第五十六話 魔法披露宴⑥
ふと、母さ……スジェンナの方を見れば、口元を押さえ声を殺しながらも、その大きな両目から抑えきれない大粒の雫を流している。
いつの間にかクロフォードからの猛攻は止み、今はただ立ち尽くし、俺の返答を待っている様だ。
「お前は何者だ?」か……確かに俺は何なのだろう?
これまで、思うことはあってもその度に振り払い、頭の片隅へ追いやって来た命題だ。
でも、それも仕方ないと思う。
だって俺には、前世の記憶が存在しないのだから。
いや、実際には個人として、個を形作るアイデンティティとなる部分がきれいさっぱり欠落しているというか、そんな感じだ。
だから俺は自分について、『マーチス・クロニクル』の廃プレイヤーだったことと年齢が二十代前半だったであろうことしか覚えていない。
住所や職業どころではなく、名前や家族についてすら何も思い出せないのだ。
年齢だってなんとなくそうだった気がする、程度のもので確証を持った根拠があるわけではない。
そんな俺はいったい何者なのか。
……ほんと何者なんだろう。
気が付けば俺はその場に崩れ落ち、ボロボロと情けない涙を流していた。
俺は所詮ファレス・アゼクオンになりきろうとした偽物でしかない。
……これまで何度も俺はファレスでも俺自身だと、自分に思い込ませようとしてきた。
最近は特に、俺は俺としてファレス・アゼクオンという人物を生きようと、そう考えるようになっていた。
でも、それでも、俺の中にある自己への疑念が消えることはなかった。
……今俺はどんな顔をしているのだろう。
あの厳格で冷静で、かと思えば実は口数の多いタイプだったクロフォードが舌を噛み切ってしまうんじゃないかというほど思い詰めた顔をしている。
ただ、こうしていても何も状況は変わらない。
俺の答えでこの先の未来がどう転ぼうと、もう、どうでもいい。
だが、もしこれが最期なら、大好きなゲームのキャラクターの、しかもこの世の終わりみたいな顔を見ながら逝くのは流石につらい。
前世の俺は何か悪いことをしたのだろうか?
それとも……ファレスと同じで俺も不遇だったのかもな。
「お、俺……は……」
内心で己の境遇を笑ってみても、俺の口は縫い付けられてしまったかのようにそれ以上を言葉にさせようとしなかった。
目の前に立ち尽くすクロフォードも同様に言葉を発せずにいる。
――しばらくの沈黙。
もうすっかり夜も更け、部屋からカーテン越しに漏れ出る光だけが僅かにこの訓練場を照らしている。
暗い闇のおかげで瞳から流れる雫を気にする必要はない。
じっとりと重たい空気の中、思考だけは少しずつ冷静さを取り戻していく。
そうして落ち着きを取り戻しつつあった俺はただひたすらに自分に問い続けていた。
「お前は誰だ?」と。
なぜファレス・アゼクオンの中に俺という人格が存在しているのか?
もし、俺がファレス・アゼクオンとは別の存在ならば、ファレス・アゼクオンの人格はどこへ行ったのか?
だが問えど巡れど答えは出ない。
当然だ。
俺は俺の正体すらはっきりとわからないのだから。
こうして俺の思考は堂々巡りを繰り返す。
再び頭が混乱してきた。
結局たどり着く結論は一つ、もう、どうでもいい、だ。
こんな行き場のない感情をクロフォードにぶつけるわけにもいかない。
十分によくやったんじゃないだろうか?
もう少しうまくやればハッピーエンドにたどり着ける未来もあったのかもしれない。
……いや、ファレスルートにいる以上それは無理なのかもしれないな。
前々から一つ考えていたことがある。
『怠惰』の力を使用者自身に行使した場合はどうなるのかと。
『怠惰』は夢を見せて自由意思を奪うことができる。
要は強力な洗脳魔法と言い換えてもいいだろう。
この力を用いて俺の記憶にある限りのファレス・アゼクオンを俺自身にインストールすれば、それはもうファレス・アゼクオンなのではないだろうか?
『怠惰』の力が実生活に与える影響はある意味では大きいが、普通の生活をするという一点に絞ればかなり小さい。
せいぜい周りの異常に無関心になる程度なんじゃないだろうか?
もしかしたらそれすらないのかもしれない。
俺は右手を自身の額に当てた。
もう、俺はどうしたらいいか分からない。
ならば、この世界の法則に、魔法に任せてしまうのも悪くはないんじゃないだろうか。
右手を通じて魔法を紡ぐ。
使用する魔法は『怠惰』、対象は……俺一人だ。
眼を閉じてゆっくりと魔法をくみ上げていくと、短くも色濃く充実していたこの数か月間が走馬灯のように思い起こされる。
気付けばファレスの部屋に居て、後ろにはサラが控えていて……。
暇を与えてみれば吸魔の指輪を買って来て……。
クインにあって、レドを師範にして、『傲慢』を覚醒して、順風満帆かと思えば、地震がおきてサラも居なくなって……。
探しに行ったら、今みたいに『嫉妬』で縛り上げられて……あれは中々だったよな。
……ん?
何だか身動きが取りづらい……いや、取れない?
思わず魔法を中断して目を開ける。
するとそこには――
「あなたはあなたですっっ!!!! ファレス様っっっ!!!!!」
涙やら鼻水やら汗やらでそれはもう酷いことになったサラが絶叫する姿があった。
「傲慢でプライドが高くて、でも努力家で堅実な面もあって、優しくて自分のことを省みない。それがあなたですっ!! ファレス様っ!!!」
理性など、かなぐり捨てたと言わんばかりの絶叫をしていると言うのに『嫉妬』の魔法は俺が苦しくならないように急所は外している。
「私はあなたのメイドです! 他のどんな決定にも従いましょう! ですがっ! 今あなたがなされようとしていること、ご自身の運命を丸投げするような、そんな傲慢だけはっ! 絶対に認めません!!」
「……サラ」
『嫉妬』の拘束が若干弱まる。
代わりにサラの両腕が俺の背へ回された。
そして俺の胸へ縋りつくようにもたれかかってくる。
無抵抗の俺は後ろへ一歩よろけそうになって、サラとは違う柔らかくて温かい感触に支えられた。
「ごめんなさいファレスちゃん。サラの言う通りだわ。あなたはあなたよ」
まだ少し、俺より背の高い母さんの目から溢れる熱い雫が俺へと降り注ぐ。
それと同時に母の温かさが俺の全身を包み込んだ。
「母……さん」
俺は俺……か。
……正直、まだ答えは出ない。
でも、原作でもファレスを一番に想っているだろう二人がここまで言ってくれるのだ。
ならば、それはきっと俺がファレスであり、ファレスが俺である何よりの証明になるのではないだろうか。
「ありがとう。サラも母さんも」
言いながら俺は『嫉妬』を相殺し、しっかりと自分の足で地面を踏みしめる。
そうして今一度父上へしっかりと向き直ると宣言した。
「俺は……俺はファレス、ファレス・アゼクオンです!」
父上の目がパッと開かれる。
「……そうか。そうだな」
いつも通りの淡白な返事。
だが、その裏に確かに安心の色を見た。
父上が俺たちに背を向け、部屋の中へ戻って行く。
そんな後姿は厳格な侯爵のもの。
しかし、目元にあてられた右手だけは、何よりも彼を父親だと物語っていた。
父がいなくなってから再び二人から抱き挟まれた。
「もう……これで明日目が腫れてたらファレスちゃんのせいよ」
「……本当です」
笑みを携えながら尚も涙を流す母さんと、余程顔を見せたくないのか、ずっと下を向いたまま抱きしめる手を緩めないサラ。
こんなにも想われていて、そしてそんな二人を泣かせてしまうなんて俺は――とんだ悪役貴族だ。
「返す言葉もない……けど、二人とも。……ありがとう。本当に」
感謝の言葉を噛み締める。
前世の記憶が何だ。
俺の家族は、大切な人たちは、今、こうしてここにいる。
ならば、俺は――
「さぁ、戻りましょうかファレスちゃん」
「行きましょうファレス様」
俺はファレス・アゼクオンなんだ。
部屋に戻り、ベッドへ潜る。
今日は今までで一番心地の良い睡眠ができた。
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