当て馬と噛ませ犬
貴族学院の中庭、ベンチに腰掛け本を読んでいた令嬢が、口元に手を当て小さく声を漏らした。
「えっ……嘘、これじゃまるで……」
震える右手には今、巷で流行りの恋愛小説。だが、その表情はひどく青ざめていた。読書を楽しんでいるようには、とてもじゃないが見えない。
そんな令嬢のただならぬ様子を見兼ねたのか、一人の貴族令息がベンチへ近づく。
そして、そっと彼女に声を掛けた。
「大丈夫ですか? リザベル嬢」
「‼︎」
驚いた彼女が反射的に顔を上げると、声の主と丁度目が合った。心配そうに眉を下げた麗しい青年の顔。
それを見た令嬢は予想外の言葉を口にした。
「あっ! 当て馬の……!」
「……は?」
「あ、あ、あ、じゃなくって、ク、ク、クロフォード様⁇」
「……」
二人の間に、微妙な沈黙が訪れる。
「リザベル嬢……一瞬、聞き慣れない単語が聞こえたような気がするのですが……」
「ななな、なんでもありませんわ、おほほほほ!」
不自然以外のなにものでもない令嬢。その挙動不審さが、かえって彼の中の好奇心に火を付けたようだ。興味深そうな視線を彼女へと向ける。
「ゔっ!」
大きな瞳で、じぃーーっと凝視してくる青年の視線。
無言のプレッシャーに耐えきれず、リザベル嬢は顔の前にパッと待っていた本を掲げた。
それで追求の視線を遮ろうというつもりなのだろうが、無駄な抵抗だ。彼は圧を弱めるつもりはないらしい。
「……」
ようやく観念したリザベル嬢は、本で顔を隠したまま、ぽそりぽそりと言葉を溢し始めた。
「これ……読めば読むほど、自分の境遇を表しているようで……少々、戸惑ってしまっただけですわ。ご、ご心配をお掛けしてすみません。どうかお気になさらずに……」
「『季節が何度、巡ろうとも……』か」
青年は向けられた表紙の文字をそのまま読み上げた。恋愛小説を読まない彼でも、題名だけは耳にしているくらい、市政で超話題になっている作品だ。
「今、人気の小説だね。舞台化も決定してるって聞いたよ。どんな内容の話なんだい?」
青年の問い掛けに警戒心が緩んだのか、リザベル嬢は盾代わりにしていた本を胸の高さに下ろし、パァッと顔を輝かせた。
「こ、これはですね! 平民から貴族になった令嬢が周囲の嫌がらせに負けず、持ち前の明るさで突き進んでいく王道学園モノなんです! その中でも、主人公を巡る三角関係が勃発するんですが、彼女が恋する相手に実は……って、ク、クロフォード様、一体何なんです? そもそも、なんで私の名前をご存知なんですか⁇」
目を輝かせ、小説の内容をペラペラと語っていたが、ふと我に帰ったリザベル嬢がまたしても、さぁっと青ざめる。
爵位は同格でも、クロフォードが自分と気安い関係ではないことを思い出したのだろう。つい、自分が好きな話題を振られ、饒舌になってしまったようだ。
「知ってるも何も、リザベル嬢はジオの幼馴染でしょ? 君の方こそ俺を知ってたんだね」
「も、もちろんです! クロフォード様は学院内でとても目立ちますし、それに……いつもご一緒の、キャ……キャロライン様の……従兄でいらっしゃいますよね?」
「あぁ、そうだよ」
柔らかく微笑む青年を、リザベル嬢は複雑な表情で見つめる。
「もう……私は大丈夫ですから……」
「ん〜〜」
『一刻も早くこの場から立ち去りたい!』と顔に書いてある正直な彼女を、逃さないとばかりに、目の前に立って引き留め……もとい、道を塞ぐ青年。
いつもは『爽やか』が服を着ているような男だが、今の彼からは小悪魔のような少年っぽさが垣間見える。リザベル嬢が困る姿を内心楽しんでいるようだ。
「リザベル嬢と話をするの、これが初めてだね。せっかくだから、もう少し話がしたいんだけど……駄目かな?」
「えっ⁉︎ ク、クロフォード様が私に何のご用で……はっ! まさか、私と手を組んでジオとキャロライン様、二人の仲を引き裂こうとか……む、無理です、無理です! お断りします! こんなんでも私は、ジオの幸せを願っているんですから!」
「うん。君が心配するようなことは微塵も考えてないから大丈夫だよ」
全力で拒否を示すように両手を振るリザベル嬢に対し、彼女の断り文句を笑顔でバッサリ斬り捨てるクロフォード。
「恋愛小説の読み過ぎだよ。それよりさっき言ってたこと、すごく気になるんだけど? ほら、自分の境遇がなんとかって……」
クロフォードの言葉に彼女の顔がさっと曇る。
「私、どうやら……噛ませ犬みたいなんです……」
「……は?」
またしても、日常会話で使用しない五文字が彼女の口から放たれ、クロフォードの目が点になる。
「昔、ジオから言われたんです。『18歳になってお互い婚約者がいなければ、俺がお前を嫁にもらってやるよ』って……家族同然で育ってきたから、私も嫌じゃなかったし……子供同士の口約束、彼は忘れちゃったんでしょうけど、私はしっかり覚えてて……年齢が上がるに連れ、なんだか変に意識しちゃって……」
「そしたら、学院に入って早々、キャロラインに横から掻っ攫われたってわけだ」
「うっ! クロフォード様、言い方ーー!」
「ははっ、それで?」
リザベル嬢を揶揄い、その反応を楽しみつつも、彼は話の先を促す。
「しょ……小説の中で、ヒロインが恋するお相手には、常にベッタリな幼馴染がいるんです。『互いが18歳になって婚約者がいなかったら、私達は結婚する。そう子供の頃に約束したのよーー!』って泣きながら絶叫するシーンが……」
そう言って、リザベル嬢がパラパラと紙を捲り、挿絵の載ったページをクロフォードへと向ける。
「家同士の婚約には至ってないところとか……他にも色々……で、この幼馴染『リサベル』って言うんですけど……」
「なるほど。偶然だろうが、境遇も名前もよく似ているな」
「えぇ。で、この『リサベル』なんですけど、嫉妬に狂ってヒロインに嫌がらせを繰り返すんです! でも、全くダメージにはならなくって、それどころかポンコツで、むしろ『ざまぁ』されてばっかりなんですけど……」
「……ざまぁ?」
彼の辞書に無い言葉なのか、クロフォードが形の良い眉をぴくりと顰めた。
かたや、恋愛小説を読み漁っているリザベル嬢には当たり前な言葉だけに、彼の反応が彼女にとって意外だったようだ。
「『ざまぁ』は、悪いことの因果応報という意味ですわ。それも、この作品のオススメポイントというか、おもしろポイントというか……と、とにかく、恋は人を変えると言うから……この『リサベル』だって、最初は幼馴染のことが大好きな可愛い女の子だったはずなのに、二人の恋を盛り上げる為に毎度引っ掻き回す、ただの引き立て役になっちゃって…… 」
「『引き立て役=噛ませ犬』、か。ねぇ……リザベル嬢、君はジオのことが……」
「好きですよ、昔から」
「っ!」
なんの迷いもなく、さらりと彼女が言い切る。カマをかけるつもりだったクロフォードの方が、不意打ちを喰らってしまった。
己の従妹に、好きな男を奪われた令嬢……無神経に自分から聞いておきながら、どう接するのが正解かわからず、彼は口を噤んでしまった。
気まずい空気を察したのか、リザベル嬢は少し困ったようにクロフォードへ微笑みを返した。
「クロフォード様に気を遣わせてしまって、なんだかすみません。ただ、私のジオに対しての『好き』は……異性としてかって聞かれると……正直わからないんですよ」
「わからない?」
「えぇ。そういうのを飛び超えて、ずっと『家族』として彼を見てきてしまったから……クロフォード様にこれを言うのは申し訳ないんですが……ジオって、キャロライン様に夢中じゃないですか? 私は、素直に嬉しいんです。大切な幼馴染が恋してて、それがすごく幸せそうで……あ、本当、負け惜しみとかじゃないですよ? そもそも今まで、彼に特別な人がいなかったのが不思議なくらいで……そんなジオの一番近くにずっといたからか、ちょっと寂しい気持ちもあったり……でも『リサベル』みたいなことは絶対にしたくないんです。でも……自分にイジワルするつもりがなくても、もしも無意識のうちにキャロライン様に嫌な態度取っちゃったらどうしようとか……」
「リザベル嬢……」
心根の優しい読書好きな令嬢は、小説の中の悪役噛ませ犬令嬢に自分を重ねてしまい、不安が膨れ上がったのだろう。
「君は……小説の令嬢とは違う。きっと大丈夫だよ」
「クロフォード様……」
「そういえば、さっき俺のこと『当て馬』って言ったけど……だったら、リザベル嬢も俺と同じなんじゃないのか? なんで『噛ませ犬』って……そもそも『当て馬』と『噛ませ犬』……一体、どこがどう違うんだ?」
「‼︎‼︎」
クロフォードの素朴な疑問が、リザベル嬢の謎のツボを突いたのか、彼女はずいっと前のめりになる。
その勢いに気圧された青年は一歩後ずさった。
「クロフォード様っ‼︎ いいですか? 両者は似てるようですけど、全っっ然違うんです‼︎
【当て馬】……恋愛系物語の場合、主人公のことを好きなニ番手の人物として登場。本命と対峙する重要な存在。
【噛ませ犬】…… メインキャラの良さや強さを引き立てる役として登場。必ず負ける弱い存在。雑魚。
(※ リザベル嬢の偏見がガッツリ含まれております。ご注意ください。)
つ・ま・り、『当て馬』っていうのは、絶対的に必要な恋のライバルなんです! 見た目がカッコよくって、ヒロインに優しくって、性格も良くって、素直になれないヒーローキャラよりも真っ直ぐで魅力的で……なのに、本命視されない不遇な扱いを受けてしまう。でも、そこがまた、『頑張れーーっ』て応援したくなっちゃうんですよね。私、いつも当て馬キャラの方に惹かれちゃうんです! あ、そっちが本命に勝つ物語もありますよ?」
よほど興奮しているのか鼻息荒く捲し立て、クロフォードに熱弁を振るうリザベル嬢。
「……」
すごい熱量をぶつけられたクロフォードといえば、いつの間にか自身の顔を片手ですっぽり覆っていた。だが、長い指の隙間から見える頬や耳がなんだか赤い。
先程とは違う彼の様子を、不思議そうに見つめるリザベル嬢。
「あ、あら? クロフォード様、どうかされましたか?」
「ねぇ、リザベル嬢。それってさ……告白? それとも、俺のこと、遠回しに口説いてるの?」
………………
「えっ⁉︎⁉︎」
「だって、そんな風にめちゃめちゃ褒めちぎってる『当て馬』ポジションに、俺のことを当て嵌めて考えていたんでしょ?」
「え? あ、そ、それは……そう、なんですけど……」
「あと、言っておくけど、そもそも最初から勘違いなんだよ。俺はキャロラインのことを全く好きではない。ただ、彼女は一時期、平民として暮らしていたことがあるから、貴族社会に慣れていない部分があってね。学院生活に支障がないよう、面倒みろって親から言われただけだ。関係性としては従兄妹同士だが、それ以上でもそれ以下でもない」
「そ、そ、そうだったんですね。いつも一緒にいらっしゃるから、てっきり……すみません! 私ったら、何も知らずに勝手なことをぎゃあぎゃあと……」
色々と思い違いをしていた恥ずかしさのあまり、真っ赤な顔になってしまったリザベル嬢。最後の方は声すらも裏返っている。
緊張で身体をガチガチに硬くし、背中を丸め、胸の前で身を守るように本をぎゅっと抱き締める。
「……」
すると、それを見て、クロフォードがひょいっと彼女の腕の隙間から本を抜き出した。
そして、それを顔の横でひらひらと動かす。
「?」
「もしも……リザベル嬢が物語の主人公だったら、ジオとキャロラインの方が『当て馬』と『噛ませ犬』、はたまた『味方』ポジションになるって感じなんだろうな。そういえば、『当て馬』とか『噛ませ犬』以外、他に言い方はないのかい?」
「え? そうですね……でしたら……『踏み台』はいかがですか?」
「……もはや、生物ですらなくなるのか。ははっ! そりゃいいや!」
そう言って、クロフォードは少年のように笑う。そのキラキラと輝く純粋な笑顔を真正面から直視し、リザベル嬢の胸がどくんっと大きく脈打った。
「⁇」
胸に手を当て首を傾げるリザベル嬢。クロフォードは掴んでいた本をそっと持ち主に差し向けた。
彼女はそれを両手で恐る恐る受け取ると、その表紙をじぃっと見つめる。
「主人公……」
「とりあえず……今度、一緒にこの舞台でも観に行きませんか? リザベル嬢」
「……え?」
「デートのお誘いだよ。ねぇ、いいでしょ、ヒロイン殿?」
………………
「えぇ〜〜〜〜⁉︎」
思いもよらぬクロフォードからの言葉に、リザベル嬢は今日一番、大きな声を発し、学院の中庭に響き渡った。
こうして、自分を『噛ませ犬』だと思っていた令嬢と『当て馬』っぽいが実はどうも違っていた令息の物語が、ゆっくりと動き出したのだった。
見方をくるりと変えれば、脇役と思っていた存在が主役へと躍り出る……でも、それは必然なこと。
だって、皆、それぞれの人生の主人公なんですから……。
おしまい
お読み頂きありがとうございます。
『当て馬』と『噛ませ犬』の違いって何かなと思い、それならサクッと読める短編を……と考え、作りました。ちなみに今回、作中に出てくる小説の作者が転生者なパターンでした。
もしよろしければ、評価、いいね、感想等、頂けたら幸いです。




