第十二話 【Side:サラ】変化
目の前の光景は私には受け入れられないものだった。
つい思考があの日に飛んでしまうくらいに――。
◇◇◇
いつも通りの朝、いつも通りの日常。
ただ一つ、いつも通りじゃないことと言えば、今日が私の誕生日であることくらいです。
ファレス様にお仕えして、ファレス様に怒られて、凄い時にはあざができても見えないからとお尻を叩かれる。
そんな当たり前の日常を今日も過ごすものだと思っていました。
だけど、その変化は唐突に訪れました。
珍しく朝から机に向かって読書をされていたファレス様の身体が、ビクンと跳ねた。
そして一言、こうつぶやく。
「おいおい……どうなってるんだ?」と。
正直に言います。
私はファレス様を敬愛している。いや、もはや崇めていると言っても過言ではないです。
アゼクオンに仕える他のメイド達からは度々心配をされますが、そんなものは気になりません。
怒られるのも折檻を受けるのも私にとってはすべからくご褒美であるからです。
もちろん、ご褒美とは言え、自分が情けなくなることもあるし、辛い時もあります。
だけどそんなことはあの他のメイド達のようにファレス様を避ける理由にはなりません!
でも、もし褒めてもらえたら……ほんの一言誕生日を祝っていただけたら、なんて淡い願望を抱いていたのもこれまた事実でした。
そんなことを考えていた時、少し様子の可笑しいファレス様はおもむろに私の名前を呼んで今日の日付を尋ねられました。
ファレス様はその態度と行動からよく見られないこともあるが、幼い頃よりご当主様から貴族としての姿を見せつけられ、今はその影響が少し悪い方向に出てしまっているだけだ。
だからいつかきっと大成される、そう思っていた。
そうは思っていたのですが……。
「サラはいくつになった?」
その時は本当に突然訪れました。
ほんの一言、たった一言、でも、それだけで私の心には劇薬でした。
あまりの衝撃におかしな声を上げそうになるのを何とかこらえて今日で十二歳になったと答えると、ファレス様は「おめでとう、これからも宜しく頼む」と!
それからは夢のような時間でした。
誕生日だからと私にお暇をくださり、不敬だと切り倒されても文句を言えない吸魔の指輪をお渡しすると、非常に感謝され、あろうことかもう一つ買ってきてくれと頼みごとまでされてしまった。
確かに私があの指輪を買ったのは、ただ、ファレス様を思ってという訳ではありませんでした。
この変化を期に魔力覚醒をされたら、この方はとてつもないことを成し遂げられるんじゃないか、とそう言う感覚によるものです。
本来、私はエバンス家からファレス様を監視するために派遣されている言わば内偵のようなもの。
でも、そんなお家の任務がどうでもよくなってしまうくらいには、ファレス様にかけてみたいと思うようになっていました。
そうして二つ目の指輪をファレス様に嵌めてさし上げたとき……私はあの凄みをもう二度と忘れられないでしょう。
ファレス様はまるで渦でした。
魔力という魔力を取り込み、常人では一つでも過剰なその指輪を二つ身に着けて尚も足りないとばかりに周囲から魔力を吸収して、飲み込んでいくそのお姿を最後まで拝見できなかったのは、私の生涯でもきっと上位に食い込む失態です。
でも、私の目は間違っていませんでした。
翌日のファレス様を起こせなかったことは残念でしたが、あのファレス様が剣に興味を持たれ、その相手役に私を選んでくださいました!
何から教えて差し上げようかと悩んでいると、早速打ち合いを提案されメイドという手前それをお断りするわけにもいかず……なんて考えもまた浅はかでした!
きっと天才という言葉はファレス様のためにあるのでしょう!
剣を持ってわずか数分、ろくに振りもしないうちにファレス様は私と互角に打ち合って見せました。
自分で言うのも……な話ではありますが、私はエバンス家の直系であり、有望な子どもを集めて育てられた中でも剣の腕は指折りです。
そんな私に剣を持ったばかりのファレス様は一本取ろうと不意を突いて見せました。
結果的に私の対応が間に合う形にはなりましたが、魔力に次いで剣までにこれほどの才能……本当に凄まじいとしか言いようがありません。
ああ、何たる幸運。
お父様、お母様、サラはもう家に帰るつもりはありません。
身も心も全てファレス様に魅せられてしまいました。
それからも私にとっては夢のような時間が続きました。
家から送られてくる最低限の仕送りを少しづつ貯めて揃えた悪役風成金指輪をファレス様に付けてもらったり、一緒にスペーディア商会へお買い物に行ったり……。
お買い物では少し、少し妬いてしまうことも、失礼な者にも会ったけど、まさかのまさかファレス様に誕生日プレゼントをいただけたし、私としては望外の一日だった。
そして翌日、いつも通りお食事を召し上がるファレス様の姿をたっぷりと目に焼き付けた後、今日も剣の稽古に出ました。
すると不敬メイド1が珍しくファレス様に話しかけました。
話を聞くとどうにもファレス様に来客があったらしいです。
ご当主様が不在の中、連絡もなしに訪ねてきた者を果たして客と言っていいのか? と相手が不敬メイドだったこともあり、少し過激な方面へ思考が向きかけましたが、何とかファレス様の言葉で自分を抑えました。
そうして軽く魔法で汗を流し、汚れを落とすと、まだ魔力覚醒されていないファレス様の身支度をお手伝いする。
吸魔の指輪のおかげなのか、ファレス様に魔法が掛かりやすくなった気がしました。
その後、向かった客間には昨日会ったばかりのスペーディア商会の跡取りというクイン様と元剣聖のレド様がいらっしゃいました。
この時からです。
チクリと私の胸に違和感が走る様になりました。
感じたことのない痛み、でも決して耐えられないような痛みではありません。
なのに、どうしても気になってしまう。
綺麗にしても目を離した隙になぜかまた埃がついている書庫のカーペットの如く、私はこの痛みが気になって仕方がありませんでした。
でも、この日はその後の剣聖レド様の絶技で一瞬はこの痛みのことも忘れられました。
剣と魔法において魔法が優遇される理由は物理的な距離の問題です。
距離……つまり相手に攻撃を当てられる範囲とは言葉以上に重い問題です。
剣には刀身分しかその範囲がありませんが魔法には理論上制限がありません。
ですが、レド様はその概念を目の前で壊して見せました。
物理的にどうやっても届かない距離、その距離を剣以外に何も動かさずに剣を届かせてみました。
さすがは歴代最強と名高いお方。
そんなレド様の剣技を見るファレス様の目は心なしか輝いているように見えました。
そうしてファレス様はレド様を剣の師として迎え入れられました。
正直少しムッとしてしまいましたが、あんな絶技を見せられ、あろうことか歴代最強の剣聖の剣より自分の剣が優れているとは思えず、何も言えませんでした。
しかし、そのせいでしょうか?
一度は消えたと思っていたあの痛みが、ぼうっと燃え上がる炎の如く再燃してきました。
それこそ、自分では抑えきれないほどに。
そして耐え切れなくなった私は遂にこの痛みの根本を口にしてしまいました。
「その、ファレス様はクイン様のようなお方がお好みなのでしょうか?」
口に出した瞬間、何を言っているんだ私はという思いと同時に、何だか腑に落ちる物がありました。
本当は分かっていました。
あれだけ周りから、心配されて尚もファレス様に傾倒し続ける私。
それまでは周りがおかしいのだと思い込んでいましたが、理由はこの感情だったのですね。
私の言葉を聞いたファレス様は呆気にとられた顔をされていました。
でも、その表情の奥には私をわかろうとしてくださっているかのような色が見え、私は自分語りを始めました。
主とメイド、主従の関係では到底流れえない時間。
それでもファレス様は真剣に、顔を背けることなく私の話を聞いてくださいました。
そして――「今まで、すまなかった」と言って、メイド相手に深々と頭を下げられました。
そんな謝罪を受けて私は……泣いてしまいました。
不幸中の幸いか、ファレス様は深々と頭を下げられたままだったので、その姿を見られなかったのは良かったです。
正直、涙が出たことには自分でも驚きました。
だって私はファレス様にされること全てに間違いなく幸福も感じていたのですから。
だからこそ余計にこの涙をファレス様にお見せするわけにはいきませんでした。
スッとかぶりを振って、涙を拭うと頭を下げ続けるファレス様より姿勢を低くし、その顔を覗き込みました。
あとは本心に任せて――「もし、お言葉を頂けるのであれば、……お褒めの言葉の方が私は嬉しいです」
そうして本心で出たのはこんな言葉だった。
知らなかった、心の奥の私がそんなことを思っていたなんて。
それからは今思い出しても、少し恥ずかしくなってしまうような、幸せな時間を頂いた。
でもやっぱりファレス様はクイン様のような方がお好みなのは間違いないらしい。
……あんなに私のことを褒めてくれた後にそんなことを言われるから、つい、どうしていいか分からず、飛び出してしまったのは少し反省です。
部屋に戻ってからは自分を落ち着けようと、一日のことを振り返りながら先日いただいたブレスレットを眺めていました。
シンプルな細身の金色の輪が交差し、交差している両側に紫色の宝石がはめ込まれているそれは、アクセサリとしてはそこまで好みなものではなかった。
いくらシンプルなつくりとは言え、金に紫なんて私のような地味なメイドには目立ちすぎる。
でも、ファレス様にいただいたのだから、世界の何より特別で大切、これがあるだけで私はファレス様とのつながりを感じられる。
そんなことを考えながら、まだ開けていなかったもう一つの包みも勢いに任せて開けて……。
……ま、まあ、あれのことはいいか。
そうして今朝。
今日は寝坊をしてしまって、またファレス様を起こすことが叶わなかった。
でも、それ以外は普通だった。
それからはレド様に訓練をつけてもらって……。
「(ああ、もう思考が追い付いてしまう)」
ファレス様はボロボロになりながらもレド様に立ち向かって――。
「(止まって! 喜ばしい記憶で止まって!)」
ファレス様は遂に魔力覚醒を果たされた! ご当主様に連絡を……。
そう思うと同時に、ファレス様の身体が地面に向かって倒れていき……。
「(もう、いいでしょ! これ以上は思いだしたくない!)」
怒りに任せてレド様に向かって飛びかかり、レド様は全く抵抗をされず、私は動転した気のままレド様を牢へつれて行き……。
ファレス様はそれからしばらくして目覚められた。
良かった! 本当に……。
「(それ以上は……やめてっ!)」
レド様を連れてくるように命じられて、私はすぐにレド様の下へ。
レド様は私のことを全く怒らず、それどころか侍従としては正しいと褒めてくださって、そして、一刻も早くファレス様の下へ、と戻った先で……。
「ファレス、様?」
心の底から黒い感情が湧き上がる。
やめて。触らないで。ぽっと出の分際で。何も知らない癖に。本当は私の方が高い身分なのに。
◇◇◇
「私の方がファレス様にふさわしいのに」
そこまで口に出して、ハッと気が付く。
急いで口を塞いで周りの反応を待つが、誰も何も言わなかった。
いや、言えなかったのだ。
私はいつの間にか知らない場所にいた。
「……いつの間に?」
その私の疑問にも答えをくれる相手はおらず、手元のブレスレットだけが月明りを受けて淡い光を放っていた。




