殺人依頼
アニェーゼに渡された紙にはなにやら文章というか単語が並べられていた。うるわしき太陽、とか、猛る悍馬、とか、嘶く牝馬、とか、若草のような恥毛とか。……恥毛? よく見れば他にも夢のような交尾とか、なんだか不適切な表現がいっぱいである。どうやら全体として馬の交尾を描写しているように思える。
「えーっと……なんですか、これは?」
アニェーゼは顔を真っ赤にしたまま、
「詩よ詩!!」
「……へ? こ、これがですか……」
「あのアホたれ皇子が私に送ってきたのよ! 自分の恋心を綴ってみたって!!」
「……はぁ。ずいぶんと……変わっているというか斬新というか」
アニェーゼはしばらくうつむき、うつむいたまま
「……殺してきて」
とつぶやいた。
俺は思わず耳を疑う。
「……はい?」
アニェーゼは今度は俺の方を見て、泣きそうな顔で叫んだ。
「あいつよ、あのアホたれ皇子を殺してって頼んでんの!」
「いや、しかしさすがにエートルリア王国の捕虜ですので」
「そんなことは分かってるわよ! でも私は怖いのよ!」
大声で叫んでから、アニェーゼはハッとした顔をした。
俺もハッとした。
アニェーゼの言葉で俺は知った。
なるほど。つまりアニェーゼはあの男らしさを勘違いした雄らしさ全開のホスロー皇子から性的な視線を向けられていることが怖い、ということなのだ。これはホスロー皇子への攻撃行動ではなく、自らの防衛行動なのだ。
そう思うとなんだか可愛くなってきた。所詮は14歳の女の子なのである。
俺はアニェーゼの肩に両手を置いた。置いてはじめてそのほっそりとした肩が震えていることに気づいた。
「大丈夫ですよ」
と俺は優しい口調で言った。
「僕がアニェーゼ様を守りますから」
「……ホントに?」
「もちろんです」
俺は精一杯の優しい笑みを浮かべて頷いた。
「期待するよ?」
「期待してください」
「……うん」
アニェーゼはようやく微笑みを浮かべた。
俺は再度頷いた。
俺とアニェーゼはなぜかしばらく見つめ合い、それからアニェーゼが慌てて視線をそらした。
俺は「フラグが立ったな……」と内心でつぶやいた。
これはいける。確実にいけるやつだ。
アニェーゼはそっぽを向いたまま自分の服を弄っていたが、しばらくして
「あ、あのさぁ」
「なんですか?」
微笑みを浮かべたまま答える。大人の余裕という奴である。
「リキニウスの師匠って、誰だっけ?」
「イレーネさんです」
「ふぅん……変わり者のイレーネか……」
アニェーゼはちょっと何かを考える顔をした。
それから
「……リキニウスのこと、譲ってくれるかな」
とんでもないことをつぶやきやがった。
「は……はい?」
「だって守ってくれるって言ったじゃない! 近くにいてくれないとちゃんと護れないでしょ! 当然、私の弟子になるのが筋よ」
「で、でもですね……」
「もう決めたの。これはアグニ家の本家の人間としての命令よ!」
「う゛……」
まずい。一度は師匠のチェンジを考えたこともあるが、冷静になればイレーネ師匠と俺は闇魔法という切っても切れない絆で結ばれた師匠と弟子である。つまり、お互い切り札を持っている状態なのだ。しかもどうやら実験の最中に俺の魂に色々仕掛けをしているようである。少なくともその仕掛けのすべてを知り、できうるならばその仕掛けを解除するまでは怖すぎてイレーネ師匠を切ることができない。
だが、アニェーゼはそう決めたら、なんだか安心したのか、
「戻ったらすぐに手続きするからね」
と規定事項のように一方的に俺に伝え、そして部屋を出て行った。
アニェーゼを何とかするのにはまた闇魔法を使わねばならないのだろうか。
だが、アニェーゼは魔法に関しては天才である。ナタリアが気づかなかったような僅かな気配で闇魔法に気づくかも知れない。万が一ばれたらやっぱり時間凍結処理になるわけで……。
結局俺はアニェーゼに上手く闇魔法を掛けるチャンスを手に入れられることなく、魔法塔に帰るまでうじうじ悩み続けることになった。むしろアニェーゼは、「俺を弟子にする」と勝手に決めてからはご機嫌で、すでに師匠気取りで俺の部屋にやってきてはえらそうに魔法の講義をするのである。やはりこれは俺のことを相当気に入っているわけで、闇魔法などという危険物に手を出してアニェーゼを縛るよりは、恋人コースを完遂してアニェーゼの色々頼み事ができる立場を手に入れた方が早い気さえしていた。だが、考えてみればアニェーゼと恋人になってもイレーネ師匠との問題は残るわけで、やっぱりうまくいかない。
幸い、ホスロー皇子をエートルリアの王都に護送することが決まり、それにアニェーゼとエラルド教授が付きそうことになったので、アニェーゼが魔法塔に戻ってくるまで若干の時間的な猶予は得た。その間に、なんとかイレーネ師匠と対策を練ろう。
改行、修正しました。




