竜
アニェーゼの呪文詠唱とともに、アニェーゼの魂魄がアキッレーオとは比べものにならないほど美しい文様を描き始めた。幾何学的な模様が高速に動き回る。万華鏡を覗き込んでいるようなそんな映像美。
めまいを起こしそうな圧倒的な美しさに打ちのめされていると、突如、アキッレーオが作り上げた三首竜がそれぞれの首ごとに縦に裂け始めた。
「おおぅ!」
観客がどよめいた。
その観客の目の前で縦に裂けたそれぞれの頭が、そのまま三匹の竜となり、まるでじゃれ合うように空中を飛び回り始める。
観客があっけにとられてその様子を見上げていた。
アキッレーオが作った三首竜がほぼ棒立ちだったのに対して、こちらは俊敏に動き回る。竜の動きは極めて自然で、“炎で作られている”こと以外はまるでほんとうに生きているようだ。ルアーと生きている魚くらいの差があった。
アキッレーオもまた呆然とそれを見ていた。
アキッレーオはおそらく支配権をいつ奪われたか分からないまま三首竜を破壊されたのだろう。そして見せつけるように三首竜を遙かに超える竜術が実行されている。
三匹の竜術の同時実行など、見たことがない。
状況が理解され観客の歓声が上がり始めた。
その歓声に合わせるように空中で三匹の竜が踊った。
歓声がいっそう高まった。
アキッレーオの拳を握る手に力が込められたのが分かった。
ギリッという歯ぎしりの音まで聞こえてきそうだった。
アキッレーオはたった今アニェーゼと自分の間の差をはっきりと思い知らされたのだ。
おそらくアキッレーオはアニェーゼが自分よりも優れた魔術師であることは認識していただろう。だが、その差、アニェーゼとアキッレーオの間にあった差はどうやっても越えられない壁だった。そしてそのことにようやくアキッレーオは気づいてしまった。
なんだかアキッレーオがかわいそうになってきた。小学校で同じクラスだった奴がいつの間にか野球で甲子園に行っていて、一億円の契約金でプロになったことを知った、そんな感覚。俺とあいつは変わらなかったはずなのにどこで変わっちゃったのだろう、と思う絶望感。幸い俺は野球など興味は無かったが、いわばアキッレーオは野球少年だったわけで、ショックもひとしおだろう。どんまい、と肩を叩いてあげたい。生きていればいいことあるって。まぁ、死んでもうまくいけば来世があるわけだが。
さらにふと俺は気づいた。この空間に満ちたすべての魔力がいつの間にかアニェーゼに従っていることに。アニェーゼが支配していると言うよりは、自然に魔力の側がアニェーゼに従っている感じである。圧倒的な才能の前には魔力でさえひれ伏すのだろうか。
自由に使える魔力がない、ということはつまりアキッレーオにはもはやこの場で魔術を使うことはできない、ということを意味する。
勝負あった、という奴だ。
おそらく会場にいた魔術師は全員そう思ったはずだ。
だが、アキッレーオがいきなり自分の首飾りを引きちぎった。
「?」
アニェーゼが眉をひそめる。
アキッレーオは引きちぎった首飾りを地面に叩きつけた。
首飾りの中央の宝石が砕け、魔力が吹き出てくる。あるはずのない水の気配がわき上がる。
「水の魔力!?」
俺は驚いた。アキッレーオは最後の切り札を残していたらしい。なるほどここの魔力は火精との相性が強く、火種のせいもあって炎術が基本になる。一方水術は上手くやれば炎術を打ち消すことができる。
アキッレーオが砕いた宝石は水の魔力を秘めたものだったのだろう。そして現れた魔力の量から察するにかなり高価なものだ。
たかだか術比べにそんなものを使用するアキッレーオの財力と気合いに俺は素直に感心する。
羨ましい。
アキッレーオが新しい魔術を唱え始めた。
その時、世界が暗くなった。
瞬間、何が起こったのか誰も分からなかった。
誰もがアキッレーオが唱え始めた魔術が、世界に影響を与えたのだと思ったが、その魔術がいったい何なのか分からなかった。水術にはここまで大規模な気象変化を起こすものはない。
かすかな羽音。
空から聞こえてきた羽音に俺は空を見上げた。
周囲の皆も空を見上げた。
そして見た。
世界を陰らしたものの正体を。
その原因を。
「りゅ、りゅ、竜だぁぁぁぁぁぁ!!」
誰かが叫んだ。
間違いなかった。
それは、空からこの広場めがけて舞い降りつつある一匹の巨大な赤竜だった。




