アナロジー思考
注意事項1
起承転結はありません。
短編詐欺に思われたら申し訳御座いません。
上手い回答が出来ない人間なので、感想欄閉じてます。
これは読者様の問題ではなく、私の問題。
詳しく知りたい方は代表作の『作品と作者の注意点』に書いてあります。
※『小説家になろう』、『カクヨム』様にも投稿をしております。
注意事項2
小学生が、自分の会話を意識して進めるって事は出来ないと思うんだよ。
本当は大人が気付いて、持ってかせるのが一番良いんだけど、そもそも才能に気付いてあげられるか問題があるから。
道徳の授業が得意な子というのは、自分の意見を言語化出来るか、多角的な視点でものを見れるかという哲学的な技量が必要になってくる。
つまるところ『彼奴が一方的には悪いんだ』、『そうに決まっている』と決め付ける子は、やや手が掛かる。手が掛かかるからこそ、可愛いとも思うけれど。
だがそうなると、拉致が開かない。開かないからこそ、頼りになる。
――嘘をつくことはいけないことは思いません。
だったらテレビでやってるドッキリはどうなのでしょう? あれ、演者に嘘をついてません? でも許されている。だから決して悪とは思いません。悪いなら、悪ならば、もっと早くに潰えているはずです。
――これに対して意見のある子はいる?
いつものように道徳の授業が終わった後、先生は私に荷物持ちをお願いした。お願いしたというか、いつものように圧を感じたというか。だから圧のままに従って、私は荷物持ちをする。
「私の評価はどうなのでしょう?」
「うん? どの教科?」
ニヤニヤと笑う姿が憎らしい。そう言う事をするから同級生から『ロリコン教師』なんて言われもない評価を貰うんだ。だがこの先生が引っ掛けられるかは私にかかっている。
何を求めているのか、何を欲しているのか、それが分かるまでは個人的には手離したくないというか。気になるというか。
「……別に、教えられないというなら、勝手に調べますけど」
「そうじゃないよ。まともな問い掛けじゃない? 『どの教科が知りたいか』って、そして『何が知りたいか』って」
「国語……とか。成績……とか……」
「平均かな。たまに下振れるけれど。あぁ、成績に関してはね。授業態度は良いよ」
あぁ平均なんだ。国語の文章題って良くわからないんだよね。何言いたいかも、何を知らせたいかも。私が書いた答えが正しくそうだとは言えないし、別の言い方しても正解だし。
そうして会話が終わった。散々『賢い』『賢い』と持て囃しにかかるが、平均、なんなら下振れるなら意味が無い。注目もされない、埋もれるだけの人。
「で、気付いたことはある?」
「はい?」
「ないなら良いよ」
そう言って、何も言わなくなった。
「先生、私、賢くないです」
だからそんな淡い期待とか、持たないで下さいよ。今だって答えられてないし。
大人の夢が、子供の夢になることがある。ある意味で。つまり、自分の夢を子供に押し付けているだけに過ぎないのだ。
そうしてそれに対して自覚はあるかと言われたら、そんな事はなく。ないからこそ、期待が肥大化する。そうして。
――先生、私、賢くないです。
そう言われたとき、あの子は何を考えていた? 期待に潰されそうになったんじゃないのか? だからあんな事を言ったんじゃないのか。
「ちょっと待って」
「はい」
「私が言ってるの、何も『勉強が出来る』という意味での賢さじゃないから」
「……社会って、結果主義じゃないですか。結果出さなきゃ意味が無い。成果出さないと評価されない。お父さん、社会はそうだって言ってました。
そうして学校では、授業態度よりも成績が優先されます。授業態度が良くても、学力的な意味で成果出さないと意味が無い。私の頑張りは無意味になる。私の授業態度が成績に直結するならまた変わると思いますけど、世界はそうじゃない」
あぁ、この子の自己肯定感の低さ、子供とは思えないニヒルな性格、期待値を下げる言動は、これが原因か。身近な親が『厳し過ぎる』。『社会の冷たさ』しか教えてない。
ぶっちゃけ、惜しい。才能はある。間違いなくある。けれどもそれに気付いてない。
「あのさ、君と私の会話の癖、気付いてる?」
「え……ただの会話……」
「君と私がやってる会話、抽象から具体に降りている。今の会話で例を出そうか?
君は『社会は結果主義』と言った。結果主義が何なのか、どういうものなのか、まだ具体的に話してない。けれども次のターンで『学校では成績が優先される』『学力的な成果を出さないと意味が無い』と言った。つまり具体的な一例を出している。
君の会話はこのパターンが多い。意見を言った後に、それを裏付ける一例を示す。これが私が言う『賢さ』の一部。他にもあるけれど、一番顕著なのがこれ。
君はこれを大層無意識的に行っている様だけれど、これを意図的に行うと尋常じゃない強みになる。テストの点数も大事だけど、『生きる』という意味ではこっちの方が分がある程に」
「……私の賢さはテストには現れない。でも生きていく上では大切ってことですか?」
ここまで長い会話をたった一行でまとめた。やっぱりこの子。
「こういうの、アナロジー思考に近いんだけど、賢い人はこれをする事が多い。それは自信を持って良い」
彼女はただ訝しむ様に私を見た。信じられない。今だって誰からも評価されていないと、目が雄弁に語っていた。
「理解はした。論理は理解出来ている。けれども感覚まで落とし込んでない。君がやる『人に好かれる行動』レベルまで落とし込んでない。
だから私は君を心配しているし、同時に尋常じゃなく期待してしまう」
「……」
「気にしなくて良いよ。私が勝手に期待しているだけだから。君は何一つ背負わなくて良い。」
小学三年生時代、思っていたこと。
授業態度良くても、成績良くないと意味ないじゃん。
社会もどうせそうなんだろ。
『素直な良い子が重宝される。成績なんて二の次だよ』なんてさぁ。ハッタリだろ?
私はやってけない。はーだりぃ。
※作者は『昔から』擦れてます。
図太く生きてます。いや、草。
私の小説でも、後書きでも、まぁ気付いてからはかなり意図的に使ってる手段なんですが、
具体と抽象、抽象と具体を割と意図的にしている。
因みに『お前、何言ってるか分かんね』という時は、おもくそ『抽象でしか話してない』事が多い。
相手に『想像させる』という行為をしていない。
相手に理解させるため、納得してもらうための手法として使ってる。
じゃ、その具体と抽象ってなんなのかって話。
基本的にはある一つの命題を出して、その後に一例を出す。
例えば、
『なんか美味しいものが食べたい』だと抽象。
これを具体に落とします。
『あーなんか生地がサクサクで、中にクーベルチュールのとろけたチョコ入った出来たてのクロワッサン食べたい。
○ンマルクのやつ。あれ、あれ美味しい。食べたい』
これが具体。
相手に想像出来るように、条件を追加してるんですよ。
相手が『ごめん、想像出来ない』って言われないように。
逆に具体から抽象に引き上げるときには、
『今食べたいものって、味噌カツ定食とか、○浜ラーメンとか、チーズマシマシマルゲリータ』
これが具体。
『……胃に溜まりそうなこってりしたもの……』
これが抽象。
具体的な例から共通点を抜き出して、一文にまとめる手法。
これが出来ると何が強いかって、相手に納得して貰える。『アンタの話分かりやすいね』と思って貰える。
これが基本的用法。
これが応用まで走ると、相手の説明とかも分解して見聞きする様になるから、理解の速度が上がるんですよ。
勿論、初見のものには慣れが必要なこともあるけど。
凄い単純な事だけど、仕事で
『○○をして欲しくて』
と指示を貰った時、相手がごりごり具体に落とさなくても、
『あーじゃあ、これを分配して、まとめシートに反映して、その後に新しい書類が来るから、ソフトに反映までして欲しいんだね』
まで思考が走る。
でもこれはある程度の経験とパターン認識画必要。
その人特有の、会話の癖を見抜かなきゃ駄目。
だからよく言うのは、
『新入生には、かなり具体的には言わなきゃ駄目。何言ってんのか分からないんだから。無理させんな』
とは言うこと。
ちなみに、私の偏見と体感で、年齢が上の方の人って、抽象での話しかしない。
『いい感じにやっといて』
とか頻繁に言わない? あれ、抽象ね。
だからそういう人の元に着くと、慣れるまで三年は掛かるんだけど。
で、これの嫌なところは、マジで生きていく中で、人間関係で頻発するのに、誰も教えてくれないところ。
話した通り、年上の上司は抽象で物を話すから、自力で具体まで想像しないといけない。
学校のテストは『具体性に隠れて』出てきてる。
つまり自分で気付かないと、駒を進められないところ。
出来てはいるんだよ。この子。
でも小学三年生だし、自己肯定感の低さとか、理解度の成熟度から、使いこなせてない。
無自覚に使ってる。
多くの人もわりと無自覚だけど、この子の違いは『ただの抽象だけで終わらせない』、『一例出さないと駄目』ってところを人間観察から無意識にでも導き出してるところ。
snsが抽象的な、対象を指摘しないで炎上するの、割とこれね。
聞き手が勝手に具体を想像して、『あのこと言ってんだろ!! ふざけるな!!』と批判するから。
そもそも論、最初に提示された命題がすれ違っている可能性がある。
それでも誰も見ようとしない。
それが『惜しい。磨けば化けるのに!!』と先生が悔やんでいるところ。
『卑下するんじゃない。少なくとも私の目に狂いとかないから』
精神であの子を見てる。
でもまぁ、あの子は劣等感が強いし、『変な期待しないでよ。失望するだけ』と思うのは無理ないかな。




