第四十六話 皇帝への報告④
……入って来たのは一人、今もゆっくりとだが、確実にこちらへ歩を進めている。
足音から察するにサラではない。
彼女はほとんど足音を立てないし、部屋に入る前は必ず俺を呼ぶだろう。
だとすれば――まさか、暗殺者?
そんな馬鹿な。
今のこの世界で俺を恨んでいる人間なんているはず――あ、エドワード・エバンス伯爵がいた。
確かに、父も母もおらず、俺たちだけで王都へ来ている現状、誰にも邪魔されずに俺を消すには絶好のタイミングだ。
そんなことを考えている間にもどんどんと足音は近くなっていき、遂にあと二、三歩で手が届くという距離まで近づいた。
もう時間がない。
相手が誰かは知らないが、ここは俺の手で制圧するしかない。
意を決めて、次の足音に合わせて俺は一気に振り返り、顔を確認する間もなく、相手と位置を入れ替えるように転がすとソファの上に押し倒すようにして拘束した。
想像とは違い、相手に掴みかかった右手に柔らかな触感を覚える。
「きゃあっ!」
「誰……だ!?」
短い悲鳴。
その声に若干の違和感を覚えつつも正体を聞こうとして、驚愕した。
「す、すみません。驚かせるつもりでは……なかったのですが……」
申し訳なさと恥ずかしさの共存したような声をだしながらも、俺に体を委ねるように全身から力を抜いているクインの姿がそこにはあった。
それも、なんだか見たことのあるランジェリーを付けたクインの姿が。
「………………? な、なんのつもりだ、とは聞くべきではないようだな」
前回はその力に飲まれかけたが、一度見たことがあったおかげで逆に冷静さを取り戻すことができた俺はクインから身体を離しつつ、彼女をソファに座らせるとそう言った。
「……お恥ずかしながら、察していただけると……嬉しいです」
控えめにそう言いながら目を瞑るクイン。
……うーん、この屋敷にはどうやら冗談ではなく脳内をピンクにさせる魔法か何かがある可能性が否定できないようだ。
そんなことを思いながら、クインが目を閉じているのをいいことに本能を揺さぶるそれに目を向ける。
すると眼前には楽園が広がっていた。
どうやらクインは相当着やせするタイプだったようだ。
顔こそ幼さの抜けきらないあどけないものだが、その体はすでに大人顔負け。
豊かに実る二つの果実が如何ともしがたい魅力を放っている。
今でこれなら三年後は――
「ファレス様っ!!」
そこまで考えた所で扉が勢いよく開かれ……いや、吹き飛ばされた。
部屋に飛び込んできたのはもちろんサラだ。
どうやら先ほどの俺の声をどうやってか聞きつけて飛び込んできたようだ。
鍵はクインが閉めていたせいで開かなかったため、取りに行く時間を惜しみ突き破ったらしい。
……いや、あの、一応主人の部屋ね?
だが、今のサラにはそんな冷静さは残されていない。
「入口で嫌な予感がしていましたが、やはり誘惑しに来ましたね。クイン様……いえ、クイン!」
ついに一応立場が上のはずのクインを呼び捨てにし出した。
「さ、サラさんには関係ないではないですか! ノウ領でも一度も呼ばれている様子はありませんでしたし!」
だが、クインも負けてはいない。
どうやらノウ領では毎晩俺の部屋の様子を窺っていたようだ。
おそらくサラにとって痛手となる事実を正面から突き付ける。
「なっ……で、ですが、私はもう二度! 二度ファレス様と同衾したことがあります!」
サラさぁん……自棄になっても言っていいこととダメなことがあるよ。
「そ、そんな……」
いやあのですねクインさん、別にただ普通に寝ただけなんですよ。
それも二回目は同衾と呼んでいい物なのかって感じだし。
そんな世界の終わりみたいな顔をされても……。
だが、クインは思い出したように自分の胸へ手をやると、サラに見せつけるようにしてこう言った。
「わ、私は先ほどファレス様に押し倒されて、む、胸も触っていただきました!!」
「ファレス様っ!?」
く、クインさん?
触っていただきましたって違うよね?
あれは完全に事故だし……確かにがっつり触ったけれども!
なんて脳内で言い訳を並べてもサラから溢れ出る『嫉妬』の魔力はとどまらない。
「クイン・スペーディア……許さない!」
遂に臨界点に達してしまったようでサラから漆黒の蛇が放たれる。
その蛇はクインの足首から身体を締め付けるようにとりついていく。
「サラ落ち着け!」
咄嗟に制止するように叫ぶもゲームの設定を超えて『嫉妬』を覚醒するようなサラだ。
半分暴走したような状態の今では声は届かない。
もう、これはサラを一度物理的に止めるしかない。
そう思ってサラへ手を伸ばそうとしたその時だった。
クインから淡い光が溢れだす。
「サラさん。私だってあなたには負けません!」
それはサンの暴走を止めたあの力だ。
大罪魔法とは正反対に位置する魔法。
悪性ではなく善性によって機能する美徳の魔法、その名も――『慈愛』。
クインから溢れだした光が嫉妬の蛇を振りほどいていく。
「……なるほど、それがクインの魔法なのか」
そんな光景を目の前で見せられた俺は、状況のことも忘れて感心してしまっていた。
まさか、善性側の魔法をクインが覚醒しているとは思わなかった。
もちろん水竜との戦闘で使っていた魔法からおそらく無属性の類だろうとは思っていた。
だが、それが大罪魔法と双璧を為す美徳、七元徳の魔法だとは考えもしなかった。
だって、美徳魔法は原作では使用者が登場しないのだから。
ファレスルートをそこそこプレイしていた俺も存在を聞いたことがある程度の存在。
レドの存在以上にレアな魔法だ。
まあ、これで原作にてクインがファレスに対してかなりの脅威だった理由が分かったような気がする。
もしかしたら、今後もファレスの脅威となる存在は善性側の魔法を持っているのかもしれない。
ならば、こんな茶番をしている場合ではない。
全く情報のない美徳魔法について、情報を収集すべきだ。
「落ち着け二人とも」
俺は『傲慢』の魔力を解放する。
先ほどまでの焦りはどこへやら。
今の俺にあるのは、この不遇キャラでこの世界を生き残るために情報を得ようとする攻略者としての思考のみ。
濃密で強い意志の込められた魔力を前にしたサラとクインは落ち着きを取り戻し、それぞれの魔力を収めた。
「申し訳ございません。ファレス様」
「申し訳ありません。」
そして、すぐに頭を下げ謝罪を口にする。
「落ち着いたか?」
「「はい」」
「二人の気持ちはよく理解した。だが、その感情をきっかけに争うことは控えよ。そうすればいつか、必ず応えてやろう」
「「……っ! はいっ!」」
二人の声がシンクロする。
なんだかとんでもないことを言ってしまった気がするが、今はそれ以上に美徳魔法が気がかりだ。
「クイン、着替えてもう一度俺の部屋に来るように。サラは扉の修理をすぐに終わらせよ」
「わ、分かりました!」
「承知しました」
走って部屋に戻って行くクインと物音を聞いて集まってきていた別邸管理の侍従たちに声をかけ扉の処理と修理を始めるサラ。
さぁ、美徳魔法、存分に調べさせてもらうぞ。
こうして結局夜は更けていき、疲れの取れない一日となってしまった。




