第二話 死んだ命
まず、神がいた。神は天地を創造し、人間を生み出した。
聖書の記述から考えるに、神は原始生命と捉えられなくも無いが、神を人間と同一視する事は最大の禁忌であり、天罰が下るとされている。
神を人間が観測する事は出来ないが、逆は可能である。神と人間は『天』と『地』で棲み分けがなされており、両者の世界を行き来する事が出来るものは神と天使をおいて他にいない。
天使の役割は、神の言葉を特異な才能を持つ一部の人間に伝える事だ。天使にとって神は人間同様に崇拝の対象であり、この信仰を破ったものは堕天使へ身を堕とす。
ミカエルは天使だった頃、かなり力の強い部類の天使であったそうだが、堕天使となってからはその大半を失い、弱体化してしまった。
「じゃあ、どうして天使に戻ろうとは考えないわけ?」
「......」
あの日、天使を殺した僕はもう後戻り出来なくなった。これから先、自分を狙いに来る天使をその度に撃退しないといけない。
堕天使と同伴しながら、死後霊体となり疲労を覚えなくなった僕は、僅かな休憩を挟む間もなく歩き続けていた。
霊体とは精神体と置き換える事が出来る。本人の身体は存在せず、自我だけが残っている状態だ。僕はもう、堕天使以外と交流する事も出来なくなってしまった。
「考えたわ。でも、不可能だって気が付いたから、神様を殺そうと思ったの」
「へぇ..。そうなんだ」
正直、僕は堕天使と仲良くしたいとは思わない。ただ同じ目的を持つ者として、共に行動すれば戦力も上がる。こちらにとっては都合が良い。
「....。ところで、他の天使は追ってこないの?」
「追ってきているわ」
「え..? でもここ数日、何もないじゃないか?」
「あった。貴方が寝ている間に、私が撃退しただけで5人。みんな雑魚だったから、自分でも対処出来た....」
「ほ、本当に..?」
「冗談よ。私に天使を倒せる力はない。悔しいけど、神殺しも全面的に貴方の協力が必要になってくると思うから、よろしく..」
「マジかよ」
前言撤回だ。彼女は戦闘面でも役に立たない。
「でも、天使が襲ってこない理由は何となく理解できる。向こうもビビってるのよ。触れただけで自分を消滅させてくる人間なんて、相手にしたくないでしょ」
「なるほど..」
本当にそうだろうか? 論理が少し飛躍している。もし僕が相手の立場だったら、数日前に殺したあの天使のように、真正面から挑んでくる事はしない。
遠距離から攻撃する。霊体である自分にも、ダメージを与え得る何かしらの手段が存在すると仮定した上での話だが....。
「ミカエル..。一つ質問があるんだけど、精神に死という概念はあるの?」
「..貴方何を言ってるの? そんなもの、初めから死んでるようなものじゃない」
「え..」
どういう事だと疑問に感じた次の瞬間、堕天使が伏せてと叫んだ。
「う、うわ!!」
頭上を熱い何かが通過する。熱いと感じる。感覚のなくなった自分の身体がそれを自覚した時、全身が粟立つのを覚えた。
今の攻撃が当たっていれば、僕は死んでいた。
「ボーッとしないの! 今の攻撃からおおよその相手の位置は掴めたわ。どんな力かは分からないけど、相当な腕のようね」
堕天使は反撃の姿勢に打って出たが、対処する術は己を守る防御陣を貼ることくらいだ。自身の周囲を覆う膜の中で続く攻撃を防いでいる。
「1、2....。攻撃の間隔は1.5秒。距離は756m先、あの大きな松の木の、手前の岩陰から狙ってきてるわ」
「ど、どうしよう....」
「大丈夫! 一発あたりの威力はそこまで高くないし、速度もゆっくりだから貫通までにも時間がかかる。その間に、防御陣を貼り直せば最低でも互角に持ち込む事は出来るけど....」
「決定打にかける。向こうが近づいてくるのを待つしかない..」
こうして、耐久戦が始まった。相手の天使は攻撃を緩める事なく、少しずつこちらに接近しながら、手掌より未知のエネルギーを放射し続けていた。
「ふふ..。もう少し引き付けたら彼女の裏に回り込んで、触ったらすぐに戻ってくる。作戦でもなんでも無いわ..。こんな上手くいくなんて」
天使はついに、進行を止めた。自分の目の前を正体不明の物質が覆い尽くし、これ以上進む事が出来ずに少し困惑している様子だった。
『堕天使。私はお前と、そこの人間を殺すのが目的だ。邪魔な膜をさっさと解除しろ』
「....。嫌だ」
『まぁ、反抗はするだろうな。知っているぞ、その人間は触れただけで私たち天使を消滅させる事が出来るんだってな』
「......」
『図星か。さっさと来い。お前達の望み通り、近づいてやったぞ..』
「そう..。だったら望み通り殺してあげる!! 今よ」
俺はミカエルの後ろから飛び出し、一気に背後に回り込んだ後、天使の肩に触れた。瞬間、泡が弾けたような感覚があった。
「こんなあっさり上手くいくと拍子抜けね..」
『....。そうさ。最初に言っただろ、私の目的はお前らを殺す事だと。自分の生き死になど、一切考慮していなかっただけさ』
「ふん! 負け惜しみはやめてくれる?」
「....」
今際の際であるにも関わらず、天使はニヤリと笑った。
『最後に教えてあげる。私に与えられた物質は、あらゆる物質を貫く高エネルギー体の発射と、”拡散”ーー』
「まさか..」
悟った時にはもう遅かった。ミカエルが防御陣で防いだ未知の物質は決して消滅する事なく、今もなおバリアを貫通するために残り続けている。
それが何を意味するか? 無数の高エネルギー体が拡散する。
『バイバイ..。私を殺してくれて、ありがとう』
「え..」
かと思った。天使の身体は泡のように弾け飛び、霧散する。僕へのダメージは全くなく、静寂が場を支配した。
「お、おい..。何で、何で僕を殺さないんだ!!」
「......」
もう、僕が殺してしまった彼女から、それを聞くのは不可能だという事に気が付く。死んだものとは二度と関われない。当たり前だ。
「堕天使..。行こう」
死んだものとはーー
「そういえば..、さっき彼女はなぜ、エネルギーを拡散させなかった..。違う..。仮に拡散させていたとしたら??」
「私は大丈夫だけど、貴方は死んでいた」
「......」
「先を急ぎましょう。今の音を聞きつけて、他の天使が来る前に」




