王子様は孤児院出身の娘にご執心らしい。
レイン・ジョーンズ公爵令嬢
ディンカー第一王子 レインの婚約者
クァンティ・ガイン男爵令嬢
「王子様は孤児院出身の娘にご執心らしい」
近頃、そんな噂が学園に広がっていた。何故その様な噂が立ったのかと言えば、当の本人が周辺の者達に話していたからだ。
「可愛くて可愛くて仕方がない。あの小さく、か弱い娘には望む物全てを与えてやりたいし、敵対する全てから守ってやりたい。出来るなら片時も離したくはないが、レインが許さない」
と……
しかし、その様な話など気にもせず、王子の婚約者であるレイン・ジョーンズ公爵令嬢はカフェテリアでランチタイムをのんびりと過ごしていた。
「ディンカー様を解放してください!」
ところが、デザートのレモンスフレが運ばれて来たタイミングで、何者かがレインの楽しみを阻んだ。
「お願いです! このままではディンカー様が可哀想!」
複数の男子生徒らを伴ってやって来た少女は、クァンティ・ガイン。半年前、転入してきた男爵令嬢で、少々変わった経歴を持っている。
クァンティは、男爵家の跡取り息子とメイドが駆け落ちし、その二人の間に生まれた子供なのだが、不幸にも両親はクァンティが幼い頃に他界してしまい、孤児院にて育つ。しかし、昨年、父方の祖父に発見され、男爵家に引き取られたという。
学園に入学すると、クァンティは持ち前の人懐っこさを発揮し、爵位関係なく男子生徒に声を掛けた。奔放な行動を気に入った一部の令息達と親しくなり、まるで姫君にでもなったかのような振る舞いをしているので、女子生徒はもちろん、大多数の男子生徒からも距離を取られていた。
だが、当のクァンティは自分が元平民なので、虐められていると取り巻きに向かって嘆いている。レインはそんな茶番に付き合う義理はないし、クァンティとその仲間達とは関わっていなかった。
ところが、今まさに焼きたてのフワッフワのレモンスフレを喰らわんとしたタイミングでのこの暴挙。美味しい最初の一口を阻むなど完璧なるギルティ。
「浅ましくディンカー様に縋り付かず、早く身を引け!」
「ディンカー様に相応しいのは、冷酷な女ではなく、心優しきクァンティだ!」
「身の程知らずが、恥を知れ!」
視線を向けた先にいる取り巻きは、下位貴族だけでなく、侯爵家や伯爵家の令息も交ざっている。ただし後継の立場の者はいない。
「私とディンカー殿下の婚約は王命によって結ばれた縁談です。貴方方の発言は生家を代表しての事ですか?」
「そうやって権力を笠に着て脅すなんて酷いわ!」
「我々にはディンカー様がついているのだぞ!」
「貴様の好きにはさせん!」
レインが尋ねると、1秒で論点がずれてしまった。まともな会話が成立しない者達だ。面倒だなと思っているとレモンスフレがどんどん萎んでゆくではないか。
許さぬ……
ゆらりとした動きで立ち上がったレインは、クァンティ達を見据える。それは決して睨み付けるような鋭さはなく優雅さと気品を感じるが、彼女達は本能的に怯んだ。
「これは何の騒ぎだ」
そこへ登場した男こそディンカー王子であった。
「ディンカー様っ」
精悍さを漂わせた姿を見とめると、クァンティは弾けるような笑顔を浮かべて、王子の胸に飛び込む。
「ぼへあ!」
ところがディンカーが寸前で身を躱したせいで、クァンティは床へと飛び込む結果となった。
「突然飛びかかってくるとは、まるで獣だな」
カフェテリアのタイルにへばり付いたクァンティを「うわ、きったね」という顔で見下ろす王子様。
「ディンカー様、生徒会の会議があったのでは?」
「君が変な輩に絡まれていると聞いてな。怪我はないか?」
「ええ、私はこの通りです」
普通に親し気に話始めた王子と公爵令嬢。この時点で、二人が不仲ではないと周辺にいる生徒達は理解したが、クァンティ一派はわかっていない。
「ディンカー様! 私です、クァンティです!」
「何故、その女を庇うのです!?」
「公爵家如きに王族が負けてはなりません!」
そしてディンカーも彼らが何を言っているのか全然理解出来ない。ゴミカスを見るような視線を向けてつぶやく。
「何だ、こいつらは? 阿呆なのか?」
「彼らは私にディンカー殿下との婚約を解消すべきだと申しておりました」
「何だと? 我が父である国王陛下に認められた婚約に異議有りとは、如何なる理由があっての事だ? 貴族家最大派閥筆頭のジョーンズ公爵家との縁談を阻み、私の立太子を阻止しようとの意図でもあるのか? どちらにせよ、貴様らが反王派を表明した事は理解した」
自分達の支援者だと思っていたディンカー王子の予想外の反応に、流石にクァンティ一派にも動揺が走る。
「お、お待ち下さい!」
「ディンカー様の事を思っての行動です!」
「ディンカー様はこのクァンティを愛しているのでしょう?」
悲鳴にも似た声で令息達が喚き散らす中、ディンカーはクァンティに視線を向けた。
「そんな訳なかろう」
「う、嘘です! ディンカー様は私が可愛くて仕方ないと、片時も離したくないと言ってると聞きました!」
「言ってない」
「私も同じ気持ちです!」
「同じじゃない」
「レイン様が許さないから、私達は結ばれないんです! レイン様、ディンカー様を自由にしてあげて下さい!」
あまりにも話が通じない。本人が違うと言っているのに何故受け入れないのか。ディンカーはレインに振り返ると、本人的には小声で、しかし周囲にもハッキリ聞こえる声で言った。
「気色悪い女だな」
そりゃあ、もう、しっかりと聞こえた。生徒達は「これは噂はデマだったのだな」と理解したが、それでもクァンティは認めない。認められないのだ。ブルブルと震えながら叫ぶ。
「孤児院出身の娘なんて私以外にいません!」
ハァハァと息を切らせるクァンティを見て、レインだけが気が付いた。
「まあ、もしかして孤児院出身の娘って“キティ”の事かしら?」
レインの言葉を聞いてディンカーは恐ろしいほどに激昂する。
「何だと、私の“キティ”に取って代わろうという所業か! 許さんぞ、貴様ら!」
「落ち着いて下さい、ディンカー殿下。“キティ”は“私のキティ”で御座います」
「う! ……いや、レイン。しかしだな。本当は私もキティを見初めていたのだぞ」
皆同じく疑問に思った。
キティとは何者なのか?
まさかレイン・ジョーンズも公認のディンカー王子の愛人か?
皆の疑問を感じ取ったレインが告げる。
「キティは我が家の飼猫ですわ」
猫!?
遡ること数ヶ月前。
レインとディンカーは孤児院へ慰問をしていた。その際、孤児達が母親とはぐれた子猫を保護したものの、孤児院で飼い続けるのは難しいと困っていると聞いた。
「この子です」
子供達が運んできた籠の中にいたのは、全身、純白の毛に覆われた、それはそれは小さな子猫。不安げに「ミーミー」と鳴く様子は激しく庇護欲を刺激された。その姿にディンカーは衝撃を受ける。
ディンカーは実は生き物が好きだ。しかし、それまでの彼が愛でていたのは馬や猟犬、鷹狩の鷹など、どちらかと言うと凛々しさを感じさせる動物ばかりだった。可愛い代表と言っても過言ではない「猫」しかも「子猫」だ。ディンカーは子猫を見たのは初めてであった。
可愛い、可愛過ぎる。
あまりの愛らしさに固まるディンカーを見て、レインは察した。ははーん、一目ぼれですわね。
周囲からは分かりにくいと言われがちなディンカーであるが、レインは幼少の時からの付き合いで婚約者の感情を察する事が出来るのだ。
だが、ディンカーは王子様。しかも立太子するであろうと目されており、気楽に「パパ、ママ、城で猫飼っていいでしょぉ。ねえ、お願い、ちゃんと面倒みるからぁ」などとは言えない立場だ。
そこでレインが自分が引き取ることを提案。レインの母は結婚前から猫を飼っており、嫁ぎ先の公爵家にも愛猫を伴ってきた。子供の頃のレインは、年老いた母の猫の世話をしたりと、実は猫好きで面倒を見る事も出来る。レインの申し出に子供達も孤児院の職員達も大変感謝したという。
「他所の家の猫の惚気話なんてするから、誤解を招くのですよ、ディンカー殿下」
「う、うむ。皆にもキティの愛らしさを知ってもらいたくてだな」
「そもそも、あの子は自由にしたいのに無理やり抱っこし続けるのは、お止めくださいと申しているでしょう。それに、おやつも与え過ぎです。まだ小さいのに食べ過ぎて体を壊したらどうするのです」
「だ、だが、食べ物がないと、私のそばに来てくれぬのだ」
「接近禁止にしますわよ」
「ぐっ! 自粛する。だから、今日もキティに会いに行って良いだろうか?」
なんだ、猫かよ、やれやれ。そんな空気がカフェテリアを包む。
一方でクァンティ一派は、ただただ呆然と立ちすくんでいた。クァンティ本人は自分を孤児から貴族となったヒロインだと思っていたし、取り巻きの令息はクァンティを第一王子と引き合わせれば将来の成功は約束されたと確信していた。しかし、思惑はもろくも崩れ去った。ただしレインに言わせれば噂話の詳細を確認せず、都合良く解釈して、自滅したに過ぎないので助ける義理もないし、無能を切り捨てる良い機会だとしか思えない。
「あ、お前達の沙汰は追って通達する。ではな。さあ、行こう、レイン」
クァンティ一派にそう告げるとレインを伴ってカフェテリアを出ようとする。慌ててクァンティ一派は引き留めようと声を上げた。
「お、お待ち下さい!」
「我々はディンカー様のために!」
「勘違いでした、お許しください!」
「許可もなく私の名を呼ぶな!」
「私、猫っぽいって、よく言われるんです! ほら“ニャーン”」
「本物の“ニャーン”を知る私が貴様ごときの“ニャーン”に騙されると思うな!」
その後。
クァンティ一派は、第一王子ディンカー、公爵令嬢レインに対する不敬罪と国王に対する反意表明のため全員が退学、殆どが平民となり、家を追い出された。ただし、クァンティは元は平民であったため、戒律の厳しい修道院へと入った。
「レイン、先日はとんでもない者達のせいで不快な思いをしただろう。これは君の好きなレモンケーキだ、王宮のパティシエに作らせたのだ、受け取ってくれ」
「まあ、ありがとうございます」
ディンカーは暇さえあればジョーンズ家に訪れる。そして、キティの飼い主であるレインのご機嫌を取るのだ。
「ところで、キティはどこにいる?」
「ここに居る事はいるのですが……」
レインは困ったように眉を下げる。
「何だって!?」
しつこいディンカーを嫌がって、キティはレインのドレスの中に隠れていた。
ディンカーは紳士だし、王子様だ。いくら婚約者とはいえ、スカートめくりなんぞ出来る訳がない。
「おーい、キティ、出て来てくれ。嫌なことしないから」
仕方なく、そっとレインのスカートに呼びかけると、裾から小さな子猫が顔をのぞかせる。しかし、ディンカーを見るとサッと中に戻ってしまった。
「ああ、キティ……」
「ふふふ」
「笑うなど、酷くはないか?」
「申し訳ございません、キティが私の足をスリスリするので、くすぐったくて」
「なっ」
「あらあら、もう、キティったら」
「今度は何だ!?」
「足首をペロペロしてますわ。甘えん坊なんだから、まったく」
「ぐうう羨ましいいい!」
実はレインは同担拒否な女であった。
「キティ! キティ!」
「あんまり大きな声を出さないでくださいまし、キティが怖がりますわ」
何はともあれ、レインとディンカーは、割と仲良く猫好き王と王妃として国を支えてゆくのだった。
「ここだけの話ですが、毎日一緒に寝ていますの」
「なにい! 同衾だとおお! 私には近寄ってもくれないのに!」
キティ「ニャーン」
キティはママ(レイン)が大好きな女の子です。
ディンカーの事はママの知り合いの変な男だと思ってます。




