第四話 不幸の理由①
月曜日になると、天使は行動を再開する。僕を殺すために、次は集団で挑んでくるだろうと踏んだのは堕天使だった。
「戦力の逐次投入なんて、相手を侮ってるから出来る芸当よ。向こうもそこまで馬鹿じゃない。確実に私達を潰せる戦力差で来るのは間違いないわ」
「じゃあどうするんだよ..」
「安心して。天使は基本単独で行動するから、寄り集まるのにも時間がかかるはず。その間に、こちらも仲間を増やすのよ」
「え..。でも天使を殺せる人間なんて他にいるの?」
「いないに決まってるじゃない。貴方は逸材よ。だから、私たちがこれから探すのは、君が天使に触れるまでの時間を稼いでくれる囮」
「......」
「納得していなさげね。でも方法はこれしかないの。それに、仲間を加えるのも簡単じゃないわ。私達の事が見える人じゃないとダメ」
「ふーん。そもそも(堕)天使を視認できる人に何か特徴はあるの?」
「そうね。死にかけで、幸薄そうな人かな..」
「え??」
「何?」
「ぼ、僕ってそんなに幸薄いのかな..」
「..。まぁ、少なくとも幸せそうには見えなかったよ」
「........」
「お、怒らないでよ! 死んだら関係ないんだから! とにかく、ずっと森の中を彷徨っていても仕方ないでしょ。近くの貧民街に行きましょう!」
「え..。なんで近くにあるって知ってるの?」
「.....。なんでもよ。天使だった頃から、ここらの土地には精通してるだけ」
「そ、そうなんだ....」
「うん。だからもうこれ以上、詮索してこないで」
ミカエルの怒声を聞き、胸元がジクリと痛んだ。
♢
堕天使の言う通り、貧民街と形容しても違和感のない寂れた町は、森を抜けてすぐの場所にひっそりと佇んでいた。
平日の真昼間だというのに、住民には活気がない。虚な目で酒や違法薬物に手を染め、仰天し直立したまま気絶している奴も大勢いた。
薄暗く、寒くないのに、寒いと感じてしまう。生ゴミと糞尿の匂いが充満した大通りを抜けた先に、浮浪者の宿泊地と化した無数の廃墟が存在する。
「でも、僕たちの事が見える人はいませんね」
「......」
堕天使は何か思い当たる節があったのだろう。ある廃墟の目の前で立ち止まり、一本裏の路地に入って行った。
見慣れない建物が立ち並んでいる。路傍には男性ばかりがいて、時折辺りを不自然に気にする素振りを見せた後に、何かに吸い寄せられるように消えていく。
充血した目を持つものもいるかと思えば、建物から出て来る男達は、どこか恍惚とした表情を浮かべている。
「ねぇ..。ここは何なの..?」
「君はまだ知らなくて良いサービスを受ける場所」
「え..」
一番奥の見窄らしい荒屋の前で静止した彼女は、ここに入りましょうと告げた。
「ここなら多分、大丈夫だと思う」
堕天使は周囲に人がいないかを確認した。物理的干渉は出来るが、自身の姿は観測されないからだ。側からみると、モノが勝手に動いてるように映ってしまう。
「..。誰もいないね」
立て付けの悪い扉を開ける。中は仄暗く、中央付近に蝋燭が一本あるだけ。外装と内装のイメージに何一つとして乖離なく、意外と馴染み深かった。
「ふぅ。ソファがあるなんて思ってなかったわ。少し休憩しましょ」
「....悪いよ、そんなの」
誰もいないなんてはずないのに、人一人として出て来ない。外出中で留守にしているのだろうと、思い始めたその時であった。
「すみません! お待たせしました!!」
屋内から快活な女性の声が響き渡る。ドタドタと階段を駆け下り、僕と堕天使のいる玄関近くの受付までやって来たのだった。
「ご、ごめんねぇ..。女性はサービスが受けられないのと、男の子はちょっと年齢制限があって..。君、まだ未成年でしょ??」
「え、あ....」
妙に色気のあるその女性も、まだ成人前に見えた。黄金色の艶やかな髪に、茶色い瞳と紅く染まった唇。肌はやや荒れ気味だったが、今まで見てきた女性の中では一番美しいと感じた(堕天使を除く)。
「というより、ぼ、僕の事見えるんですか..?」
「ん? どういう意味かな?」
「説明は私からする。単刀直入に、貴方、私と協力する気はない?」
「え..。何をですか?」
これには首を傾げる彼女。それに、視線はやはり堕天使の翼に集まっている。
「これが気になる? 私は人間ではない。堕天使、ミカエルだ」
「あ、、え..。どうして、だ、堕天使がこんな所に....」
「状況を理解して。私達に従い、そこの少年を守る肉壁となるか、ここでつまらない商売を続ける一生を送るか。貴方が選びなさい」
「ちょっと..。そんなキツい言い方はないでしょ」
「....。君は黙ってて。私は今彼女と話してるの」
「......ごめんなさい。その提案だけど、私は神に背いて堕天使に堕ちた貴方に与する事は出来ない....」
「そう......」
ミカエルは少し、寂しそうな顔を作った。もたれかかるソファの側にかかった壁画を手でなぞりながら、ポツリと呟く。
「この絵。変わんないね」
「え? どういう意味ですか?」
「そのまんまの意味だよ。あれは確か、100年前。君のひいおばあちゃんが若かった頃に、画家だった彼女が私のために描いてくれたモノだった」
「な、何を..。確かにそれは私の曽祖母が描いたものです..。けれど、貴方のために作ったですって..? ふざけないでください!」
怒りを露わにする彼女に、ミカエルは怯まなかった。
「私はね。敢えてここに来たんだよ。君の先祖様には随分親しくしてもらったからね。素晴らしい人だった。でも、彼女は流行病で亡くなった」
「......なんで知ってるんですか? 貴方本当に..」
「伝言を預かってるはず。曽祖母から、100年後の貴方宛にね。確か彼女は、この絵の裏側に挟んでおいたはずなんだけれど、確認しても良いかな?」
「....い、良いですけど、何もなかったら帰ってください」
「分かったよ」
ミカエルは壁画を取り外し、背面の古紙の間に挟まった茶色い封筒を取り出し、慣れた手つきで封を切った。
中には2枚の便箋が入っている。正確には3枚だが、1枚は何も書かれていない白紙だった。そのうちの片方はミカエルに宛てたもの。もう片方はーー
「貴方に宛てたものだって。はい..」
「本当に? 嘘じゃないですよね?」
「見れば分かるよ。だって、短いもん。引っ込み思案なくせに、いざという時はストレートに感情を伝えて来る所は変わってないなぁ..」
「......」
「ミカエル、手紙には何て書いてあったの?」
「静かに..。今いいところだから、邪魔しないであげて」
「........」
僕も触れないでおいた。彼女が泣いていたのだ。顔を真っ赤にしながら、嗚咽を漏らし涙を流している。最初の印象からは想像もつかない表情だった。
「私、さっき言ったよね。不幸な人間は、私達のことが見えるって..。でも、彼女はそう見える? 初めて会った時、どう思った?」
「ぜ、全然..。分からなかったです」
「そう。私も気付かなかった。けれどあの手紙の一文に対する反応を見て確信したわ。彼女が不幸だったのは、誰からも愛されてこなかったからだって..」
「....。そうか、あの手紙には『愛してる』って書かれてたんだね」
愛してるーー
僕は、誰かに一度でも愛された事があったのだろうか? 過去を遡って、それを自覚した瞬間が必ずどこかにあったはずだ。でも、思い出せなかった。
「......」
どうして僕に天使が見えるのか、その理由を悟った瞬間、猛烈な苦しみが込み上げてきた。認めたくなかった。僕は誰からも、愛されていない。




