天国と地獄
1561年冬
石山の門前に広がる貧民窟で、男は震えていた。かつて長島で極楽往生を信じ、竹槍を握ったあの熱狂は、今や遠い幻影のようであった。
「これが、我らが命を懸けて守ろうとした御仏の懐か…」
男ら長島の生き残りは、氏真によって二つに分けられた。半分は甲信の山奥へ、そして男ら残りの半分は本山への送還という名目で石山へ突き返された。本願寺の使者が放った、本願寺は貴様らを救わない。という言葉を打ち消したくて、這うようにしてこの聖地へ辿り着いたのだ。
だが、待っていたのは慈悲ではなかった。本山の僧官たちは、泥まみれの男たちを一瞥し、勝手に一揆を起こし、勝手に敗れた者たちとして、粥の一杯すら出し渋った。聖域は、戦えない弱者には冷酷であった。
そこへ、甲信の開拓地へ送られた仲間からの便りが届く。それは風の噂となり、石山の門徒たちの間に毒のように広まっていった。
「あちらは、天国だという。毎日、腹一杯の麦飯が食える。石鹸という魔法の塊で体を洗い、病も遠のいた。給金をもらい、寺の指図ではなく、己の家族のために土を耕している…」
男は、ひび割れた己の掌を見つめた。本山のために戦い、すべてを失ってここに辿り着いた自分たちは、凍える土の上で野垂れ死ぬのを待つばかり。一方で、本願寺を捨て、今川の理に下った者たちは、雪深い山中で温かな汁を啜っている。
「間違っていたのは、我らの方だったのか」
怒りは、今川に向けられるのではない。無慈悲に門を閉ざす、黄金の袈裟を着た教主たちへと向けられていた。男の瞳から信仰の光が消え、どす黒い憎悪が宿り始めていた。
石山本願寺の奥座敷で、一人の教主が苦々しく吐き捨てた。今川から送られてきた厄介物たちの処遇に、本山は揺れていた。
「今川め、食えぬ男よ。これほど陰険な策を弄するとは」
送り返されてきた門徒たちは、もはや本願寺の盾ではない。彼らは、今川という天国の噂を運んできた、恐るべき伝染病の運び屋であった。
彼らが石山の至る所で「我らは見捨てられた」「甲信は豊かだ」と嘆くたび、門徒たちの結束は目に見えて脆くなっていく。本来、一向一揆の強みは、死ねば極楽という盲信にある。
だが、氏真は、生きていれば、今川の下でこれほどの幸福がある。という、あまりにも生々しい現世の利を見せつけた。死後の救済よりも、今、目の前にある一杯の飯。その誘惑に、信心は勝てなかった。
本山としても、彼らを完全に切り捨てるわけにはいかない。だが、数千の食い詰め者を養う余裕などない。
さらに、三好との均衡を保つために金が必要な今、無益な一揆の敗残兵に割く銭など一銭もなかった。
「彼らをこれ以上、石山に留めておけば、いずれ内側から火がつく」
教主は、氏真の狙いを正確に理解していた。氏真は戦わずして、本願寺の屋台骨である信徒の信頼という土台を、心理の力で掘り崩しているのだ。
宗教という古臭い権威が、今川の算盤という現実的な合理性に食い破られていく。奥座敷の静寂の中に、教主の舌打ちだけが響いた。春が来る前に、この毒をどうにかせねば、本願寺は内側から腐り落ちるだろう。
早川殿:駿河の春を待つ
私は日増しに大きくなるお腹を撫でつつ、柔らかな日差しの入る部屋にて、文を認めていました。
「父上、駿河の冬は思いのほか穏やかでございます。お腹の子は、殿に似て少々せっかちなのか、毎日元気に動いております。産まれるのが、今から待ちきれません。できれば、殿のような知恵に溢れた、凛々しい男の子だと嬉しいのですが。そう願うのは、母の欲目でしょうか」
かつて政略のため嫁いだ不安など、とうの昔に消え去り、今や一人の妻として、もうすぐ訪れる母としての日々に希望を抱いております。
懐妊がわかってから、お義母様は、よく私の体調を気にしてくださります。以前の武田家の一件では、酷く憔悴されていましたが、殿のおかげで随分元気になったように見えます。
「早川殿、あまり根を詰めてはいけませんよ。殿があれほど張り切っておられるのですから、貴女はゆったりと構えていれば良いのです」
「はい、お義母様。殿は最近、赤子のための玩具や服を、自ら職人に作らせているようで…。気が早すぎて困ってしまいます」
私たちは顔を見合わせ笑いました。お義母様は、妊婦としての経験を私に丁寧に、楽しそうに教えてくださります。
「この子が産まれる頃には、飛騨の山も、伊勢の海も、今よりもっと静かになっていることでしょう。殿が、そう約束してくださいましたから」
私はふと窓の外を眺めました。そこには殿がお作りになってくださった、平穏が見えたような気がいたしました。
石山本願寺において、大規模な内部衝突が発生した。事の発端は、長島から送還された門徒たちに対し、本願寺教主らが「加賀の防衛、あるいは支援のために北へ向かえ」と命じたことによる。
長島で見捨てられ、石山でも冷遇された門徒たちにとって、その命令は死地への追放と同義であった。
「今川へ下った者たちは腹一杯に飯を食っているというのに、我らには再び泥を啜れと言うのか!」
絶望は一瞬にして殺意へと変わった。数千人の門徒が、自らの拠り所であったはずの寺院を襲撃し、教主や高僧たち数十人を殺害。
これに対し、本願寺側も武装勢力を投入して鎮圧に乗り出し、数日にわたる凄惨な市街戦の結果、延べ七千人もの門徒が命を落としたという。
氏真はこの報告を受け、静かに算盤を置いた。
「蒔いた種とはいえ、ここまで見事に咲くとはな。信仰という鎖は、一度不信という錆に侵されれば、これほどまでに脆く、鋭い凶器になるものか」
氏真は即座に、側近の富士信忠を通じて加賀へ新たな工作を仕掛けた。
「長島の門徒は石山で裏切られた」「今川へ行った連中は天国のような暮らしをしている」「次に見捨てられるのは、そなたたちだ」という噂を組織的に流布させたのである。
かつては、進めば極楽、退けば地獄。と謳われた一向一揆の魂に、今川の下で生きる幸福という強力な楔が打ち込まれた。加賀本願寺は、外部からの攻撃を待たずして、内部からの不信感という自壊の渦に飲み込まれようとしていた。
加賀の混乱は、今川の上洛を好ましく思わない周辺大名たちの足並みを完全に乱した。 越前の朝倉左衛門督義景、近江の六角左京大夫承禎にとって、加賀の一向一揆は今川を足止めするための最前線の防波堤であったはずだ。
だが、その防波堤が内側から崩壊した今、彼らには今川の進撃を単独で受け止めるだけの余力も覚悟もない。
「一向宗が一枚岩であればこそ、今川も迂闊には手を出せなかった。だが、門徒が教主に噛みつくような今の状態では、もはや戦の戦力には数えられまい」
氏真は、朝倉、六角が密かに文を交わしながらも、その内容が、いかに守るか。から、いかに巻き込まれないか。へ変質していく様を冷徹に見抜いていた。
一方で、将軍・足利義輝の動きは滑稽ですらあった。義輝は氏真に対し、一刻も早い上洛を求めながら、その裏で近江や越前の諸将に、今川に対する防波堤を築かせようとしていた。
「上洛を望みながら、上洛の道を塞ごうとする。将軍という地位が、彼にこれほどまでの矛盾を強いるのか」
氏真にとって、義輝の策略はもはや障害ですらなかった。
防波堤となるべき石材が、すでに今川という激流の前に怯え、繋ぎ合わされる前に流されようとしているからだ。
春の足音が聞こえ始めた二月の終わり。氏真は館の奥で、大量の文をしたためていた。
本来であれば各地の拠点へ直接足を運びたいところだが、領土の拡大に伴う領管からの報告処理、そして毎月定例の評定衆への参加があるため、駿府を離れることは難しい。ならば、筆の力で心を繋ぎ止めるまでだ。
氏真が綴ったのは、家臣本人への激励だけではない。各地に出向している者たちの妻や子へ、細やかな配慮を込めた文を送ったのである。
「そなたの夫は、父は、今川の安寧のために誰よりも汗を流している。家族を守り、民を慈しむために、其の方の支えこそが彼の力になるのだ」
家族に誇りを与えること。それが、最前線で働く男たちの忠誠心を何倍にも引き上げることを氏真は知っていた。
そんな折、氏真は気晴らしに身なりを崩して市場へ足を伸ばした。 通りを歩けば、商人や農民たちが気さくに声をかけてくる。
目覚めた当初、最新の技術や治水策を教え歩いた頃は、奇跡を起こす魔法使いか得体の知れない変人を見るような眼で見られたものだ。だが、今や氏真は、変人だが頼れる当主として、領民に愛される存在となっていた。
「殿! また新しい遊びを教えてくれよ!」
近所の子どもたちが氏真の袖を引く。氏真はこの時代にはない遊びや、ちょっとした知恵を彼らに教えるのが日課となっていた。
家臣たちは「当主が平伏もさせずに道を行くなど」と渋い顔をして忠告するが、氏真は笑って首を振る。
「これでいいのだ。領民が私を見て平伏し、震えるような道では、本当の活気など生まれはしない。変人と呼ばれようが、子どもたちの遊び相手であろうが、私は私だ」
道行く者が自然に微笑み、子どもたちが元気に駆け回る。その光景こそが、氏真が算盤を弾き続けて作りたかった新しい今川の姿であった。
かつての暗君という悪名は、今や駿河の春風に溶けて消え、そこには誰よりも人間らしく、誰よりも未来を見据えた、一人の新しい当主の姿があった。




