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堕天使の君と、恋に堕ちるまで  作者: ラストジェネレーション


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第六話 不幸の理由③

 初めて誰かに身体を売ったのは10歳の時だった。父は遠くの戦場に出征したきり帰って来ず、残された母と二人で細々と生活してきた。


 そんな母が病死して、私は天涯孤独となった。売春を始めたのは、自分が死なないためだ。私の頭では、お金を稼ぐ手段が他に思い付かなかった。


 純潔を捧げた相手は妻子持ちの中年男性。息が臭くて、腹が弛んでいて気持ちの悪い男だったが、金払いだけは良かった。


 それに気分も良かった。目の前のクズを、私が快楽に溺れさせている。汚くて醜い男を、私の身体が支配している。


 私は自分の事を性処理の道具としか見ていない男たちを利用している側だと、本気で思い込んでいた。自分は上手く立ち回れていると思っていた。


 私は不幸じゃない。なのにどうして、突然現れた堕天使に渡された、曽祖母からの愛してるの一言に、感動を揺り動かされてしまったのだろう。


 どうして、堕天使と共にいたあの少年に、憤りを覚えてしまったのだろう。


 漏らさないように、吐き出してしまわないように封をしていた自分の感情の蓋が、外れてしまいそうになる。知っていた。私の身体はもう、汚れきっている。


 汚い。


 ふと、堕天使に整えてもらった自分の顔が、鏡に写る。この人は誰だろう?あまりの美貌に息を呑んだ。こんな美しい人間が、この世にはいるんだーー


 汚い。


 これは私じゃない。私という人間は、もう死んだ。私の穢れた肉体の一部が、こんなに綺麗なはずはない。私は、汚い。


 汚い女。


 そうだ。私はもう、死んだんだ。それを自覚した瞬間、奇妙な感覚に陥った。部屋の天井から、床の上に倒れて動かない私が見える。


「え..? どうなっているの..?」


 私は動かない自分の身体に近づいた。


「ちょっと待って..。ねぇ! 起きてよねぇ!!」


 ちっとも反応がない。顔からは血の色が失せている。全て理解した時、私は自分がもう取り返しのつかない所まで来てしまったのだと悟った。


「どうしよう..。私が、自分はもう死んだんだって強く思ったから、それが現実になっちゃったんだ。でも、まだ意識はある....」


 堕天使に頼れば、なんとかしてくれるかもしれないが、もうあの少年とは二度と顔を合わせたくない。私の事を、金を払えば誰にでもマタを開く女だって..。


「違う!! 私は....」


 汚い。


 私に愛してると囁いてくる男達は、みんな嘘つきだ。


 街で会った時、気まずそうにして目を逸らしてくる奴。話しかけてくるなと言わぬばかりに攻撃的な態度を示す奴。私に、自分以外の男と寝るなと言ってきた奴。


 死ね。死ね。死ね。みんな死ね。


 身売りした私の気持ちを、考えた事があるの? 金を払ったのはお前らのくせに、やる事だけ終えたら私をどう扱っても構わないとでも思ってるわけ?


 愛してるんでしょ。愛してる人が傷つくような事をするのはやめてよ! 


「私は..。私は、、本当に、誰かから愛されているの....?」


 買い物をしてた時、中年の女性に不意に叩かれた事がある。私と最初に寝た男の妻だという彼女は、散々罵った挙句にお前は人間のクズだと怒声を発した。


 少なくとも彼女は、私の事が嫌いだったし、私と性交した男の大半も、自分を都合の良い存在としか考えていない。


「........」


「愛情枯渇死」


「え..?」


 その時だった。堕天使が開け放っていた窓の外で、ゆっくりと呟いた。


「肉体的な死と違って、愛情枯渇死は精神的な死よ。誰からも愛情を注がれなかった人間の末路と言っても良いわね」


「そ、そんな名前の死因聞いた事もありません!」


「分かるはずないわ。愛情枯渇死は怪死として片付けられるもの。愛という目に見えない物質の不足は、一見して分からないものよ」


「ふふっ..。じゃあ私が死んだのは、愛情不足とでも..?」


「その通りよ」


「......。なら、どうしろって言うの? もう手遅れじゃない!」


「いや、まだ間に合うよ。今から誰かに、愛されればの話だけど」


「誰かって....。まさか......」


 エリナの唇はキュッと結ばれた。二度と会いたくない男が目の前に立っている。


「なんのよう..?」


「....。謝りに来た。君に酷い事を言ってしまったんだよね。だから、ごめん..」


「....。うるさい。私に話しかけんな..。バーカ....」


「な、なんとでも言えよ..。君が許してくれるまで、僕はやめないから....」


「ふざけないで。私は都合の良い女じゃないの!」


「つ、都合が良いだなんて..」


「分かってるよ。皆んな私の事をそう思ってるんだ」


 彼女に触れようとする少年の手を、エリナは振り払った。


「触んな! 大金積まれても、あんたとは絶対にやらないから..」


 僕は分からなかった。エリナがどうして自分を拒絶するのかも、何に対して激昂しているのかも理解できなかった。


 彼女の説明不足と割り切るのは簡単だけど、問題はそこにない。僕は今から、どうやってエリナの事を愛せば良いのだろうか? 


 人の愛し方なんて分からない。堕天使みたいに、柔軟に対応できる技量さえ持ち合わせていない。あまりの不甲斐なさに眩暈がした時であった。


 エリナの側にある、彼女の曽祖母からの手紙の他にもう一枚。白紙の文面が淡い光沢となって僕の脳内に照らし出されるという奇妙な感覚に陥った。


「....」


 誰だーー


 僕の目の前にはエリナの他にもう一人、顔の見えない誰かが立っていた。そいつは手紙の中から出現し、自分の方を向いて何かを訴えている。


『...何? 君は、僕に何を伝えたいの..?』


 分からない。口元が僅かに動いているのは見て取れるが、声が聞こえない。


『....教えて。声を聞かせてよ....』


 僕は、君の事を知りたいんだ。


「だって....」


 気づけば僕は泣いていた。手紙の文字の一つ一つから溢れ出た感情が僕の頭を支配した。何も書いてない空白の紙の中には、僕の世界の見え方を変える何かがあった。

 

「エリナ..」


「うるさい..。気安く私の名前をーー」


 その直後の一言は、自分でも驚くぐらいスムーズに出た。


「愛してる」



 二日間、エリナはベッドの上で眠り続けた。その美しい容貌はさながら、王子からの接吻を待つお姫様のようで、不幸な人間としての彼女は既に消えていた。


 あの後、僕は堕天使から自分の発言の何が悪かったかを懇切丁寧に教えてもらった。彼女が過去にしてきた事と、抱えてきた苦悩や葛藤。


 最初にそれを聞いた時、僕は思わず涙を溢してしまった。自分の犯した罪を懺悔し、次から彼女と話す際に、もう二度と同じ過ちを繰り返さないと誓った。


 今は待つ事しかできないけど、彼女が目覚めたら次は本心から謝るんだ。気負いすぎは禁物だとミカエルが指摘してくれたから、少しは肩の力を抜いて..。


 嘘だ。本当は胃酸が逆流するくらい緊張している。ミカエルの想定だと、彼女は今日中に目を覚ますらしい。それでも覚醒後数時間は軽い意識障害が残るらしく、本格的な対話は明日の朝になるとも付け足していた。


「....おはよう」


「....」


 エリナは二日目の夕暮れ時に意識を取り戻した。堕天使はまだ対話困難と言ってたくせに、彼女はすぐさま僕の顔に視線を合わせ何か言いたげな表情を浮かべた。


 頬が紅潮し、瞳は若干潤んでいる。カーテン越しの日差しも相まって、久しぶりに血の通った彼女はまるで天使のようだった。


「....。エリナ。君が寝ている間に、堕天使に教えて貰ったんだ。僕の過ちを、自分の頭で考えられるように。それで理解した。自分の何が駄目だったのか、どれだけ酷い事を言ってしまったのか..。だからもう一度、ごめんなさいと言わせて欲しい」


「....」


「..。そうだよね。意識が完全に戻るまで、まだしばらく待たないとね..。とりあえず堕天使に報告してくるから、またね....」


 エリナの寝室から出ようと、ドアのぶに手を触れた時ー


「待って!」


 彼女の声は唐突に、僕の背後から響いた。


「私の事、愛してるって..。それは、本当なの..??」


「....。うん。本当だよ」


 振り向いてそう告げると、エリナは布団から這い上がり、覚束ない足取りで僕の方に近付いてきた。危ないと思って駆け寄る。


 彼女は急に速度を上げて、僕の胸に飛び付いたまま動かなくなった。


「ありがとう..。初めて誰かに、、貴方に愛して貰えた..。それだけで、こんなに満たされるなんて知らなかった..」


「....そうだね」


 この時、エリナと一緒にいる僕も、自然と何かで満たされていた。




 



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