第十五話 天使殺しの大罪人①
「....」
僕はまた一人ぼっちになった。地下水道を抜けた先には、果てしなく田園風景が広がっている。ミカエルのいる街を視界の端に捉えながら、どこまでも走り続けた。
肉体は疲労を覚えない。道中、農作業の合間に休憩する人ともすれ違ったが、話しかけられる事はない。いつもの調子で挨拶してみたが、案の定無反応だった。
美味しそうな林檎がなっていたから手を伸ばしてみる。けれど、触れられない。半透明な自分の肉体が、物質をすり抜けていくだけだった。そもそもお腹が減らないから、行動の意味もない。
民家から出る煙を眺めながらふと、昼飯の支度かなどと考えて近くに寄ってみた。鼻腔をくすぐる、そんな何かを期待しても無駄だった。僕の顔についてる鼻は、本来の役割を果たしていない。
なのにどうして、無理だと割り切っている事を今更嘆いているのだろうか? 僕はあの寒い教会で、誰にも看取られずに餓死した。その事実が、現実に追い付いていなかった。
こんな時、隣にミカエルがいたらと思う。
『私のおかげで現世に留まっていられるのだから感謝しなさい』
とか恩を売ってくる姿が容易に想像つく。自分の計画に加担させるために、無理に引き摺り込もうとしたくせに、拒否し続けた僕のそばに居続けたり、変に律儀な所のあるアイツだ。
きっと今頃、エリナと二人で鍛錬を続けているんだろうな。グズグズしていれば、一瞬で置いてかれてしまう。アイツらの横にいたいから、僕も頑張れるんだ。
「早く出てきなよ天使。今なら一人だよ」
なるべく早く課題に取り組むためにそう囁くと、民家の隅からガサガサと物音が聞こえた。
「だ、誰かいるの?」
よく目を凝らすと、突風に煽られた木の葉が揺れている。天使の存在も危惧していたが、問題はなさそうだと判断しその場から離れようとした時だった。
「な、なんか風が強くなってる?」
音の発生源を中心に、いつの間にか旋風が発生していた。しかもその風に触れた畑の野菜は皆、あらゆる方向から刃物で切り裂いたかのような跡を残している。
それは不気味な音を立てながら、こちらへ徐々に近づいてきていた。呑み込まれても自分にとっては無害であるが、若干の違和感を覚え反射で身をかわした所へ、何者かの影が迫った。
「え、うわ..!」
『やっと捕まえたぞ。天使殺しの大罪人』
影は僕の背中の上にのり、腕を締め上げ肘先の自由を奪う。その正体が僕を殺しにきた天使であると気づいた時には既に手遅れだった。
「は、離せ畜生!」
『無駄よ。神に命令されたの。ここにいるアンタを殺すようにって....』
天使はそう告げた後、僕の頭に手を乗せた。
『最後に言い残す事はある? 10秒だけ猶予をあげるわ』
「....。そうだね。寂しいから、僕の”手”を握ってくれないかな?」
『....??』
直後、天使は閉口した。思考を巡らせているのか不気味なほどに静かだったが、何やら思い当たる節があったのだろう。口角を吊り上げ、醜い表情で笑い始めた。
『はは..。ははは、棚からぼた餅とはこの事か。”大罪人”ほどではないが、不思議な力を有する天使殺しの少年が堕天使と共に行動していると少し前から噂には聞いていた。その中には、こんな情報もあったな..』
天使は触れようとした僕の手を払いのけ、怒声を発した。
『天使殺しの、少年の能力は手で触れた天使を消滅させられるというものだという事を!』
「....」
『図星だな。お前、私の仲間を何人も殺したんだ。ただで死ねるとは思うなよ』
もう僕の人生はここで終わりだと、そう覚悟した時だった。
空を切る音。一瞬の風のそよめき。何者かが近くを通過した音だけが耳に残ったのも束の間、さっきまで僕を制圧していた天使の頭部が眼前に落下する。思考のー停止ー
後ろを振り返ると、既に天使の首から上はなくなっており、切断面からは血飛沫が上がっていた。外の寒さのせいか、大量の血溜まりからは湯気が立っている。そこからしばらく目が離せなかった。
「どいて、邪魔よ。私が飯を食う時間を奪うな。天使は殺したてが一番美味い」
「え?」
すぐ近くにいるのに、気配をまるで感じなかった。その声の主は血溜まりの向こう側に立っている。白髪で瞳は赤い。童顔で、作り物のお人形さんのような顔立ちをしている。背丈も僕と同じくらいなのに、口調や態度が粗野で、返り血を浴びた姿からは残忍な印象を受ける。
「何ボーッとしているの? 食べてるとこを見ないで。終わったら教えるから」
「う、うん」
グチョグチョという咀嚼音と共に、背後にいる彼女が何をしているかはあまり考えたくなかった。目を閉じて耳を塞ぎ、15分が経過したあたりでそいつは僕の背中をぶっ叩いてから言った。
「もう終わった。振り向いて良し」
「分かった。けど教えてよ、君はどうして天使を殺して、食べるのか....」
骨まで食べたらしく、さっきまで死体のあった所は跡形もなくなっていた。その理由を尋ねると、彼女は案外すんなりと答えてくれた。
「....。私は生まれつき天使や預言者を食わないと腹を満たせない特異体質なんだよ。痕跡を残さないで狩りまくっている私に、神は”天使殺しの大罪人”という二つ名を与えた。顔も実名も割れてないというのに、滑稽なものだ」
「えっ..? 顔が割れてないって可笑しくない? 僕なんてまだ活動し始めたばかりだけど、顔はおろか能力の種まで全部バレてるんだけど」
「実に愚か。それは、アンタが天使や預言者を取り逃してるからよ。私は、自分の正体に気づいた奴らは皆殺しにしてきた。だから何年経っても情報が回らないんだ」
「ふーん」
確かに、あの一瞬の身のこなしでは特定などしようがない。神出鬼没。相手からしてみて、彼女の潜伏場所はまるで見当もつかないのだろう。
「コツ..。とかあるの? 天使を殺す」
「....随分と質問攻めしてくるな」
「違う。僕は、君の敵じゃない!」
「分かっている。しかし、実に不愉快だ。私の事を詮索しておきながら自己開示しない。お前は新聞記者か何かか?そんなに知りたいなら、まずはあんたの持つ情報を話してみたらどう?」
「......そんな事言われても困るよ。ここまでの旅路、全部が成り行きなんだ」
「そうか。人生の局面において、常に受け身の姿勢でいた弊害なのかもしれないね。本当に一人ぼっちなら、必死に生きようともがくはず。なのにアンタは諦めた。これからどうするの?」
「とりあえず、天使を10体殺す」
僕の返事が予想外だったらしく、彼女は舌打ちをしてから言った。
「あんたは、馬鹿にされても悔しくないのか?」
「悔しくないよ。だって僕が死んだのは、一人ぼっちだったからね。自分の能力だけじゃ限界があるんだよ。仲間の存在が必要なんだ。力の弱い”俺”が、この理不尽な世界で生き残るにはその道しかない」
「くだらない。そう、割り切るには惜しい矜持か......。まぁ、時間は持て余している。お前が選択しろ。私に付いて来るか否か。もし同伴する場合は教えてやる。効率的な、天使の狩り方をな」




