官位
1560年冬
冬が深まり、飛騨の半分を領する三木氏は、今川の手によって完全に包囲されていた。 当初、氏真は経済封鎖によって彼らを干上がらせる策も検討した。
しかし、飛騨は峻険な山岳地帯である。通常の関所による封鎖では、山慣れた彼らに裏道を掻い潜られるのが落ちであった。
さらに、三木氏が加賀の一向宗や越前と面していることを考えれば、封鎖そのものが実効性を欠く無駄な労力に終わると判断し、中止した。
「焦る必要はない。周囲はすでに固めた」
氏真は、三木氏に対して強引な攻城戦を挑むことはしなかった。飛騨の他の国衆が今川の庇護下でいかに暖かく、豊かな冬を過ごしているか。
その情報をじわじわと流し、内部からの瓦解を待つ時間の包囲網を敷いたのである。雪に閉ざされた籠城の果てに、彼らがどのような答えを出すか。結末はすでに見えていた。
その頃、東の関東平野では今川の同盟国・北条氏が優位を築いていた。
景虎は関東へ出陣したものの、背後の越後において、葦名・伊達の連合軍からの圧力を受け、軍を二分せざるを得ない苦境に立たされていた。そこに立ち塞がったのが、氏真から供給された火薬によって大幅に強化された北条の鉄砲隊であった。
氏康は、潤沢な火薬を背景に、長尾の猛攻を弾き返した。かつての長尾一辺倒であった関東の力関係は、今や北条の盾を打ち破れぬほどに硬化していた。
「東は数年、この膠着が続くだろう」
氏真が弾き出した火薬の供給という一石は、関東の戦乱を制御し、今川の背後を完全に安定させるという巨大な戦果を生み出していたのである。
京において、今川が献上した甲斐の水晶は、公家たちの間で空前絶後の大盛況を博していた。この時代、これほど透明度の高い装飾品は稀有であり、今川の経済力と文化レベルを京の人士に知らしめるには十分すぎる衝撃であった。
京に行った済継はさらに、氏真の指示通り飛騨の最高級材木を少量ながら献上した。荒廃した内裏や寺社の修理に悩む朝廷にとって、この良質な建材は金銭以上に切実な救いとなった。
こうした実の提供に対し、朝廷が出した名の返礼が、氏真への叙任であった。氏真は「従四位下・左近衛少将」に任命された。
氏真自身の感覚からすれば、官位で腹が膨れるわけでもなく、現代人の魂を持つ身としてはそれほど喜ばしいことでもなかった。しかし、中世という身分社会を生き抜く算盤を弾けば、この投資効率は極めて高い。
「官位そのものに価値はなくとも、それを持つことで動かせる人間が確実に増える。貰えるものは貰っておくのが得策だ」
氏真がこの交渉で最も重視したのは、自身の階級よりも今川独自の統治体制への公認であった。氏真が創設した領土の管理者 、領管という役職。これに朝廷からお墨付きを得たのである。
例えば尾張を統治する領管であれば、朝廷から正式に「尾張守」を名乗る許可が下りた。これにより、領管は単なる氏真の派遣社員ではなく、古来の守護と同等の、あるいはそれを超える公的な統治権を持つ存在として定義された。
これは、被支配層である旧勢力や民に対し、今川の支配は朝廷公認の正義であると知らしめる強力な法的根拠となった。
また、この機に隠居の父・義元も従三位・権中納言へと昇進した。
家臣団への配慮も忘れてはいない。筆頭家老の三浦正俊には兵部大輔、火薬開発の功労者である瀬名氏俊には民部大輔、そして関口氏純には式部大輔の官職をそれぞれ斡旋した。
「実力で領地を広げ、官位でその支配を固定する。これこそが今川の新しい統治モデルだ」
氏真は、飛騨の材木が内裏の柱へと変わる頃、今川の支配という名の巨大な構造物が、朝廷という権威の屋根の下で盤石に組み合わさったことを確信していた。
一方で、西の空からは、今川の急速な膨張に怯える者たちの湿った風が吹き始めていた。
諜報網によれば、越前の朝倉、近江の六角の二家が、密かに文を交わしているという。彼らの話題の中心は、言うまでもなく東から迫りくる今川という巨大な怪物の存在であった。
彼らが困惑しているのは、将軍・足利義輝の支離滅裂とも取れる動きであった。
義輝は氏真に対し、「早く上洛せよ。成し遂げれば副将軍の座も辞さぬ」と甘い言葉を投げかけている。三好の専横から脱却したい義輝にとって、今川の財力と軍事力は喉から手が出るほど欲しい果実である。
しかし同時に、義輝は近江や越前の二家に対し、「今川から目を離すな、その動きを警戒せよ」と、氏真を牽制するよう指示を出していた。
「助けてほしいが、大きくなりすぎるのは恐ろしい、か。公方様も因果な生き物だな」
氏真は、届いた報告書を眺めながら苦笑した。義輝の抱える矛盾は、そのまま室町幕府というシステムの限界を露呈していた。
強大な味方がいなければ京へ戻れず、強大な味方を作れば自らの権威が喰われる。このジレンマに陥った義輝は、結局のところ、周囲の国衆を煽って今川の足を引っ張ることしかできないでいた。
朝倉、六角にしてみれば、最近まで斎藤や武田とやり合っていた今川が、気づけば飛騨を呑み込み、近江の目鼻先まで迫っているのである。
彼らの恐怖は本物であった。次は自分たちの番ではないか、という疑心暗鬼が、本来であれば結びの強くない二家を、今川への対抗という一点で結びつけようとしていた。
「二家が真に手を携えて西を塞げば、今川の上洛は困難になるだろう。だが、彼らにそれができるか」
氏真は冷ややかに分析していた。彼らは互いを疑い、自らの所領の保全を最優先に考えている。将軍の権威を使いながら、結局は各々が自分の保身のために動いているに過ぎない。
義輝が彼らを煽れば煽るほど、今川に対する恐怖という名の壁は厚くなるが、それは同時に今川に味方して安全を得たい。という誘惑の裏返しでもあった。
将軍が、今川を救世主と呼びながら敵として扱う。この矛盾した遊戯が続く限り、近江と越前の二家は迷走し続けるだろう。
氏真は、雪の降る西の空を見据え、次の算盤を弾き始めた。近江の壁を武力で打ち破るのか、それとも彼らの恐怖を利に変えて内部から崩すのか。
冬が明け、春の芽吹きが始まる頃には、将軍の矛盾を逆手に取った今川の次の一手が、近江の静寂を破ることになるはずであった。




