《6話》一輪の花
レンガ造りの建物に寄りかかり、ぼんやりと人混みに紛れたワンドを目で追いながら、ふと俺はくだらない事を考えていた。
ワンドを例えるなら《花》だな。
実に、くだらない事だと思う。
――俺らが何となく立ち寄った町中では、たまたま大掛かりなバザー市が開かれていた。
「楽しそうだにゃんっ」
入り口付近を歩いていると、お祭りやにぎわうイベント事が好きなワンドが目を輝かせて今にも走り出したそうにしていた。
ため息と共に、少し後ろを歩いていた俺は言った。
「ここに居るから適当に見回って来い。買いモンは予算内にしろよ」
小袋に路銀を少し分けて、お小遣いとしてワンドに持たせた。
一緒に付いて回る気はさすがに無い。
ワンドには悪いが、小物を見てキャーキャー言う女の気持ちが理解できない。
「わーいっ♪」
それでもワンドは満面にとびきりの笑みを浮かべて、嬉しそうに人混みの中へと自ら身を投じていった。
「やれやれ」
そして俺はレンガ造りの建物に寄りかかったのだ。
不思議なもので、これだけ人が居るのにワンドを見失う事はなかった。
ワンドだけがやけにハッキリ見えて、他の奴らは背景のようにぼんやりとしか見えなかった。
だから俺は、ワンドが一輪の《花》みたいだなどとくだらない考えを浮かばせた。
他の奴らは草原で、ワンドだけが花だから、いくら人混みに紛れてもハッキリ見えて直ぐに見つけられるのだと。
…くだらない考えだ。
俺は思考を停止させて、辺りを見回した。
足下は石畳。
歩道はしっかり補強されてる所を見ると、治安の良い町に思う。
放って置いてもワンドが危険な目に遭うこともないな。
…まぁ、スリがいくらか居るが、通り魔に比べればなんとも平和的な事か。
ふと、俺は右の拳を握り、手甲とナックルの調子を窺った。
目の端で、人混みから伸びてきたナイフが、俺の心臓を本気で刺そうとしているのを捉えたからだ。
目にも留まらぬ早さで自身の心臓に手甲を持っていく。
キン!
金属がぶつかり合う鋭い音が響いた。
手甲には金属の板が忍ばせており、ナイフの刃を完全に防いでいる。
俺はナイフを繰り出した人物を睨み付けた。
「…なにしやがる!」
「くっくっくっ」
ナイフの主は肩を揺らして笑った。
刃を引いて、そいつはゆっくりと顔を隠していたフードを持ち上げていく。
「久し振りだなフィスト。腕は鈍ってないようで安心したぞ」
「! ブレイクか?」
昔の知人の名を呼んだ。
あまり好ましくない知り合いだが。
奴は俺と同じ人狼族の青年で、狼の耳と尻尾、それと睨み付けるような細く鋭い瞳をしている。
「そのナイフ…相変わらずだな」
ブレイクの持つナイフは黒くぬめるような嫌な光を放っている。
これは一種の毒で、かすり傷が出来ただけでも、息の根を止めれるって代物なんだ。
裏の世界じゃ珍しくもないが。
「ま、適当にやらせてもらってる。で、お前はどうなんだ?…昔と比べて変わったように見えるぞ」
「そうか?」
「孤高の牙が、今じゃあ牙を切られた犬みたいな甘々な顔してやがる」
(牙を切られた犬ってどんなだよ!)
…と、怒るよりも先に突っ込みたくなった。
なるほど、昔の俺なら犬扱いに怒り、十分に致命傷となる勢いの拳を振り放っていた事だろう。
「…怒らないんだな」
「まぁな」
「女でも出来たか?」
「女だけどよ、どっちかと言えば子供だな」
花畑で蝶々を追いかけて迷子になる奴を、女とは呼ばない。
ガキ、だ。甘っちよろいお子さまだ。
俺が目線を人混みに漂わせると、ブレイクはどれが連れなのか一目で分かったようだ。
「これからのお楽しみ、か」
「そんなんじゃねーて言ってンだろ」
「なら、オレがもらうか?」
「…」
ギロリと睨み付けてやる。
こんな奴にたらし込まれて、幸せになれるわけがない。
「怖いねぇ。ただの冗談だろ」
いいや、半ば本気だったに違いない。
そういう奴だ。
「その分じゃ、仕事の話をしても無駄みたいだな」
仕事…考えるまでもない。
つまり、暗殺のたぐいだ。ブレイクはそういった裏の仕事のプロだ。
「ああ。無駄だ」
「いい金になるんだかな。もったいない」
本気で残念そうにブレイクは首を振った。
俺は一瞬だけ眉尻を上げてしまったが、ワンドをちらりと見て直ぐに断った。
「諦めろ」
「昔なら、いい金になるって言えば食らいついてたくせに、本当に変わっちまったな。…本物のフィストか?」
「あの頃は金だけが信じられる物だと思ってたからな。金を積めば、命すら買えた」
俺はどこか遠い目をして、ため息混じりに呟いた。
そこに居た頃の俺は、力と金と…わずかな薬だけが世界の全てだと思っていた。
旅をして、それだけではない事を知った。
俺が変わったとしたら、そのおかげだろう。
…例えば、一輪の《花》とかな。
「フィストぉ!」
人混みを突っ切って、ワンドが真っ直ぐに俺の元に駆けてくる。
勢い余って、ぽすっと俺の腹あたりに収まった。
「何やってんだよ」
苦笑して、ワンドの頭を撫でるようにポンポンと叩いた。
抱きついたまま、ワンドは顔を上げた。
「お腹空いただにゃんっ」
「さっき昼飯を食っただろ」
「焼きトウモロコシ屋さんがあったのにゃ♪」
「あー。はいはい」
まったく、コイツは珍しい食べ物と見ると、直ぐに飛びつきたがる。
「くっくっくっ」
低い笑い声に、俺はハッとする。
そういや、ブレイクが隣に居たんだっけか。
俺はワンドの肩を掴んで身から離し、ブレイクを睨み付けて黙らせた。
くそう。頬がやけに熱い。
「邪魔したな。せいぜい幸せになれよフィスト。じゃあな」
「そんなんじゃねーって言ってンだろ!!」
人混みの何人かが振り返るくらいの大声を出して叫んでしまった。
以前なら、そんな目立つ行動はしなかっただろう。
ブレイクは俺らに背を向けたまま片手をあげて人混みの中に紛れていった。
見えなくなってから俺は小さく息を吐いた。
…奴はもう二度と、俺の前には現れないだろう。
そんな気がした。
ワンドの言う焼きトウモロコシ屋を探そうと、寄りかかっていたレンガ造りの建物から背を離した。
歩き出そうとし、ワンドがいまだに俺の服を握ったままである事に気が付く。
「何だよ、歩けないだろ」
ワンドは顔を上げて俺をじっと見つめた。
心なしか、涙をこらえて潤んで見えた。
「フィストがどこかに行っちゃうのはヤだにゃん」
…こいつ。
まさかブレイクが裏の人間だと気づいていた?
しかも誘われた俺がまたそちら側に行っちまいそうになった事まで?
もう一度くらい仕事をしてもいいかと、一瞬考えちまったんだ。
――あぁ。子供ってのは、妙に勘が良い。
俺はペタンとうつむくワンドの耳を見下ろした。
怯えたように、尻尾も垂れ下がっていた。
花を咲かせたみたいな輝かんばかりの笑顔が、すっかりしおれてしまっている。
俺はワンドの頭に手を置いた。
「どこにも行かねぇよ。《花》がしおれちまう」
「…花?」
「こっちの話しだ」
俺は口の端をクッと持ち上げて笑う。ワンドは自分が花に例えられている事に全く気づいていない。
…と、ワンドが驚きと不思議な物を見る目をして見上げてくる。
「あんだよ」
「フィストが笑うところを初めて見たにゃ…」
「ほ、ほっとけ!ほら行くぞっ」
少々乱暴にワンドの腕を振り払い、俺は歩き出した。
「フィスト、耳まで真っ赤だにゃ。お熱があるかにゃん?」
「やかましい!」