第九十七話 グラーツィアの皇子⑩
遂に訪れたリカルド兄上とエルシアさんの復学の日。
だが、そんなめでたい日だと言うのに今日を祝う気持ちにはなれなかった。
今日も今日とて一人で三年の訓練室に向かいながら先日のことを思いだす。
あれから一度メーディアさんが俺を訪ねてきて、殿下の現状を教えてくれた。
その話によれば、あの日訓練室を飛び出していった殿下は教室に戻るのではなく、馬車を呼び出し早退してしまったらしい。
そして、翌日には学園側に一週間ほど休ませて欲しいという旨の連絡が届いたそうで、メーディアさんがお見舞いに行こうとしても、誰一人として通してくれないのだと言う。
無論、殿下がショックを受けることになったのが自分のせいだとは思わない。
しかし、その原因の一端が自分にあることもまた事実だった。
そして、それ以上に何とも言えない嫌な予感が胸中で渦巻いている。
こう言う不安は大抵当たる。
どんな形か何が関わっているかまでを推し量ることは難しいが、これまでの経験上、確実に何かが起こる気がしてならない。
だから今日は念のため、普段はサラがメイドの秘密とやらに収納してくれている魔剣リジルを帯剣し訓練室へと向かっていた。
三年の訓練室の扉を開き、中に入る。
するとすぐにリカルド兄上とエルシアさんが俺を迎え入れてくれた。
「おお、ファレス。本当に教師役をやっているんだな」
「ファレスさん、昨日ぶりですね。今日はよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ」
俺は二人に挨拶を返しながら訓練室内をぐるりと見渡してみる。
だがやはり、メーディアさんの姿はあっても、ベリル殿下の姿は見えなかった。
「……どうやら今日もお休みみたいです。どうしたのでしょう?」
そんな俺の様子を見て、事情を察したのかエルシアさんが小声で耳打ちしてきた。
エルシアさんや兄上には、先日の件やメーディアさんから聞いた話を一応伝えてあった。
ここ一月は毎日顔を合わせていたから、この二人とはかなり打ち解けている。
「そうですね……なんとか乗り越えてくれれば良いのですが」
口ではそう言って見るものの、俺の中に芽生えた嫌な予感は膨らんでいくばかりだった。
◇◇◇
「さて、授業を始めるぞ。まず、リカルドとエルシアが復学した。先日の件は学園側の不手際、エルシアには怖い思いをさせてしまい申し訳なかった。それに、助けに行ってくれたリカルドにも謹慎などと言う対応になってしまったことをこの場を借りて謝罪させてもらう」
ホーミカ先生は号令をかけ皆を集めると、まず、二人の復学の件への謝罪を始めた。
深々と腰を折り、二人に向けて頭を下げる姿はいつもの教師としてのホーミカ先生の姿ではなく、騎士を思わせるような振る舞いだった。
「そんな、先生が謝るようなことではありませんわ」
「そうです。本来試験を途中放棄した私は退学でもおかしくなかったと言うのに……。母から聞きました。先生のおかげで謹慎が一月程度で済んだのだと。エルシアはともかく私は感謝こそすれ、謝罪など不要です」
「そう……ですか。ありがとう二人とも。本当に無事でよかった」
二人の言葉を受けて、いつもの教師ホーミカ先生の顔が戻る。
うん、やはりこの人は良い先生だな。
学園の教師と言うのは、退役軍人や何らかの要因で近衛騎士を続けられなくなった者など、実績においても元々かなり優秀な者が多く、貴族程ではないにしろ皆相応のプライドを持っているため、全員の前で深々と頭を下げての謝罪と言うのはなかなか出来ることではない。
人が良くできている。
実はいいところの出身だったりするのではないだろうか?
「……さて、二人にはいきなりで悪いですが、実戦演習の日程を変更するわけにもいかないので、今日も授業を始めていきます。今日は実戦演習前の最後の授業日、なのでこちらから指示をすることはありません。私とファレス君はいつも通りフィールドに居ますので相手が必要なときは声を掛けてください。模擬戦をせずに戦術や作戦会議をペアとしてもらっても大丈夫です」
そんなことを考えているとホーミカ先生が今日の授業形態を説明した。
ふむ、どうやら今日は各自調整にあてて良い時間らしい。
一年の実戦演習は現職の近衛騎士との対人戦だが、三年はペアでの対人戦に加えて、捕獲され従魔となっている魔物や魔獣との戦闘実習も行われる。
そう言う点も含めて、一人一人がより良い成績を出すために考える授業という訳だ。
色々な学問の存在しない世界ではあるが、思考の重要性についてはどの世界でも変わらないんだな。
「よし、ではファレス。俺と模擬戦をしないか?」
ほう……リカルド兄上との模擬戦か。
確かに、今までやったことはなかったな。
それに俺は兄上がどんな戦い方をするのかを全く知らない。
中々面白い戦いになりそうだが……。
「リカルド様? せっかくペアでの訓練が出来ますのに、一人で戦われるのですか?」
兄上のペアであるエルシアさんは不満だったようだ。
まあ、次回が本番なのに自分より弟との模擬戦を優先されれば不満にもなるか。
「……それもそうだな。よし、ファレス。俺たち二人でも構わないか?」
「ええ、もちろん」
難易度は高い方が好きだ。
その方が終わった後の達成感が強い。
「ふふっ、セレスから聞いていた通り凄い自信。でも、リカルド様と一緒に戦って負けるわけにはいかないわ」
「ああ、そうだぞファレス。言っておくが手を抜くつもりはない。良いな?」
「無論です……いや、無論だ。持てる力全てを尽くしてかかって来い」
そうして俺たちはフィールドに入り、距離を開けて向かい合った。
「では、どこからでも……」
俺がそう言いかけたときだった。
ガシャン! という強い衝撃音と共に訓練室入口の扉が吹き飛び、その奥から様子のおかしなベリル殿下が入って来た。
「……ベリル殿下?」
その声は俺の物か、それとも別の誰かの物だろうか?
分からないくらいに皆が同じことを口に出す。
頭から足先まで、見る限りは間違いなくベリル殿下だ。
しかし、殿下の身体からは大罪魔法とはまた違う、嫌な気配を放つ不穏な魔力が取り巻いている。
そして、その服装に一点だけいつもと違う点が見受けられた。
それは殿下が掛けているペンダントだ。
そこそこ大振りな赤い宝石がペンダントトップとなったそれは、以前の飾り気のない殿下と比較するとかなりの異質さを放っており、纏う魔力とも併せてどこか不穏なものを感じさせる。
「あ、あれは……」
そんな風に分析をしている俺の耳にメーディアさんの声が聞えて来た。
そちらに目を向けてみれば、青ざめた顔で口元を抑え膝から崩れ落ちているメーディアさんの姿が見える。
「皆さん、落ち着いてください。ベリル殿下? 今日はお休みのはずで……は……?」
……っ!?
俺たちの視線がメーディアさんに向いているうちに殿下に駆け寄り、ホーミカ先生が声を掛けた、が、その直後彼女の腹部は殿下の手刀の一突きで貫かれた。
……。
「「「い、いやぁぁぁぁぁぁぁ!?」」」
一瞬の沈黙の後、そんな光景を前にした貴族子女たちはパニックに陥り悲鳴を上げる。
「チッ! 何がどうなっているっ!?」
兄上も悲鳴を上げたエルシアさんを支えながら冷静ではない様子だ。
「ベリル、貴様! 自分が何をしたか分かっているのか!?」
何だ? 一体何が起きている?
脳の処理が全く追いついていない。
だがしかし、もう手をこまねいている暇はない。
俺は通信玉を通じてまずセレスティアに声を掛けながら、リジルを抜刀し殿下に斬りかかった。
「(セレスティア! 緊急事態だ! すぐにメホロス先生とサラを連れて三年の訓練室に来てくれ)」
「(ファ、ファレス様っ!? 一体どう――)」
「(良いから急げ! 時間が惜しい)」
それだけ伝えるとセレスティアの反応を聞く前に通信をシャットし、まずはホーミカ先生の腹部を貫いたままの腕を斬り落としにかかる。
しかし、俺からの殺気を感じ取ったのか殿下は寸でのところで腕を引き抜き、俺から大きく距離を取った。
……まずい。
あの出血ではもう、数分と持たない。
「(サン! クインを連れて今すぐ三年の訓練室に来い。お前の操作は血液にも作用するはずだったな!)」
続いて俺はサンに指示を出した。
「(分かった!)」
サンは訳を聞くでもなく二つ返事でそう言うとすぐにこちらへ向かってくる気配を感じる。
サンの液体操作の能力があれば、一先ず失血死は避けられる。
だが、すぐに心肺蘇生をしなくてはショック死の危険もあった。
そのため、ノウ領で治療の心得も見せていたクインも同時に招集した。
クインとサラが居れば、まだ何とかなるかもしれない。
「貴様ら! 呆然とするな、状況を把握し、それぞれが対応にあたれ! 考えるのだ! 兄上! 殿下を抑えるのに協力を」
「あ、ああっ!」
俺は叫び、呆然とする学生たちにも指示出しながら『嫉妬』の魔法を発動し、殿下の拘束を試みる。
しかし――その魔法はなぜか殿下にあたる直前に、まるで反射されたかのように跳ね返り俺自身に戻り襲い掛かって来た。
「なんだとっ!?」
俺は合わせるようにもう一度『嫉妬』を発動し、魔法を相殺しながらその力を分析した。
対象直前での反射……これは魔法ではない、魔道具か!?
「兄上っ! 魔法はダメだ! 撥ね返される!」
俺は魔法に続いて飛びかかって来た殿下の攻撃を、剣の腹などで殿下を傷つけないように何とか受け流し、土魔法や水魔法で足場を奪い、その行動を制限しながらリカルド兄上に伝える。
「では、どうするっ!?」
俺の一言で魔法の発動をキャンセルした兄上が困惑した様子で聞いてくる。
「俺が斬る!」
俺は端的に答えた。
この状況では他人まで守っている余裕はない。
国家反逆罪も王太子殿下殺しもこの際どうでもいい。
こいつを野放しにするのはまずい。
俺は今もなお、まるで魔物や魔獣のように腕を振り、隙あらば噛みつこうとしてくる、まるで野生化してしまったような殿下の攻撃を捌きながらそう結論を出した。
廊下の方からいくつかの足音が聞こえてくる。
そろそろ、セレスティアやサンが到着する頃だろう。
さすがの俺も殿下に傷をつけないように攻撃を捌きながら、ホーミカ先生の出血も何とか止めるのには骨が折れる。
「ファレス様っ!」
訓練室の壊れた扉から聞き慣れた声が聞える。
「サン! 止血だ! サラとクインはすぐに治療にあたれ! セレスティア、お前は保険医を連れてきてくれ!」
俺は皆を信じて、返事を聞く前にホーミカ先生に使っていた魔法を解除すると、目の前の殿下のような何かに集中する。
何度か打ち合って分かったことだが、殿下の肌はもはや人間のそれではない。
皮膚が鋼鉄のように固く、少しでも力のかけ具合を間違えれば簡単に体勢を崩されてしまう。
これを斬るためには……
「ファレスくん斬ってはダメだ!」
「ファレス先生! 止めてください!」
俺が時穿剣発動のために背後へ大きく距離をとったその瞬間、入口と目の前からそれぞれ俺を止める声が響いた。
一つは駆けつけたメホロス先生のもの。
恐らく殿下の立場や国のことを考えての物だったのだろう。
だが、もう一人は違った。
セレスティアに負けず劣らずの速さで俺とベリルの間に割って入ったかと思えば、ベリルを庇うように彼を背にして大きく手を広げ俺の前に立ち塞がる。
そして――
「ごめん……なさい……ベリル様。私が……そのよう、な……」
目の前に鮮血が飛び散る。
俺が踏みとどまったその一瞬のうちに、目の前に立ちふさがった女性、メーディアさんは避けもせずに心臓を貫かれた。
混乱の臨場感……。
だとしても、ワンシーンに名前持ち十一人はやりすぎだったかもしれません。




