第二十六話 傲慢と自信
サラの元へ戻る少し前――。
父上の後を追って部屋を出た俺は、尚も嫌な胸騒ぎを押さえられずにいた。
……なんだこの嫌な予感は。
まるで重要なものが自分の下から欠けて行ってしまいそうな、そんな感覚だった。
「父上、父上はサラが今日ここに呼ばれた理由についてご存知ですか?」
とりあえず訳を知っていそうな父に質問してみる。
だが、当然答えは……
「……お前が知る必要はない」
この通り、教えてもらえない。
とは言え、さすがの俺もこの不穏な予感をそのままにしておくことは出来ない。
「昨日、私は陛下の前でサラを自分の物だと、大見栄を切りました。ですが、見栄は見栄でも私は自分の発言に一定の責任は持っているつもりです」
「……」
「主ならば、臣下がどこで何をしているかまでは知らずとも、皇帝陛下の前で何をしているのか、これについては知る権利があると思います」
あくまで謙虚に、ここは傲慢に振る舞う場面ではない。
俺が必要としているのは父が俺のしようとしていることを黙認してくれることだけ。
最悪は力づくで連れていかれそうになった場合、無論そう簡単に負けるつもりはないが、ここはまだ王城内。騎士隊長にでも駆けつけられてしまえば、さすがの俺も不利だろうし、なによりアゼクオンが王城で暴れたなんて噂が広まってもらっては困るのだ。
「……知ってどうする」
「無論、片をつけに行きます。臣下の責は主の責です」
「……いいのだな? 決して、簡単な選択ではないのだぞ?」
「承知の上です」
……父の顔がより険しくなる。
どうやら想定以上の面倒ごとがあの部屋では進行中らしい。
「あの娘にそれだけの価値があると?」
「はい。サラは今後の私に必ず不可欠です」
「アゼクオンとエバンスの関係を悪化させてもか?」
おそらく、ここが勝負所だ。
父の言う通り、俺がエバンス家の問題に介入するということは、それすなわち家同士の対立と捉えられないこともない。
だが今回の場合、いや、エバンス家との問題だからこその抜け穴がある。
「そんなことにはなりませんよ父上。見栄は見栄でも臣下は主の前で嘘を吐くことは許されません。それは一メイドだろうと帝国貴族であろうと変わりません」
「ふっ……その歳で皇帝を恐れるどころか利用しようとするとは……。そういう所はスジェンナに似たのかもな」
父が笑った。
傲慢とは、慢心とは、すなわち余裕と自信の表れでもある。
責任が生じる状況、そこで必要なのはその責任を本当に取り切る覚悟、つまり自信だ。
その一転に限り、この世界でファレス・アゼクオンを上回る者はいない。
「好きにしなさい」
「ありがとうございます」
父が俺に背を向ける。
黙認するというサインだろう。
それが確認できるとほぼ同時に俺は先ほど出てきた部屋に向けて走り出した。
人払でもされているのか、びっくりするほど誰ともすれ違わなかった。
だが、そんなことを疑問に思っている暇もないほど夢中で走る。
扉が見えて来た。
中からは何の音も聞こえない。
だが、その剣呑な空気間だけはまだ少し離れた場所にいる俺にさえ感じられた。
「チッ! 間に合え!」
さらに一段スピードを上げる。
扉はすぐそこだ。
体当たりと相違ない勢いで扉を開ける瞬間、その声が聞えた。
「ファレス様!」
なんて声で呼んでるんだよサラ。
でも、ちゃんと――
「……聞こえている」
状況を把握するより先に体が勝手に魔法を発動する。
使う魔法はサラが覚醒させた大罪魔法『嫉妬』その魔法で、サラへと迫るエドワード伯爵の貫手を縫い留めた。
「お言葉ですが、エドワード伯爵。借りたものはきちんと返すのが礼儀でしょう?」
サラの肩を抱きながら、しっかりとその目に向けて言い放つ。
「昨日もお伝えしたでしょう? サラは俺の物だ、と」
視線の奥で皇帝が顔を歪め愉快そうにしている。
腕を組んで目を閉じている騎士隊長グレイグも一見分かり辛いが、口元が緩んでいる。
「ファレス・アゼクオンっ! 子息でしかない分際でっ! 私に喧嘩を売ることの意味が分かっているのかっ!?」
エドワード伯爵が俺の態度に激昂し、頭が回り切っていないようだ。
どうやら今の俺の立場を失念しているな。
「子息でしかない? 何を言っておられるのですか? 今の私は……」
そこで言葉を区切り、騎士隊長グレイグの方へ一瞬視線をやる。
あの皇帝は問題ないだろうが、近衛のような立場のグレイグはこのような名前の使い方を許さないかもしれない、と、思っての行動だったがどうやら必要なかったようだ。
今は閉じていた目を開き、皇帝同様興味深そうにこちらを見つめているのみ。
ならばもう、現実を突きつけてやるだけだ。
「今の私は……正式な皇帝の名代ですよ? エドワード伯爵」
「……っ!!」
外套の心臓に当たる部分に付けられた徽章を手で示しながら、そう告げてやれば、エドワード伯爵の顔はみるみる熱を下げていく。
エバンス家は特殊な家だ。
貴族家、伯爵という地位を持ちながら自領を持たず、皇帝の影たる部分を担う家。
そんなエバンス家の絶対的な心情は……皇帝への誠実な献身と確実な忠誠。
何があろうと皇帝と言う名に逆らうことは出来ないのだ。
「陛下っ!」
「はっはっはっ、はっはっはっはっはっ! してやられたなエドワードよ」
エドワード伯爵は最後の頼りとでも言わんばかりに皇帝の方を見るも、陛下の態度は変わらず、見世物を見終わり満足そうに、楽し気に笑っているのみだ。
その傍では、グレイグも諦めろとエドワード伯爵をたしなめる様な視線を向けている。
「サラ、大丈夫か?」
そんな大人たちの様子を確認した後で、俺に肩を抱かれたまま放心しているサラに話しかけた。
「あ、え、あの……どうして……私、え、え?」
どうやらまだ、現実に理解が追い付いていないらしい。
俺の顔を見つめたまま呆けた顔をしている。
「いつまで呆けているんだ? お前は皇帝陛下の名代である俺の傍付きなんだ。さっさとついて来い」
「は、はいっ! ありがとうございますファレス様!」
サラの礼に背中で答えると、俺は改めて陛下の御前で膝を付いた。
「陛下、突然の侵入大変申し訳ございません」
「ふむ、確かに非常識であったことは確かだな……」
……本来ならややこしくなってもおかしくない場面。
だが、俺は昨日からの皇帝の態度と、ゲームの知識から確信していた。
この皇帝なら――
「確かだが、そちの行動は余の名代としてふさわしいものであったこともまた事実」
そう、こういう考え方をする。
「よって、この場では何もなかったことにしよう。他の者も良いな?」
皇帝がそう言うとグレイグは短く「はい」と答え、サラも膝を付いたまま肯定を示す。
最後にエドワード伯爵だが……やはり、皇帝に逆らうことは出来ず、少し間はあったものの他の二人と同様にして見せた。
ただ、その拳は怒りなど諸々の感情で小刻みに震えているようだったが……。
「陛下の寛大な御心に感謝いたします」
この皇帝、モラク・ルー・グラーツィアという人物は老獪な人物であることに間違いはないが、少し関わってみると分かる。
器の大きさ、皇帝たる誇り、そして俺が見てもよくわからない魔法の腕などあらゆるものが卓越している。
これが俺の感情なのかファレスの感情なのか分からないが、素直に尊敬できる人物だと、そう思える。
まあ、こんな感情に意味はない。
最強を目指すならば、憧れるのではなく、皇帝さえも足場にして踏み越えるくらい傲慢でなければ、それが俺なのだから。
「……時にファレスよ」
そんなことを考えていると、少し真剣な表情をした皇帝が俺を呼んだ。
「なんでしょうか」
「余の前で散々、そこのサラを自分の物と言っていたが、当然、余に祝わせてくれるような報告を期待してよいのだろうな?」
「なっ!?」
「なぁっ!?」
「……!」
俺とエドワード伯爵、サラの反応がシンクロする。
そして、そんな俺たちを見る皇帝の顔は、あの趣味の悪い笑顔を携えていた。
……やっぱ、尊敬できないよこの人。
期待に目を輝かせるサラの視線と先ほど以上に殺気を飛ばしてくるエドワード伯爵の視線が痛かったが、その場は何とか誤魔化して早々に王城から退散した。




