけ元気を取り戻して、フィオレ四世のほうに向き直ろうとしたところ、竜と目が合ってギョッとした。

 やはり竜はまだ生きている。この巨体だけに冷気が完全に中まで浸透してないのだろう。

 だが、竜が動き出すまでにはまだ時間はある。

 俺は火事場の馬鹿力でフィオレ四世を横抱きにして立ち上がった。

 その瞬間、


「はは。こうなってしまえば竜も形無しだな」


 上からの声に振り向けば、アキッレーオがいつの間にか近くに立っていた。


「竜にとどめを刺す名誉は私のものだ」


 アキッレーオが杖を掲げ呪文を唱え始めた。

 アキッレーオの魂魄に浮かび上がった文様を見て俺は思わず、


「こ、この馬鹿!!!!」


 だがその言葉が終わらないうちに呪文は完成し、三首の炎竜が現れると、そのまま竜に噛みついた。

 最初、竜は抵抗しなかった。抵抗できるほどの機能が戻ってなかったのだろう。アキッレーオの炎竜は無抵抗の竜の身体に炎の牙を突き立てる。

 竜の皮膚が破れ、青黒い血が流れた。

 だが同時にーー。

 ぼぞり、と竜が動いた。

 俺は呆然としていた。

 炎竜によって焼かれた竜の身体から霜は消えていた。

 俺とアニェーゼが竜から奪った熱量。それによって竜は活動を止めた。だが、アキッレーオの炎術は、竜に活動可能なだけの熱量を与えてしまったのだ。

 竜が首をもたげる。


「な、な、なななななな」


 アキッレーオが動揺する。


「逃げて! リキニウス!!」


 背後でアニェーゼが叫ぶがアニェーゼもまた限界だ。おそらく動くことはできない。

 竜が大きく口を開いた。

 ブレス用の器官が口腔の奥にあるのが見えた。その器官が僅かに膨張する。

 逃げられない。

 俺はあきらめた。

 あきらめて一つの呪文を唱えた。

 最後の賭。

 それは闇魔法。

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