祠の神様から好きな人の苦しみの身代わりになる力を貰ったけど、好きな人が死にそうになってるどうしよう
祠シリーズ第三弾
僕ははるちゃんが好きだ。
「もう一回!もう一回やろ!肝心なところで目を閉じちゃってた!」
「私もこの角度可愛くないから変えてみる」
「え~私上手く行ったのに~」
教室で女子達がSNS投稿用のダンスを撮っていて、その中心となっているのがはるちゃん。
元気で明るくてリーダーシップがあって、大人しい僕からしたら太陽のような眩しい人。
「お、鞍川、あいつら見てんのか。好きな奴でもいんのか?」
「あはは。踊ってたらつい見ちゃうってだけだよ」
突然話しかけられたので反射的に嘘をついてしまったが、恥ずかしくて堂々と言えるわけがない。
せめて僕とはるちゃんが幼馴染だってことが知られていれば、好んで見ていたって宣言しても多少揶揄われるくらいで変には思われなかったと思うけどね。
「まぁ確かにな。なら敢えて選ぶなら誰が好みだ?」
「そりゃあ陽向さんだよ」
「おいおい。お前と真逆な超陽キャじゃねーか。眼が潰れるぞ」
「失敬な。サングラスくらい持ってるよ」
「似合わねー!」
陽向 春飛。
それが彼女のフルネーム。
高二になって久しぶりに同じクラスになったけれど、ほとんど関わったことが無い。
なら疎遠なのかって言われると微妙な所。お互いに今でも存在は認知していて、視線があったら挨拶とかするし、はるちゃんの気が向いたら少しだけどお話しをすることもあるから。
はるちゃんとしては、近所の顔見知りって感じなんだろうな。僕にとってはそこに恋心が加わるわけだけど。物語では実ははるちゃんも僕のことを、なんて両片思いのケースがあるけれど、それはない。だってはるちゃんは僕以外の男性を好きになったことが何度もあるから。
あくまでもこれは僕の片思い。
眩しく輝くはるちゃんを、ゆっくり見守っていたい。
「痛!」
「ひなっち!」
「陽向さん大丈夫!?」
「痛そう!」
僕に話しかけて来たクラスメイトから視線を外し、改めて踊っていた女子達の方を見ると、はるちゃんが蹲って足首を押さえていた。どうやら教壇から足を踏み外して、その際に足首を痛めてしまったようだ。
「痛たた……やっちゃった」
「保健室行こ」
「うん、ありがとう」
「あれ、陽向さんって次の日曜にサッカー部の大事な試合があるって言ってなかったけ?」
「あ~うん。そうなんだよね。でも大丈夫大丈夫。このくらいの怪我なら平気だって」
友達を心配させないように明るく振舞うはるちゃん。
でも僕は知っている。彼女が本当は心の中で酷く落ち込んで悲しんでいることを。
「う~ん、どうしようかな」
「何がだ?」
「ううん、なんでもない」
まだ近くに居たんだ。
口に出して呟いたら聞かれていてちょっと恥ずかしい。
「なんだ。てっきり糾弾でもして好感度稼ぎでもするのかと思った」
「糾弾?」
「あれ、お前気付いてなかったのか?」
「何を?」
はるちゃんの怪我について何か不審な点でもあるのだろうか。
この人と話をしていたからちゃんと見てなかったんだよね。
「あれ多分、森永さんに押されたか何かされたと思うぞ」
「え?」
「踊ってる時にバランス崩したフリして、陽向さんにぶつかって怪我させようとしたんだろ」
「何言ってるの。どうしてそんなことするのさ」
「森永さんが陽向さんを嫌ってるって、見てたら分かるだろ」
確かに言われてみれば、はるちゃんに対して森永さんは少し辛辣な態度を取っていた気がする。性格的に合わないのかなって思ってたけど、こんな嫌がらせをしてくるなんて信じられない。
「でも一緒に楽しそうに踊ってたし、すっごい心配そうな顔して保健室についていったよ」
「あそこまでやるつもりは無かったんだろ」
「ふ~ん。ちょっと邪魔する程度のつもりだったってことなんだね。じゃあ嫌ってるって言ってもそこまでじゃなかったのかな」
「あるいは本心を隠して内心では笑っているかだな」
「そうじゃないことを祈るよ」
好きな人が嫌われているなんて悲しいことだからね。
でもだとすると話は変わってくる。
今回の件がはるちゃんの自業自得なら何もするつもりは無かったけれど、被害者であるならば話は別だ。
「よし」
「何がよし、なんだ」
「気にしない気にしない」
僕はそれ以上は話をせずに目をつぶる。
「(神様お願いします)」
心の中でそう強く念じると、瞼の裏に真っ白な小さな人形のようなものが映し出される。
「(はるちゃんの足首の怪我を僕へ)」
その瞬間、脳がぐらりと揺れて猛烈な不快感が襲ってくる。
そしてそれが収まると同時に足首に痛みが襲って来た。
「痛てて……」
目を開けるとそこは保健室だった。
「我慢しなさい。男の子でしょ」
そう僕に声をかけてくれたのは、保険医の女医さんだった。
どうやら僕の足の怪我を治療してくれている途中というシチュエーションのようだ。
「はい、ひとまずこれで大丈夫。学校終わったらちゃんと病院に行くのよ」
「あ、はい」
「それとこれからは階段を降りる時は足元に気を付けること」
なるほど、どうやら僕は階段で足を踏み外して挫いてしまったことになってるんだ。
そりゃあ僕が教室でダンスするなんてことはあり得ないもんね。
「ありがとうございました」
「お大事に」
痛みは感じるけれど歩けない程度では無い。
杖無しで足を引き摺って教室に戻ると、誰かが心配して話しかけてくれるなんてこともなかった。
どうやら僕が怪我したことは知られていない様子だ。
一人で怪我して一人で保健室に行ったという体なのだろう。
しかし僕の動きを見て違和感を覚えたはるちゃんが話しかけて来た。
「あれ、錠その足どうしたの?」
錠とは僕の名前。
鞍川 錠。
昔は錠ちゃんって呼ばれて嬢ちゃんとかけて揶揄われたことが結構あったけど、それを嫌がっていることを察したはるちゃんは一早く呼び捨てにしてくれた。そんなところも好きな理由の一つだ。
「階段踏み外しちゃって」
「ドジだね~、気を付けるんだよ」
「うん」
話はそれで終わり、彼女は友達との会話に戻った。
過剰に心配されることも無く、会話が発展することも無く、ただ気になったから聞いただけ。
彼女にとっての僕はそんな存在なのだ。
もちろんダンスをしていて足を踏み外したなんて記憶は無い。
何故ならその怪我は僕が『身代わり』になったから。
「よう鞍川、その足どうしたんだ?」
さっき話しかけて来た男子が、僕の足に気が付いて話しかけて来た。
彼もまた、はるちゃんがダンスをしていたことなんて忘れてしまっているのだろう。
彼との会話に適当に合わせながら、僕はこの『身代わり』について思い出す。
あれは小学校低学年の頃。
まだ今よりもはるちゃんと多く話をして、遊んでいた時のことだ。
幼いころから引っ込み思案だった僕を陽の下へ引っ張り出して遊んでくれたはるちゃんのことを僕は当時から大好きだった。
そんな彼女がインフルエンザで学校を休んだ。
僕もインフルエンザに罹ったことがあって辛いのは知っていたけれど、数日経てば治ったからはるちゃんもそうだと思っていた。
でも偶然テレビのニュースで聞いてしまったんだ。
『たかがインフルエンザと侮ってはいけません。幼い子供や老人がかかると命を落とすこともありえます。ですからまずはかからないように対策をしっかりとしてください』
僕は大丈夫だったけれど、はるちゃんは死ぬかもしれない。
そう不安に思った僕はいてもたってもいられなくて、街中の神社を巡ってお願いをした。
どうかはるちゃんを助けてください。
当然ながら誰も願いなんて叶えてくれない。
たとえ叶えてくれる存在がいたとしても、数ある願いの中から数日寝れば治るだけのものを選ぶとは思えない。もちろん幼い僕はそんなことは分からず、叶えてくれる存在がいると信じて街中を駆け回る。
そうしてその祠を見つけてしまった。
祠はボロボロで、伸びた草に囲まれ、屋根らしきものが飛ばされて落ちてしまっていた。
僕は屋根を拾って上に被せようとしたけれど、あまりにも朽ちていたからか、乗せた衝撃で崩れ落ちてしまったんだ。
まずいことをしてしまったかもしれない。
焦る僕の脳裏に声が響いてきた。
『わらわを解放してくれたのはそなたか?』
やや女性寄りの中性的な声だった気がする。
怖いというよりも、安心感を与えてくれるような不思議な感覚だった。
『ふむ。幼子か。己のしたことが分かって無さそうじゃの』
少しの間放心状態だった僕は、それが神様だったと分かるとすぐに謝った。
「壊してしまってごめんなさい!」
『気にせんでよい。むしろ感謝しておる。お礼に何か願いを叶えてやろう』
「え!?」
願いを叶える。
その言葉が聞こえた瞬間、僕はもうそのことしか考えられなくなっていた。
神様の力とかそういうのではなく、それだけその時の僕にとってはるちゃんの命が大事だったからだ。
「はるちゃんを助けてください!」
僕ははるちゃんがインフルエンザで苦しんでいることを伝えて、病気を治して欲しいと願った。
『無理じゃ』
「そんな!」
でも神様はそれは出来ないと言う。
神様なら何でも出来ると思っていたから、かなりがっかりした。
『起こっている事象を消去することはわらわには不可能じゃ』
「良く分かりません……」
『生み出すことも消し去ることもわらわにはできない。できるのは移すことだけ』
「移す?」
『そうじゃ。あらゆるものを移動できる。それがわらわが得意とすることじゃ』
その話を聞いて僕は思ってしまったんだ。
「じゃあはるちゃんのインフルエンザを僕に移動してください!」
インフルエンザは子供が罹ると命を落とすかもしれない病気。
でも僕は罹ったことがあって普通に治ったから、もう一度罹っても平気だと思ったんだ。
『そなたが苦しみを引き受けようと言うのか?』
「はるちゃんが助かるならこのくらいどうってことないよ!」
『ほう……なるほどのぅ……』
そしてその神様は、はるちゃんの苦しみの身代わりになる力を僕に与えてくれた。
その力は僕が想像していたよりも強力なもので、単に移動するだけでは無くて、そうなった原因を新たに作り上げる世界の改変まで行うものだった。
例えばさっきのダンスの件であれば、いきなり痛みだけが僕に移るのではなくて、僕が階段から足を踏み外したという怪我の原因を新たに作り上げてしまい、はるちゃんがダンスをしていたという怪我の原因が消えてしまった。
これって生み出すことも消し去ることもしているような気がするけれど、騙されているのだろうか。と思わなくもないけれど、この力のおかげではるちゃんを何度か助けられているので気にしないことにしている。
好きな人の苦しみを引き受けることができる。
僕はその力で大好きなはるちゃんを守ってきた。
といっても些細な苦しみには使わなかったけどね。だって神様に人は苦しみを乗り越えて強くなるのだから無闇に使うなって諭されたから。
高校を卒業すればはるちゃんとは会えなくなる。
そうなるとはるちゃんが苦しんでいるかどうかも分からなくなる。
つまりこの力が役立つのは残り僅かな時間ということになるだろう。
その間に何も起きないと良いなと思っていたけれど、現実はあまりにも非情なものだった。
足首の怪我を肩代わりした日の放課後。
「地味に痛いなぁ」
普通に歩けるけれど、絶妙に耐えられる痛みが帰宅を辛いものにしていた。
痛みに顔を顰めながらゆっくりと歩いて帰っていると、突然背後から声をかけられた。
「錠!」
「え?」
はるちゃんが笑顔で僕に駆け寄って来たんだ。
家が近いから帰り道も同じだけれど、今まで下校時に会うなんてことはほとんど無かったのに。
その理由は僕が帰宅部なのと比べ、彼女は遅くまで練習しているサッカー部であり帰宅時間が違うから。
「はるちゃん、部活はどうしたの?」
「う~ん、なんか監督が来れないから今日は休みなんだってさ」
「…………そうなんだ」
嘘だ。
大事な試合が週末にあるというのに休みになる筈が無い。
仮に監督が来れないのが本当だったとしても絶対に自主練をしているはず。
絶対に休むなどありえず、休んだらレギュラーを外されるかもしれないのにそうしているということは、それなりの理由があるはずだ。
問題はその理由が何かということなんだけど。
「それより足怪我してるんでしょ。荷物持つよ」
「え?」
「ほらほら、よこしたよこした」
「大丈夫だって」
「遠慮しないの、はい、も~らい」
「…………ありがとう」
「どうしたしまして」
「本当にありがとう」
「何よそれ、しつこいって。偶然見かけて、そういえば足を怪我してたなって思ったから声かけただけだから気にしないで」
嘘だ。
はるちゃんは僕のために大事な練習を休んでくれたんだ。
それは僕が好かれているからだなんて自惚れでは無い。困っているのが僕でなくてもはるちゃんはこうして助けてくれる。僕が好きな女性はそういう優しい人物なんだ。
はるちゃんの好意を無駄にしないために、ここは素直に甘えることにする。部活に戻って欲しいところだけれど、はるちゃんの性格的にそうすると僕のことが気になって身に入らなくて逆に怪我をしてしまうから。昔、彼女が友達のために似たようなことをして怪我をして、僕が身代わりになったことが実際にあるんだ。
「錠って友達いないの?」
「うぐ、いきなりきついこと言ってくるね」
「だってこういう時に、助けてくれる人がいないと大変でしょ」
「友達ならいるよ。ただ、全員別のクラスになっちゃったし、今日は用事があるの知ってたから声をかけなかっただけ」
誇張ではない。
本当に友達はいるし、休みの日に一緒に遊んだりしている。
「錠らしいね。昔から怪我とかしても周りの人に心配かけさせないように瘦せ我慢してたでしょ」
「そうだっけ?」
「そうだよ。特に中二の時なんか酷かったじゃん。すっごい落ち込んでて、何があったのか聞いても絶対に教えてくれなかったし」
「あ~それは永遠の秘密で」
「まだ教えてくれないの?」
言えるわけがない。
はるちゃんに失恋して凹んでいただなんて。
とはいっても、僕が告白した訳ではない。
告白したのははるちゃんだ。
好きな先輩に告白して見事に撃沈。
その時のはるちゃんの落ち込みようは物凄いものだった。
この世の終わりかのような表情で、普段の太陽のような明るさは鳴りを潜め、常に暗くて授業中に泣き出してしまうこともあるくらいだった。
だから僕がその辛さを引き受けたんだ。
失恋の辛さはメンタルを強くするために大事な儀式かもしれないけれど、あまりにも見ていられなかったから。
でも身代わりになるとしたら、僕が誰かに告白して撃沈したというシチュエーションを生み出さなければならない。となると相手ははるちゃんだ。実際は告白ではなく、会話の中で彼女が僕のことを異性として全く意識していないと気付いて告白する以前に撃沈するという設定に書き換わっていたので、彼女は僕の想いに気付いていない。
その時の気の落ち込みようは尋常では無かった。身代わりになったと知っているにも関わらず、生きていることすら辛いと思えるほどの悲しみに襲われ、感情をコントロールすることが全くできなかった。
かといって真実を誰かに伝えて慰めて貰うなんてことが出来る訳もなく、もちろんはるちゃんには絶対に言えない。その結果、僕が痩せ我慢人間みたいに思われちゃったのかな。
「何かあったら友達とか家族に相談するんだよ。どうしても誰もいなかったら私がいるからさ」
「その言葉、そっくりそのままお返しするよ」
「私は相談してるも~ん」
嘘だ。
はるちゃんこそ、周囲の人に心配をかけないように抱え込んで無理矢理笑顔になるタイプだもん。
これまで何度か身代わりをして来たからこそ、はるちゃんのその気持ちのことは良く知っている。
「と・に・か・く、あまり心配させないの」
「は~い」
「頑張れ男の子!」
「痛!」
「あ、ごめん!」
背中を思いっきりバンと叩かれてエールを注入されたけれど、その衝撃で足首に力が入って痛んでしまった。焦るはるちゃんがなんかちょっとおかしかった。
「ふふ、大丈夫だよ。今日はありがとう。病院に行かなくちゃだからここまでで良いよ」
「そう?病院までついていくよ?」
「そこまでしなくても大丈夫だって。病院も家もすぐそこだし、はるちゃんは部活に戻って」
「あちゃ~バレちゃってたか」
「もちろん。幼馴染なんだから。サッカー頑張ってね」
「は~い。錠も無理しないでね」
僕と別れ、学校に向かって走って戻るはるちゃんの背中を見ながら思う。
ああ、やっぱり僕ははるちゃんが好きだ。
明るく元気なところも、思いやりがあって優しいところも、大好きだ。
たとえはるちゃんが僕のことを異性として意識していなくても、少なくとも高校卒業までずっと片思いし続けることになりそうだな。
翌週。
足首が良くなり、最後にお医者さんに確認してもらうために病院に向かった時のこと。
たまたま自宅の近くに大きな総合病院があったのでそこで見て貰っていたのだけれど、診察が終わってトイレに行こうとして病院の廊下を歩いていたら急患がやってきた。
「え?」
まず最初に目に入ったのは、その急患と一緒にやってきた付き添いの男女。
僕はその人達を知っている。
「陽向さんのお父さんとお母さん?」
彼らが泣きそうな程に心配そうな顔で担架に乗せられた人物を見ている。
まさか。
僕は邪魔にならないように廊下の隅に移動しながら担架を見ると、そこには全身を真っ赤にしたはるちゃんが乗っていた。
彼らが通り過ぎた後、僕はその場から動くことが出来なかった。
目の前を通り過ぎた光景に現実感が無く、何が起きているのかを脳が受け付けてくれない。
「そんな……」
気付けば壁に背を預けるようにして、僕はへたり込んでしまっていた。
それからのことは記憶が曖昧で、何処をどう移動したのか全く覚えていない。
気付いたら待合室で俯くように座っていた。時間はなんと一時間以上も経っていた。
そのことを自覚したら、自分がトイレに行きたかったことを思い出し、何も考えないようにしながらトイレへと向かう。
「あ……」
するとそこで、酷い顔をした男性と遭遇する。
「…………錠君?」
周囲のことなど全く意識する余裕が無さそうだったその男性は、僕とぶつかりそうになったことで反射的に僕の顔を見て、僕が誰なのかに気付いた様子だ。
彼女ははるちゃんのお父さん。
幼馴染である僕達は、それぞれのご両親と面識があるため、顔を見るだけでお互いにすぐに気付いたのだ。
はるちゃんのお父さんは僕の存在に気付くと一瞬だけ表情を強張らせてから、すぐに力無い笑顔を浮かべた。
「こんなところで会うなんて奇遇だね。怪我でもしたのかい?」
ああ、なんて人なんだ。
それどころではないはずなのに、僕の心配をしてくれる。
はるちゃんの優しさはご両親譲りなのだろう。
「僕のはもう今日で完治したので気にしないでください。それより、その、僕、さっき見ちゃって……」
「…………ああ…………そうか」
「…………」
「…………」
せっかく気を使ってくれていたのに、言うべきでは無かったのだろう。
でも我慢できなかった。
好きな女の子が血まみれで病院に運ばれているのに、堪えることなんて出来る訳が無い。
「三人で街を歩いていたら、事故にあってね」
「その、大丈夫、ですよね?」
「もちろんだ。娘は強いから、無事に戻って来てくれる」
「僕もそう思います」
「錠君にそう言って貰えると心強いよ」
ごめんなさい。
心強い言葉に感じて貰えたかもしれませんが、実は内心では違うことを感じていたんです。
不安が増大してどうにかなってしまいそうなんです。
「強さって大事なんですね」
「俺はそう思うし、お医者さんも生きたいと強く想う気持ちが大事だから沢山声をかけてくださいって言ってくれた。もし機会があったら錠君も娘に声をかけてあげて欲しい」
「はい。絶対にそうします」
これ以上話すのは悪いと思い、僕はそこで話を打ち切った。
そしてトイレから出て待合室の隅に座り一人になって考える。
生きたいと強く想う気持ちが大事だから声をかける。
それはつまり死にそうな状況だということでは無いだろうか。
そして本当にはるちゃんは『強い』のだろうか。
失恋して泣いていた。
怪我をして苦しんでいた。
僕がはるちゃんの身代わりになった時、はるちゃんの猛烈な心の痛みを受け取った。
はるちゃんは周りからは強いように見えるかもしれないが、内心はとても繊細で弱い人間なのではないか。
僕はそう思っていた。
そんなはるちゃんが強い意思で死の淵から戻って来てくれるだろうか。
信用したい。
でもそれは希望的観測では無いだろうかと、どうしてもネガティブな想像をしてしまう。
「どうしよう……」
助ける方法はある。
どんなことをしてでも助けたい。
でもそれは簡単に選ぶこと出来ない。
この身代わりは命が懸かっている。
「死にたく……ない……」
好きな人のために命を懸けるなんて話は美談として語られるけれど、いざ自分がその立場になると怖くて震えが止まらない。
「お父さん……お母さん……」
それに失恋やちょっとした怪我とは違い、たとえ生還できたとしても家族を深く悲しませることになる。
自ら死を選ぶなど愚の骨頂。
死への恐怖はもちろんのこと、自分を大切に想ってくれる人達の事を考えると絶対に選べない。
今自分が感じているはるちゃんを失うかもしれない辛さをそっくりそのまま体験させることになってしまうのだから。
でも何もしなければ、はるちゃんが死ぬかもしれない。
僕が身代わりになれば確実に助けられるのに、助けられる命を見殺しにしてしまうことになる。
しかも相手は僕が好きで好きで好きで好きでたまらない大切な幼馴染。
ここで身代わりにならなければ一生後悔する。
身代わりになって周囲の人を悲しませても一生後悔する。
死にたくない。
迷惑をかけたくない。
助けたい。
どうする。
どうすれば良い。
身代わり。
僕は。
僕は。
僕は。
『頑張れ男の子!』
はるちゃんの声が脳裏に蘇る。
「ごめんなさい」
僕はそう呟いて、目を閉じた。
『愚か者が』
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
生きるには強い気持ちが必要というのは本当だった。
強くそう願ったら、確かに僕は死ななかった。
「錠!」
「錠!」
でも僕の心は後悔で一杯だ。
だってベッドで横たわる僕に向かってお父さんとお母さんが号泣しているから。
どれだけの心配をかけさせてしまったかと思うと、胸が張り裂けそうだ。
僕が選んだのは、身代わりになる道だった。
決して勇敢に決断したなんてことはない。
みっともなく何度も苦悩し、脳内で喚き散らしながら、結果、単純にはるちゃんを見殺しにすることが耐えられなかっただけ。
心の弱さゆえ、身代わりを選択してしまった愚か者。
そういえば身代わりを選んだ時、久しぶりに神様の声が聞こえてきた気がしたけれど、あれは何だったのだろうか。
まぁ良いか。
今は余計なことを考えず両親の心配という罰を受けて苦しもう。
それが僕がやらかしてしまった罪に対してやるべきことだと思っていた。
でも神様はそれだけでは許してくれなかったようだ。
もっと大きな罰が下されたのだから。
面会謝絶の集中治療室から抜け、それでもまだ体が動かせず呼吸器を取り外せない。眼でしか会話が出来ない状況で、ある人物が面会にやってきた。
「…………馬鹿」
お父さんとお母さん。
それと同じくらい悲しい顔をしたはるちゃんだった。
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!大馬鹿!」
流れる涙を隠そうともせずに、はるちゃんは僕を詰ってくる。
どうして彼女が泣いているのだろう。
僕が事故に遭ったことになり、はるちゃんには何も起きなかったはずなのに。
もちろんはるちゃんは僕が命の危機だと知ったら泣いてくれるだろう。
でも詰るような泣き方をするだろうか。
今回の事故について僕に対して強い不満を抱く理由。
まさか。
「全部聞いた。神様とかってのが教えてくれた」
ああ、そうか。
それなら確かに怒るだろう。
自分の代わりに僕が犠牲になったと知ったら、怒るのは当然だろう。
あの時の神様の声はやっぱり本当だったんだ。
愚かな選択をした僕に、最も知られたくない人に真実を伝えるという罰を与えたんだ。
「どうして……どうして私なんかのために……違う……そうじゃない……それは知ってるから……ええと……とにかく馬鹿!大馬鹿!」
あれ、今何て言った?
はるちゃんの身代わりになった理由を彼女は知ってる?
ま、まさか神様。
本当に全部伝えちゃったの?
僕の気持ちまで!?
ダメだ。誤魔化そうにも今は何も話せない。
「そのまま黙って聞きなさい!勝手に身代わりなんてしたこと、絶対に許さないんだから!」
ああ、やっぱりはるちゃんは優しい。
優しすぎる。
僕がそう言って欲しいって、そう罰して欲しいって分かっていて言ってくれてる気がするから。
もちろんある程度は本気だとは思うけれど、はるちゃんだったら申し訳なさとか感謝とか、そっちの気持ちの方が強くなってしまう性格のはず。
「でも……ありがとう……守ってくれてありがとう……」
ほらね。
とても辛そうにお礼を言ってくれたよ。
あはは、そのお礼は本当に効くなぁ。
優しいからこそ、身代わりされていたなんて話を聞かされたら強くショックを受けてしまう。だから絶対に知られたくなかったのに。
試しに目を閉じてみた。
もう白い人形は浮かんでこない。
そういえば神様からこの力を貰った時に忠告されたっけ。
『決して命を粗末にするな』
その忠告を破ったから、身代わりの力が失われたのだろう。
つまり僕は彼女の悲しみを受け続けることしか出来ない。
その悲しみを身代わりするなんてことは無理である。
最も心にダメージを負ってしまう最高の罰だね。
「お願いだから本当にもうこんなことは止めて……」
それは難しいお願いかな。
好きな人が困っていたら手を差し伸べたくなるでしょ。
自分が身代わりになれたらって思うでしょ。
はるちゃんならその気持ちを分かってくれるはず。
でもそんな弁明すら許されない。
彼女の気持ちを浴びることしか許されない。
「うう……錠……死なないで……」
いや大丈夫だって。
僕の両親に今の状況を聞いたでしょ。
まずいな。
情緒不安定になって号泣しちゃってる。
こんな時こそ、声をかけて落ち着かせてあげたいのに、それすら出来ないとか本当に辛すぎる罰だよ。
しばらくの間泣き続けたはるちゃんは、泣き顔を僕に見られたことが突然恥ずかしくなってきたのか、病室を飛び出していった。今日はそのまま帰るかなと思ったら、泣きはらした目のまま戻って来た。
「ごめんなさい」
それは何に対する謝罪なのだろう。
突然部屋を飛び出したことなのか、あるいは身代わりに関する話なのか。
そんなことを考えていたけれど、謝罪の理由は予想外のことだった。
「その、私、錠に好きって思われているだなんて全く知らなくて」
まさかのそっちの話!?
今は僕こんな状態だから止めようよ!
って言いたいのに出来ない!
チクショウ!
真っ赤になって照れるはるちゃんの様子は眼福だけれど、今はそういう気分じゃない。
「それと私、錠のこと、ただの幼馴染にしか思ってなくて、その、ごめんなさい」
知ってた。
知りすぎるほどに知ってた。
だってずっと見て来たし、他の男子を相手に失恋した時の気の落ち込みようも知っているから。
とはいえこうして目の前でズバっと言われるときっついなぁ。
いくら罰とはいえ、そろそろ心が限界に来そうなので、僕はそっと瞼を閉じた。
「待って待って。勘違いしないで!別に錠を振ろうとしているわけじゃないの!というか、この状況でそんなことしたら最低でしょ!」
確かに、それは怪我人に追い打ちをかけるようなことであり、はるちゃんがそんなことをするとは到底思えない。
じゃあどうしてはるちゃんはこの話をしたのかな。
僕は再び目を開けた。
するとさっきまでよりも顔を赤くしたはるちゃんが目に入って来た。
「その、錠のこと、これからは異性として意識してみるから。それで好きになるかは分からないけど、その、そこからは錠次第ってこと!分かった!?」
ああ、そうか。
逆だったんだ。
追い打ちをかけるのではなくて、僕が喜びそうな話だから伝えてくれたんだね。
もちろん方便なんかじゃないだろう。彼女はそういう嘘は絶対に言わないから。
神様ごめんなさい。
そしてありがとうございます。
僕は間違ってしまったかもしれないけれど、あなたを失望させてしまったかもしれないけれど、罰だけではなく希望を与えてくれて感謝します。
きっと僕はこれからも何度も間違えてしまうと思う。
好きな人を守りたいという気持ちはどうしても変えられないから。
だからこれからは人並みに好きな人を守って生きていきます。
その好きな人がはるちゃんのままなのか、失恋して他の人に変わるのかは今は分からないけれど。
「だからさっさと元気になりなさいよ!」
少なくともこれ以上はるちゃんを泣かせないように努力します。
祠シリーズのストックは今のところ残り一つです




