恋と友
キラキラと零れる微粒子を朝の太陽が照り付けて窓の中に入って来るのを見せつける。
息を切らして走る学生達が汗をかきながら、今だけの時を精一杯謳歌している。
体育館からシューズが擦れて、キュッキュッという軽快な音とバスケのボールが乱暴に床に叩き付けられる音が響く。軽快な掛け声が耳を劈く。
私は待っている。
明日、この時間に彼女が来るのを。
私には好きな人がいる。
枯葉のような天然の茶髪に甘いマスクと言うと当て嵌らない少しぶっきらぼうな人相のまあまあ身長の高い男の子だ。声が私の好み過ぎて、彼に近付く人を徹底的にマークして来た。
だが、彼は気まぐれ猫のようにどこに行くのかどこに行く宛があるのか、私に読ませない。
部活でサッカーをやっているから今、私がいる2階の教室の窓から丸見えのはずだが、影が薄く時々、瞬きした瞬間にテレポートしている。
ミステリアスさに惚れたはずなのに、どこか虚しい。
あれは交換日記で仲の良い女友達とやり取りをしていた時のことだ。
軽い気持ちから私は交換日記の最後の見出しのテーマを「気になる男子」にした。私自身はバレる訳にはいかず、どの女の子も好きになると噂の岡村徹矢とフェイクを使った。
兎の可愛いメモ欄に恋バナが募る。〈LABIーちゃん〉という人気キャラクターの雲のようなお腹の辺りに私以外の女の子の「気になる男子」が暴露されていく。私はそれを見て比野大輝君が好きな子が私だけなのを確信しようとしていた。
「今日は私の番ね」
1番最後に水瀬明日香が交換日記を手にした。やはり日記の模様はどこを見ても雲やハートや月や星マークの付いた〈LABIーちゃん〉で埋め尽くされていた。
明日香は私の尊敬と恵愛を勝ち取ったお姫様である。彼女もきっと岡村徹矢と書くだろう。
私はそう信じて止まなかった。
英語の時間、現在進行形と過去形と未来形を復習する時間があった。
手の付けようがなくて暇を持て余していた私に手を付け過ぎて暇を持て余していた明日香が交換日記を女子だけで回して来る。
先生は英語の本に夢中になって気付いていない。或いはイジメの標的になるのを恐れてか無視を決め込んでいた。
男子は〈LABIーちゃん〉のパッケージ自体に嫌悪感や劣等感を感じるのか触るのを拒絶していた。
女子のクスクス声に教室が支配される。
男英語教師が時々、咳払いして居心地悪さを訴える。誰も意に介さないのが、学校の怖い所だ。
明日香の文字は習字1級と言われても違和感の無い美しく整い過ぎた文字だ。しかし、私が一瞬で硬直したのが、それではないことは察しの良い読者には伝わるだろう。
水瀬明日香の「気になる男子」は比野君だったのだ。
私は明日香の顔をマジマジと見た。私と同じフェイクでないと困る。
明日香は聖人君子だ。文武両道のモデルでブルジョワの高嶺の花だ。明日香に告白して散っていった恋を親友目線で沢山見て来た。
何故寄りによって水瀬明日香様が比野大輝君なんかを好きになったのだろう。私へのイタズラだろうか。
英語の授業が終わった後、昼休みが挟まった。
焼きそばパンを購買でソソクサと買って、私は明日香の手を引き、屋上の風に当たった。
「どういうことよ?」
明日香を恨みがましく睨む。
明日香はホイップの入ったメロンパンを齧ってキョトンとした。私達、中学生のセーラー服は控え目に言っても愛らしい。
「私が比野君を好きなの、知ってたでしょ」
明日香は不敵に笑った。その時の明日香は私の知る聖人君子ではなかった。
「ましろが好きなの岡村君でしょ?」
私はコンプレックスの癖っ毛を片手で抱えた。
「あんなキザ、私のタイプじゃない!」
焼きそばも髪の毛もクルクル巻いている。無性に腹が立ったが、それと同時に腹も減った。
私は焼きそばパンをがむしゃらに口の中に突っ込んだ。そして、当たり前のように噎せる。
明日香が背中を摩ってくれた。
「ましろ、まさかアナタ、比野君のことが好きなの?」
一通り噎せてから悔し涙のようなものが零れた。
「何?悪い?」
明日香が絶望的な顔をした。そんな明日香の顔を見たのは初めてだった。長いサラサラの黒髪が顔面に影を作る。
「1週間だけ」
「何?」
私は明日香の整った顔に血反吐を吐きたくて仕方なかったが、我慢する。
「1週間だけ比野君と付き合わせて」
苦しそうに明日香が言った。
私は焼きそばパンを食べ切って、明日香の綺麗な顔にビンタを軽く喰らわせた。
「意味分かんない!!!」
「1週間経ったら分かるから」
私はその言葉を無視して、屋上から明日香を1人にし、去った。
あの時の私は明日香の言う通り何も分かっていなかった。取り返しの付かない判断をしたとは知らずノウノウと日常に住む闇と戦っていたのだ。私の人生で1番清らかな人。
もう戻らない。
比野君と明日香は付き合った。
翌日の朝、明日香は比野君と私を迎えに来た。
比野君はタジタジしっぱなしで余りにも滑稽だった。しかし、私の好きな比野君だった。
「水瀬さんと樹月さん、2人は仲が良いんですね。でも、どうして俺なんですか?」
私は減らず口を叩いた。一言言ってやらないと気が済まなかった。
「水瀬さんはただの泥棒猫だよ」
比野君は軽く「え?」とだけ言って戸惑いを見せた。
今思えば、恋人より親友を優先させる明日香はやはり聖人君子だったのだ。普通、恋敵と登校しようと思わないだろう。私は軽い自己嫌悪に溺れた。
3人で過ごす時間が1週間を越えた頃だ。
明日香が危篤状態になった。
くも膜下出血と1週間前から診断されていたらしい。
私は明日香と比野君と一緒に行った動物園で明日香が嘔吐したり座り込んだりしていたのを思い出した。
私が比野君と近付けなかったから彼女は仕組んでいたのだ。これが真実なのだ。
「バカ野郎」
私は病室で青ざめた明日香を見つめた。呼吸は当たり前ながらしていない。
「全て嘘だよ」
明日香の声がする。
「全て夢だったんだよ」
明日香の手を握って私は号泣しようとした。涙より現実を認めることの困難さが勝った。
バカは私の方だった。
親友の死に涙も出せないのだ。
それから、私は比野君を自由にさせてあげた。
彼も相当ショックを受けていたようだ。
比野君は傷付いた小鳥を介護するように時々、私を抱いた。比野君のことは好きだったけど、明日香のいない世界は物足りなかった。
私は毎朝、彼女が学校に来るのを待つ。
「嘘だよ」
そう言って笑って、走って来る彼女は相変わらず、聖女なのだ。
微粒子が太陽に挑戦するように舞っている。




