英雄
俺が夕食を取るために部屋を出たところで、そいつはやってきた。
アキッレーオ教授は、面と向かうと思ったよりは小柄だった。ちらっと足下を見たところ、どうやらシークレットブーツ的なものを履いて数センチほど身長をごまかしているようだ。だが、自信と野心がにじみ出てくる美貌は、なるほど女に人気があるわけだ。そう考えると腹が立ってきた。なによりアキッレーオは、どういう理由か、背後に取り巻きを十人ほど引き連れてきたのだ。知り合いでさえない人の部屋を訊ねるのに取り巻きを連れてくる感性は俺には理解できない。
アキッレーオは「魔法使ってる?」と疑いたくなるような白い歯をきらりと見せて、
「まずは英雄と握手をさせてもらおうか」
「あ、は、はい!」
慌てて俺は手をぬぐって差し出した。
アキッレーオはその手を握り、撮影ポイントです、という顔で取り巻きたちを振り返った。何となく俺も流れで取り巻きたちの方を見てぎこちない笑顔を浮かべた。
手を放すとアキッレーオは潔癖症なのか、ハンカチでさりげなく自分の手をぬぐった。自分から差し出しておいてずいぶんとひどい奴である。
アキッレーオは時候についてひとしきり語った後、ハンカチをしまい、それから俺の方を見て、
「君のことは“姫様”からの報告書で知っている。ずいぶんと今回の事件で活躍したそうじゃないか」
俺は照れて、
「い、いえ、活躍なんて……」
「おや、これは驚いた。活躍してない? となるとあの報告書は偽造だったのかな……」
「そ、そんなことはありません!」
「そうだろうそうだろう。あの報告書は事実だった。となると、活躍したのは主に君ということだね」
「……どういう意味でしょう?」
「いやいや、君はこのレム王国魔法塔アグニ一族の名を大いに高めてくれた、ということだよ。もちろん君には功績にふさわしいポストを用意させよう。ふむ。特任教授当たりが妥当かな」
「はぁ……」
いきなりきな臭い話になってきた。
ちなみに魔法塔は、一族ごとに、長老>教授>准教授>講師>生徒という階梯がある。一人前の魔術師とされるのは講師以上だ。教授になると実験塔を与えられる。長老は、教授会議長や評議員の経験者に与えられる名誉職的なものだが、血筋が重んじられるこの世界では実質、魔術師の最高位である。
特任教授というのは実験塔は与えられないが、教授会には出られる、というなんだか珍妙な肩書きで、たぶん末端にすぎない俺が普通に生きていれば人生の最後の最後でたどり着けるかどうか、という到達地点だ。
俺に「餌」を見せびらかしたアキッレーオは、突然眉をひそめその綺麗な形の顎に手を当て、
「ただ君を特任教授に推挙するにはちょっと問題があってだね……」
「……そうなんですか?」
「今回の義勇軍だが、正式なルートで出されたものではないのは知っているだろう? 功績というのは手順をきっちり踏まないと公式な功績と認められないものなのだ。今回は結果はともかくスタートが良くなかった。長老たちの決を採らないまま、最長老の口頭での承認だけで出発したのはあまりに横紙破りだ」
「……」
「まぁ、この辺に関しては義勇軍を立ち上げたアニェーゼ嬢に問題があると聞いている。だから君への推挙には大きな障害にはならないと思うが、万が一、そのような事態になったとき、アニェーゼ嬢の責任について証言してもらえるね?」
顎から手を放したアキッレーオは爽やかにそう言った。
なるほど、これが本題だったわけだ。
つまり、エートルリア義勇軍の成果は成果として、今回の一連の成果をすべて俺に帰し、問題の責任をアニェーゼに問う、という形を作りたいらしい。
そして、アニェーゼは向こうでの態度そのままにどうやら報告書に馬鹿正直に俺のことばっかり書いていたようである。俺はアイディアを出しただけであくまで実行したのはアニェーゼであるにもかかわらず、である。
ちょっと胸が熱くなった。
アニェーゼは馬鹿だけどいい奴だ。
俺は咳払いをした。
それから胸を張り、
「今回のことはアニェーゼ様の行動力があればこそ成し遂げたものだと思います。アニェーゼ様の非はもちろんあるでしょうが、それでも非難も栄誉もことごとくアニェーゼ様に帰すべきものだと考えます。少なくとも現場にいて一部始終を見届けた僕は、あれほどのことを成し遂げたアニェーゼ様を批判することはできません。まして、あの場にいなかった誰にアニェーゼ様を批判する権利があるでしょうか」
と一気に言いきった。
アキッレーオは思わず二歩下がるほど驚いたようだった。馬鹿みたいにぽかんと口を開いている。
吹けば飛ぶような末端講師の俺に抵抗されることを想定していなかったようだ。確かにアニェーゼの後ろ盾がなければ俺も長いものに巻かれろ、という気持ちでアキッレーオの提案に乗っていたかも知れない。
だが、アニェーゼは俺が見てないところーー報告書でも俺を褒めてくれた。
だから俺も誠意を尽くす。実際、アニェーゼはカンザ要塞でそれだけのことをしたのだから。
俺の抵抗とアキッレーオの動揺にアキッレーオが引き連れてきた取り巻きたちがざわめきはじめた。中にはなんだか凄い目で俺をにらみつけてくる奴もいる。
アキッレーオもようやく観客がいたことを思い出したらしい。髪の毛をなでつけ、なんとか落ち着きを取り戻そうとする。
「な、なるほど。下の者はなかなか全体にまで目が回らないものだからね。そういう風に見えたかも知れないな。だがね、そういう短絡的な評価ではダメなんだ。指導者というのは常に全体を見る必要がある。全体というのはだね、この瞬間だけのアグニ一族のことを言っているのではないのだよ。歴史的な意味づけも必要だし、アグニ一族だけではなく魔法塔全体、さらに言えばレム王国全体のことを考える必要がある。その中で価値というのは相対的に決せられるものなんだ。だから君が言っている“アニェーゼへの評価”というのも果たしてほんとうに価値があることなのか、ということは歴史的な意味づけを考えなければならない」
俺はいったん頷いてみせた。
「仰るとおりだと思います」
アキッレーオの顔にみるみる喜色が戻った。
アキッレーオは嬉しそうに俺の手を取ると、
「はは。君も分かってくれたかね。分かってくれればいいんだ。分かってくれれば悪いようにはしないからーー」
俺はアキッレーオから丁寧に自分の手を奪い返し、自分のハンカチでこれ見よがしに拭いた後、
「つまりアニェーゼ様を批判すべきかどうかも、歴史的な意味づけやレム王国にとっての価値を考えた上で判断すると言うことですね」
「ま、まぁ、そうだね」
「そこまで大がかりな評価というのは簡単ではないと存じますが、尊敬すべき指導者である教授会の方々でぜひ正しくご判断お願いします」
アキッレーオひとりの判断ではないよね?と伝えたのだ。
意図は伝わったようでアキッレーオは再び動揺を見せる。
「う、うん」
「ありがとうございます」と俺は頭を下げた後、
「まだ何かありますでしょうか?」
「いや、その……」
「それでは夜の研究がありますので準備に戻ります」
俺は再度丁寧に頭を下げ、くるりと部屋に戻った。
アキッレーオはまだ口の中でごにょごにょ言っていたが、結局、俺を取り込むことをあきらめたのか、取り巻きを引き連れて去って行った。
俺はドアを細く開けて、誰もいなくなったことを確認した後一人、部屋で頭を抱えた。
うわああああああああああああああああああああああ。




