皇子
後で聞いた話である。
アヴァール帝国第2皇子ホスローは決して出来の悪い人間ではない。そもそも実力主義のアヴァール帝国では無能であれば皇位継承権は与えられない。
つまりエートルリア王国遠征を決断した時のホスロー皇子はそれなりの能力とそれなりの野心とそしてそれなりの運を兼ね備えた人物だった。遠征の提案が了承され、第1第2第3軍団が彼に付き従ったことからもそれは明らかだ。
だが、同時にホスロー王子は、微妙に運が足りず、最後の最後で、大切な物を逃す、とも言われていた。
皇位継承権が一位にならずに二位になったこともそんな風に言われる原因の一つである。
現在、アヴァール帝国の皇帝はアテアス大帝で、弱冠20歳の女性であり、ホスローはその従弟に当たる。先帝の弟の長男がホスローなので、先帝を中心に考えた場合、ホスローが25歳と言うことを考えても順当な継承権だ。
ちなみに皇位継承権一位は先帝の妹であるベルタ(16歳)である。20歳のアテアス大帝にはまだ夫も子供もいない。
だから皇位継承権二位というのは充分価値がある。まして上位の皇位継承権者の中では唯一の男性だ。そんなホスローが今回遠征を思い立ったのは、アテアス大帝に婚姻話が持ち上がったためであった。
ホスローはどうやら、自分がアテアス大帝の婿候補の一人だと考えていたらしい。実際従兄妹同士の婚姻は王族間では珍しくなかったし、何より自分の能力がアテアス大帝の夫にふさわしいと思っていたようである。
だが、アヴァール帝国における皇帝に施策を提案するための機関ーー長老院が、アテアス皇帝の夫候補として選んだのは、南方の宗教王国のまだ十代の王子だった。特に優秀だとも知られておらず、その父親も善人だという以外に特徴のない法王として知られていた。もちろん近攻遠交というアヴァール帝国の国是と言うべき外交的な理由と、女帝の夫のアヴァール帝国における影響力の持ち方を加味した結果、無難な相手として選ばれたのであろう。
だが、ホスローのプライドは選ばれなかったことに痛く傷つき、彼は自分の価値を長老院に知らしめるために遠征を決めた。
遠征の目的を、「略奪」としたのは、ホスローの賢明さの表出であると言える。
継続的な支配を求めない限り、騎馬弓兵から構成されるアヴァール帝国軍は無類の強さを発揮するからだ。そもそもアヴァール帝国の始祖アルダシール女王は、ただの騎馬民族から略奪と移動を繰り返し、帝国の基礎となる財を築き上げた。言わば代々のお家芸と言っていい。
アルダシール女王のひそみに倣ったホスロー皇子に率いられた第1・2・3軍団はエートルリア王国の国境を侵し、途上の村々への収奪を繰り返しながら、南下していった。
目指しているのはエートルリアの王都だ。防衛の要であるカンザはあえて無視した。そもそも攻城兵器を擁していないこの部隊でカンザ攻略は難しい。万が一、カンザから出てくれば一戦して一蹴すればいい。一方、王都は経済的な発展もあり、城壁に守られていない場所にもずいぶんと街が広がっており、人間は城壁内に逃げこんでしまうかも知れないが略奪対象はずいぶんあるはずだった。付け加えるとすれば、王都を脅かした、という“戦果”がホスロー皇子にとっては重要だったとも言える。
だが、先行していた斥候から奇妙な情報が入った。
カンザからエートルリア軍が撤退を開始した、と言うのだ。
ホスロー皇子は思わず耳を疑った。カンザは、重厚な城壁に守られた難攻不落の要塞で、エートルリア王国の防衛の要にしてアヴァール帝国の目の上のたんこぶとでもいうべきものだ。
カンザ要塞を無傷で手に入れられるのであればそれは充分な戦果となる。
ホスロー皇子は行軍を止め、カンザに対する情報をさらに集めた。




