お茶会
とりあえずアニェーゼを部屋に招き入れ、アニェーゼが持ってきた茶葉を使ってお茶を入れ、アニェーゼが持ってきた菓子を出した。
本日2回目のお茶会。
自分の部屋にアニェーゼがいる、というのはどこか不思議な光景だ。カンザ要塞にいる頃は色々話すべきこともあったので、部屋の中にアニェーゼと俺だけ、という状況はけっこうあったのだが、あのときは状況や風景すべてがまるで夢の中にいるように現実感がなかったのでそれほど不思議に思えなかった。
だが今、俺の部屋という日常の中にアニェーゼがいる。
アニェーゼはふぅふぅ息を吹きかけてお茶を冷ましてから啜った。何ともかわいらしい。思わずぼんやり見つめていると突然、アニェーゼがこちらを向いたので、慌てて視線をお茶に戻す。幸い、アニェーゼはこちらの視線には気づかなかったようだ。
「そういえば、ホスロー皇子が泣きそうなくらいびびってたって話はしたっけ?」
「いや、聞いてないです」
ホスロー皇子がびびる? あの傲岸不遜を絵に描いたような男が? あまり想像できない。
嬉しそうなアニェーゼの説明によると、ホスロー皇子の身柄についてのエートルリア王国とアヴァール帝国との交渉が行われるのにあたり、アヴァール帝国から、ホスロー皇子拘束弾劾の使者が来た時のことらしい。攻めてきたのはアヴァール帝国側であり、そもそも弾劾など理不尽甚だしいが、国力の差を利用して交渉を有利に進めるためのものであるから、エートルリア王国もさほど気にしてはいなかった。問題はその使者が、アテアス大帝名義で送られてきたことであったという。宰相であるヒメカ名義で送られてくることを想定していたホスロー皇子はアテアス大帝の名前と署名を確認したとたん、がたがたと震えだしたという。
「もうなんというかそれこそ竜が目の前に現れたってああはならないだろうって感じ。最終的には半分くらい腰を抜かしていたし」
「それは、ちょっと見てみたかったですね。しかし、第2皇位継承者であっても現皇帝というのはそれほど恐ろしいものなのでしょうか? 弾劾書というからには、親書の内容は別にホスロー皇子を叱るものじゃなかったんですよね?」
「うん。ホスロー皇子がたまたま狩りに興じてエートルリアに迷い込んだところを、こっちが必要な配慮を無視して拘束したって主張してたわね」
「アテアス大帝というのは確か20歳の女性ですよね……」
「そのはずよ。そしてアヴァール帝国は、始祖が女性ということもあって、女性が皇帝の時に拡大政策を行う傾向にあるわ。アテアス大帝は三代ぶりの女性皇帝で、僅か20歳で大帝と呼ばれたって噂」
リキニウスに聞かれると思ってちゃんと調べてきたわ、とアニェーゼは胸を張った。
助かります、と笑顔を見せた俺は、
「なるほど、第2皇位継承者にそこまで怯えられるアテアス大帝は気になりますね」
アニェーゼは真剣なまなざしになった。
「……やっぱりあなたが前にカンザで言っていた通りアヴァール帝国の攻勢が強まるってこと?」
カンザでいろいろ適当なことを話し合ったことを覚えていたらしい。
「それは間違いないと思います。アヴァール帝国は遊牧民によって作り上げられた帝国。その帝国は安定と拡大を繰り返します。先代までの安定期である程度力を蓄えているのでその蓄えた力を放出すべき時期かと」
「対抗方法は?」
「難しいですね」
「難しいじゃないでしょ! リキニウスが考えないと誰が考えるの!?」
いや、普通に王様とかが考えればいいんじゃないですかね? と思ったが言わない。
だが、先ほどの発言通り対抗は難しい、と言うのが俺の意見だ。
北方に広がるアヴァール帝国に対して、こちら側は中小の王国が割拠している状態である。そしてその諸王国の歴史は古く、おしなべて停滞しており、さらに言えば歴史ある確執をもつ関係で各王国間の仲は決して良くない。レム王国はその中でもっとも若く200年前に建国されたため、しがらみからは比較的自由だが、逆に言えば国家群の中心になってまとめるだけの権威は持っていない。
戦国時代で言うなれば、大名の脅威に立ち向かう豪族連合、と言ったところか。
大名vs豪族、というと武田信玄vs信濃の村上義清ほかあたりが頭に浮かぶが、そもそも武田家と村上家はそれなりに勢力が拮抗していたし、さらに上杉謙信など武田と同格の援軍も期待できた。
一方、この世界にはアヴァール帝国と同格の国家は存在しない。言わば一人勝ち状態である。
もちろん、アヴァール帝国もいきなり空から振ってきたわけではなく、アルダシール女王が、バラバラになっていたアヴァール族をまとめ上げ、周囲の騎馬民族を徐々に統合し王国を築いたわけで、アルダシール女王並みのカリスマがこちら側にいれば今後アヴァール帝国に対抗できるような素敵な国家が発生する可能性はある。
だが、そんなカリスマはレム王国の祖であるレムス一世以降、現れていない。
レムス一世はがこの時代にいたならば彼を中心に、諸王国は轡を並べて戦うことができたかも知れないほど英雄だった。
レムス一世は数人の部下とともに当時ザリアと呼ばれていた地域の蛮族と竜種を、あるいは駆逐し、あるいは従えたことでレム王国を建国した。
レムス一世の竜種との戦いは半ば以上伝説になっており、特に竜王フィリッポとの一騎打ちは、子供ながら手に汗握って聞いたものである。最後はフィリッポと意気投合し、フィリッポはレムス一世の覇業に参加しレム王国の建国を見届けた後、南方の竜の聖地に去ったと言われている。
だが今レム王国にはレムス一世も竜王フィリッポもいない。むしろ求心力を失って、王権と騎士団と魔術師がバラバラになり、国家としての体もかなり疑問、という体たらくである。
こちらに対抗策を用意できないのであれば、
「……アヴァール帝国の内部からの崩壊を誘うのが得策かも知れませんね」
アニェーゼがわくわくした顔を俺に向ける。
「ねぇねぇ、どうやってどうやって?」
「現皇帝への反乱を引き起こす、とかでしょうか?」
いいながら、それも難しいだろうな、と思ってしまう。現皇帝のアテアス大帝は皇位継承権第二位のホスロー皇子が怯えて震えるほどの権威を持っているのだ。つまり圧倒的な上位の存在で、他の皇位継承者にもアテアス大帝に対抗するだけの気力があるとは思えない。明智光秀がアヴァール帝国にいれば何とかなるかも知れないが、いまだ明智光秀の裏切りの理由は分かってないから、似たような立ち位置のキャラを探すのは難しいだろう。そもそも勃興時である織田家の当主とそれなりに歴史があるアヴァール帝国とでは状況が違う。むしろ獅子身中の虫、董卓あたりを探すべきか。
いずれにせよアテアス大帝の対抗馬を探すよりはアテアス大帝の死後に皇位継承権争いを引き起こすほうが楽だが、20歳のアテアス大帝の老衰を待つのはかなりつらい。
気合いを入れて頭をひねって、地球上で大国が衰亡していく原因をいくつか思い出してみた。
だがあまり役に立たなかった。
ローマ帝国への蛮族の流入というのはアヴァール帝国がそもそも蛮族の立ち位置なので意味が無い。ペルシャ帝国は、アケメネス朝もアルサケス朝もサーサーン朝も基本的には勃興してきた他の勢力に潰された。モンゴル帝国も同じだ。
つまり大勢力とは新たに現れた勢力に潰されるのだ。
だが、ここには勃興する勢力も、勃興する勢力を生み出す英雄もいない。
うーんと俺は頭を抱えてしまった。
「難しいの?」
「難しいですね」
というとアニェーゼが「がんばれ」と頭を撫でてくれた。
「がんばります。ただちょっと時間をください」
と俺は弱々しい笑顔をアニェーゼに向けた。
「うん! 期待してるわ」
アニェーゼは嬉しそうにそう言った。
アニェーゼを心配していたはずが、どちらかといえば俺が心配されてしまった。
アニェーゼはまったくもって、完全にアキッレーオのことなど気にしてない。雰囲気でアニェーゼがアキッレーオとの術比べのことなど、まったく歯牙にも掛けていないことがよく分かる。若干アキッレーオが哀れになるほどだ。
エラルド教授の言うとおり、アニェーゼに心配は無いのだろう。
それよりもアヴァール帝国をどうにかする方が重要だ。
うむ!
俺は気合いを入れて思考実験を始める。
次回、術比べが始まります。感想お待ちしております!




