産声と分断
1559年冬
氏真は、京の足利義輝へ向けて、礼節の裏に冷徹な打算を潜ませた書状を認めた。その文面は、公家文化の香りを漂わせつつも、将軍の欲望を正確に突くものであった。
「甲斐・信濃の件、公方様には多大なるご心配をおかけしました。ですが、あれは当家が望んだ戦にあらず。武田が三国同盟を違え、当家の領内を侵したことへのやむを得ぬ対応にございます。領土拡大などという野心は露ほども持っておりませぬ。さて、予てよりの上洛の件、ようやく準備が整いつつあります。三好の専横を阻むべく、すでに九鬼水軍を味方に引き入れ、海上から強烈な圧力をかけ始めております。北畠が少々邪魔をしましたが、九鬼を当家の傘下に置くことで伊勢湾の制海権は完全に当家の手に落ちました。あと数年、今少しお時間をいただきたい。必ずや、公方様を京へお戻しすることを誓いましょう」
この一文により、義輝の不信感は今川という巨大な上洛支援軍への期待へと塗り替えられた。将軍の権威を盾に取ることで、背後の北畠をも沈黙させる。氏真にとって、外交とは血を流さずに敵の腕を縛る、知略の綱引きであった。
伊勢・長島の鎮圧は、氏真にとって最後の、そして最も胸の痛む難題であった。北伊勢の国衆はすべて今川に下り、長島は完全に孤立している。だが、狂信的な熱狂は、飢えすらも信仰の糧に変えてしまう。
「力でねじ伏せれば、あの中にいる罪なき民までが死ぬ。…心の鎖を解かねばならぬ」
氏真は、側近の富士信忠を密かに呼び寄せた。
「左京亮。長島の内へ、激戦を潜り抜けてきた本願寺の使者を装った人間を送り込め。そして、こう告げさせるのだ」
氏真の命じた策は、あまりにも非情で、あまりにも効果的な絶望の注入であった。 数日後、潜入した偽の使者が、一揆勢の首領たちの前で叫ぶ。
「石山は貴様らを救いはしない!これは貴様らが勝手に始めた一揆だ。本願寺からの支援は一切ない。自分たちで責任を取れ!」
この言葉は、極限状態の一揆勢にとって、どんな鉄砲の弾よりも深く心を撃ち抜いた。頼みの綱であった本願寺という絶対的な拠り所が崩壊した瞬間、彼らの結束は霧散した。
信仰という名の盾を失った彼らにとって、氏真が提示した、降伏すれば暖かい飯を食わせ、人足として雇うという現実的な救済は、唯一無二の蜘蛛の糸となった。
「年が明ける頃には、長島の灯も静かに消えるだろう」
氏真は、雪の舞う空を見上げ、無血での開城を確信していた。
そして今、駿府の奥深くで、今川の真の力が産声を上げようとしていた。
五年前、氏真は密かに明から火薬技術者を招き入れた。表向きは贅沢な隠居生活をさせているように見せかけ、実は農村部で大規模な硝石作りを行わせていたのである。
戦国時代、火薬の主原料である硝石は輸入に頼るしかなく、金がいくらあっても足りない戦略物資だった。氏真はそこに目をつけ、駿河の民たちから蚕の糞を買い集め、技術者の管理下で土と混ぜ合わせ、数年の歳月をかけて熟成させてきた。
「ついに、成ったか…」
氏真の前に差し出されたのは、輸入品を凌駕する純度を誇る、国産の硝石であった。
この成功の意味は、単なる武器の増強に留まらない。
これで、硝石の輸入に消えていた莫大な銭を、道路や堤防の整備、民の福祉へと回せるようになる。そして、鉄砲を数万単位で運用可能になれば、騎馬隊主体の旧来の戦術は過去のものとなる。さらに、外国勢力や商人たちの顔色を伺うことなく、自らの意思で戦争と平和を選択できる。
この極秘任務を完遂した瀬名陸奥守氏俊と葛山播磨守氏元を、氏真は深く労った。
「陸奥守、播磨守。そなたらが守り抜いたこの土が、今川を、そして日ノ本を救う。大儀であった。この先も、このことは重臣のみの秘匿とせよ」
今川は今、鉄砲と、それを動かす心臓である火薬の両方を手に入れた。この銃口をどこへ向けるか。それは、氏真という一人の現代人の魂に委ねられたのである。
「さあ、頭を切り替えるか」
張り詰めた神経を緩めるように、氏真は庭へと出た。 久しぶりに、小姓たちを呼んでの蹴鞠である。
「殿、お見事!」
宙に舞う鞠を追い、小姓たちと声を掛け合う。冬の澄んだ空気の中で体を動かすと、算盤の数字で埋まっていた頭が、不思議と軽くなっていく。
政も戦も、この鞠のように、一瞬の判断と柔軟な対応が肝要だ。 心の洗濯を終えた氏真の瞳には、すでに翌年の、そしてその先の太平の世が映し出されていた。
1560年冬
一月。ついに長島一向一揆が降伏を申し入れてきた。
例年であれば新しい年の訪れを祝う時期だが、投降してきた門徒たちの顔に慶事の面影はない。あるのは、絶対的な拠り所であった本願寺から見捨てられたという深い喪失感と、自分たちが命を懸けてきた戦いが何であったのかという自己否定の影ばかりであった。
氏真は、降伏した数千の民を前に、冷徹かつ極めて合理的な差配を下した。
「これより、そなたらを二つに分ける」
半数の門徒は、新たに今川領となった甲斐・信濃の開拓地へと送られた。彼らは数十人単位の小規模な集団に解体され、山の斜面を拓き、新たな畑や道を作る過酷な労働に従事することとなる。
だが、氏真は彼らに絶望ではなく生活を与えた。
「腹一杯の飯、体を清潔に保つための石鹸、そして正当な労働に対する給金だ。きつい仕事だが、此処には理不尽な搾取も、見せかけの慈悲もない。ただ、己の汗が己の腹を満たすという、確かな現実があるだけだ」
山奥での暮らしは、かつて一揆の中で叫んでいた極楽往生とは程遠いが、泥にまみれて働き、夜は温かな布団で眠るという人としての尊厳を取り戻させるプロセスであった。
そして残りの半分。彼らに下された命は、より残酷で、より計算されたものであった。
「そなたらは、石山本願寺へ送り返す。本山へ戻るのだ」
支援を拒絶し、責任を信徒に押し付けようとした顕如ら教主の元へ、生き残った門徒たちが戻る。そこには歓迎などあろうはずもない。本願寺側からすれば、彼らは今川の毒を含んだ厄介者でしかないのだ。
氏真の真の狙いは、その先にあった。
「甲信へ行った者たちの暮らしを、定期的に石山へ流せ。山での暮らしはいかに天国か、腹一杯に何を食っているか、いかに今川の法が公平かを。そして、石山で見捨てられた己たちの暮らしを比較させるのだ」
人は、自分たちが不幸であることには耐えられる。だが、自分たちを見捨てた相手が贅沢をし、自分たちと袂を分かった者が幸福である。という状況には、決して耐えられない。
氏真は、この精神的な揺さぶりによって、一向宗の内部分裂、あるいは反一向一揆を誘発しようとした。信仰という見えない鎖を、現実という鋭い刃で断ち切るのだ。氏真は、静かに筆を執り、一つの和歌を認めた。
「神仏に 命を預け 果てし身の 残るは寒き 泥の轍か」
この歌は、甲信の開拓地や石山の周辺で、まことしやかに語り継がれることになる。宗教という熱狂に浮かされた民が、再びその過ちを繰り返さぬよう、氏真は現実という毒をじわじわと根付かせていった。




