第八話 永久運動
ミカエルは苦悩しているようだった。自分の何がいけないのか分かっていて、その対処法も心得ているのは確かだが、それでも尚、深いため息をついている。
「思い詰めてたら風邪ひくよ。ミカエル」
「..。私の身体は病気にならないから大丈夫よ」
「そうなんですか? でも、とても辛そうだったから..」
「安心して。私に構わないで、今はエリナの側にいてあげて」
「....エリナは、まだ寝ているから無理に近づいて起こすのも申し訳ないと思った。だからミカエルのいる方に来たんだけど、駄目だった?」
「....。なら良いよ。仕方ないなぁ..、全く」
そう言って屈託なく笑うのはいつもと変わらないはずなのに、少し違和感が残る。どうしてだろう? 僕は、彼女がどんな表情を作るのか上手く思い出せなくなってしまった。
「それで、もう夜更けだよ〜。子供が起きて良い時間じゃないでしょ?」
「茶化すなよ。真面目に話したい気分なんだ..。ミカエル」
「何?」
「ずっと気になってたんだけど、お前の本来の力ってどんなだ?」
「それを聞くかね..。あんまり思い出させないで欲しいな。嫌な記憶も一緒に蘇ってくる」
「....。でも、一人で抱え込んでたら苦しいだけだよ」
「大丈夫。負の感情をひっくるめたのが私だもん。前にも言ったよね。精神なんて元から死んでいるようなものだって..、そう思わないと、自分の容量を超えた苦しみは乗り切れられない....」
「......」
ミカエルは、僕の顔をじっと見据えた後に深くため息を吐いた。
「どうしたの?」
「ううん。柄にもない事を口走っただけだから、やっぱ無かった事にしてくれる?」
「良いよ。僕は別に気にしてないから」
「..ありがとう」
しばらく待ってと告げた後に、ミカエルはエリナの身体に乗り移った状態でやって来た。天使との戦闘目的ではないのに何がしたいのだろうか?
「やっぱり人間の身体は最高ね! 今日はとても気持ちの良い風が吹いているわ」
「なるほど。それが目的?」
「そう。接続時間は1時間くらいが限界だけどね..。たまには悪くないでしょ、こんな非日常の気分を味わえるのも、私のことが見える彼女のおかげよ」
「....ふーん」
僕は理解してしまった。堕天使は最初、僕の肉体を乗っ取って天使と戦おうとしていたのだ。でも自分がその提案を断り続け死んでしまった以上、寄生先を変えるしか道はない。
「もし、僕に天使を殺せる力がなかったら、ミカエルはどうしてたの?」
あの場で二人とも死ぬより他はなかった。それ以外の返答はないと思っていたのに、彼女は特に意に介した様子も見せずに、飄々とした口調で応えた。
「結果オーライよ。上手くいかなかった時の事なんかいちいち気にしてたら、神を殺そうなんて思わないわ」
「そういうものかな?」
あまり深く物事を考えるというより、ミカエルはその場の直感に従って生きている。そんな彼女の矜持は、時間軸から過去と未来を抜き取って出来ているみたいだった。
「そうよ。多分もう察しはついてると思うけど、私が神を殺そうとしたのはこれが初めてじゃないの..」
「何回目?」
「3回目よ。初めての反抗で、私は天使としての身分を剥奪された。2回目の反撃で、力の大半を失った。だからもうこれ以上失敗するわけにはいかない....。負けたくないのよ....」
「なら安心してよ。僕がいるから、多分負けないよ」
「カッコつけないでよ」
「違うんだ。そういうつもりじゃないけど..、なぜか自信が湧いてくるんだよね。僕の中から」
「あっそ..。なら口だけにならないように、頑張る事ね..」
夜風に当たりながらコーヒーを持つ彼女の手が震え始めた。エリナの身体と繋がっていられる時間も残り僅かなようだ。接続終了に至るまでは、運動神経から徐々に鈍っていく。
「でも、私だって大概よ。神を殺すなんて言っても、たまに無理なんじゃないかと思って、物凄く気分が沈む日だってある。そんな時に、あなたの今の言葉を思い返すわ」
「うん。それで心の悩みが解決するなら本望だよ」
「....。じゃあ、あなたに今私が抱えている一番の苦しみを教えてあげる」
「何?」
「......。天使が5体。この荒屋の周囲から、攻撃の機会を窺っている。そして仕掛けてくるのは恐らく、私とエリナとの接続が完全に途絶えた直後だろうね。君一人でも、なんとか出来るかい?」
「ふっ..。悪い冗談をーー」
「違う。私は出来るか否かを聞いているの」
「....。出来ますよ」
やるしかない。そう思って窓の外に顔を出した刹那、遥か上空から飛来しやって来る5体の天使は、明確な殺意を持って僕の顔を破壊しようと”何かしら”の手段を選択する。
天使のうちの一体が両腕を横に広げると同時に、エリナ家の周辺が薄暗い幕に包まれた。身体が異常に重たい。上手く手足を使えないのは不調のせいではないのは明白だ。
「なるほど..。指定範囲内の万有引力定数を変数に置き換える物質ね。私の身体も無事である事から、恐らく定義域には上限と下限が存在する」
「ま、待って! 要するにどういう意味?」
「相手の動きを鈍らせる能力よ..。こちらの弱体化が狙いなら、次はどう来るか..」
「普通に攻めて来るんじゃないの?」
「違うわ。霊体である貴方も重さを感じるという事は、弱体化を喰らっているのは天使も同様のはず。だからここからの選択肢として有り得るのは....、物質に何かしらの拡張要素があるとして....」
その瞬間、堕天使はこの状況が絶対絶命に等しいものである事を悟る。多対一の戦闘を想定し、目の前の一体の能力を軽んじた時点で敗北は確定していたのだ。
『その通りだ。私の物質は、領域内の半径に反比例した任意の万有引力定数を設定できる。つまり、範囲を絞るほど重力はより大きくなり、お前らを死に至らしめる!』
「ど、どうしよう..。上からの圧で、もう立っている事も出来ないよ..」
家は軋み、外壁が歪んだ衝撃で窓ガラスも割れる。その破片の一つに、残虐な顔を浮かべる天使の姿が映った。堕天使ミカエルは想起する。かつて自分の力を奪い去ったーー
「そうよね..。また失うだなんて、懲り懲りよ」
「ミカエル..」
彼女は念じた。心の中で、うちに眠る”もう一つ”の物質を取り出し放出する。
「安心して。君は絶対に、守るから」
ミカエルは囁くと同時に、悠然と立ち上がった。その肉体には通常の倍以上の重力がかかっているにも関わらず、まるで影響を受けている風はない。その後ろ姿はエリナの美貌も相待って、神々しさすら感じた。
『どうして立ち上がれる? さてはお前。堕天使だな』
「えぇそうよ..。今から貴方を殺す、堕天使。"ミカエル"」
『ほう..。やってみるが良い!』
パチンーー
ミカエルが指を鳴らすと同時に、敵の天使の操る領域は砕け散った。
「法則も原理も関係ない。一定以上のエネルギーを加えれば、どんな物質も崩壊するもの」
『ば、バカな..』
しかし、再度自身の領域を展開しようとした時には、堕天使の姿を捉えられなくなっていた。
「エネルギーは、変換できる。今、私は貴方の視力を奪うほどの光エネルギーを生み出した」
天使は困惑する。見えない視界の中でただ喚き散らす事しかできない。
「....。私の仕事は、終わったよ」
堕天使ミカエルは、永久にエネルギーを取り出せる物質を体内で生成する事が出来る。
彼女の真の力は、まだ完全な状態でない。にも関わらず、約3分の能力発動で、自身の命を狙う5体の天使を返り討ちにした後、2名の同伴者を連れて街から去って行った。




