第33話:ゴブリンの目利き
王都での生活は、金がなければ、ただ息を潜めて、腹を空かせて、時が過ぎるのを待つだけの、牢獄と変わらなかった。
俺たちの財布は、完全に空っぽになっていた。
「……もう、これしかねえか」
追いつめられたカシムが、部屋の隅に隠していた、怪しげな道具箱を引っ張り出してきた。
彼は、ただのガラスの塊と、色のついた粉をいくつか取り出すと俺に見せつけてきた。
「いいか、ゴブスケ。これが、俺たちの起死回生の一手だ」
彼は、ガラスの塊に、器用に熱を加えながら、粉を混ぜ込んでいく。
「こうやって、ちょいちょいと魔法で手を加えれば……ほら、『南洋諸島でしか採れない、情熱のルビー』の完成だ! こいつを、どっかの世間知らずな貴族のボンボンに売りつければ、一か月は遊んで暮らせるぜ!」
彼の目の前には、確かに、それっぽく輝く真っ赤な石が出来上がっていた。
だが、俺は首を横に振った。
「……ダメだ。それは、嘘だ」
俺の言葉に、カシムは苛立ったように声を荒げた。
「綺麗事を言うな! 俺たちは、今、飢え死にするかどうかの瀬戸際なんだぞ! それとも、何か、お前にいい考えでもあるってのかよ!」
「俺は、偽物は作らない」
俺は、手の中の杖を、強く握りしめた。その柄に刻まれた、ドワーフのルーン文字の、硬質な感触を確かめる。
「……バリン師に、顔向けできない」
あの鍛冶場で見た、本物の仕事。
一つの作品に、魂の全てを注ぎ込む職人の誇り。
あの光景を見てしまった後では、こんな人を騙すためのガラクタ作りに、協力することなど到底できなかった。
俺のその、頑なな態度に、カシムは「くそっ!」と悪態をつくと、出来上がったばかりの偽物のルビーを、床に叩きつけた。
ガラスの割れる、乾いた音が響く。
「分かったよ! 分かった! 高潔なゴブリン様には、汚れ仕事はさせられねえってことだろ!」
彼は、やけくそになったように、部屋の隅に積んであった、自分が森で採集してきた薬草の残骸を、ゴミ袋へと詰め込み始めた。
「こうなったら、こんな雑草でも何でも、市場に持って行って、叩き売ってやる!」
俺は、そんな彼の自暴自棄な行動を、黙って見ていた。
だが、彼がゴミ袋に放り込もうとした、ある枯れ草が俺の目に留まった。
俺は、思わず彼の腕を掴んでその動きを止めていた。
「なんだよ、離せ!」
「……待て。それ、見せろ」
俺は、彼の手から、その枯れ草の山を、受け取った。
そして、一枚一枚、丁寧に仕分け始める。
ほとんどは、カシムの言う通り、ただの雑草や、彼が薬草と見間違えただけの、毒草だった。
『……ひどいな。気のせいか』
俺は、先生の教えを思い出しながら、ため息をついた。
だが、その時。
俺の指が、ある一枚の、しなびた葉に触れて、ぴたりと止まった。
他の雑草と、見た目はほとんど変わらない。三枚の葉を持つ、ありふれた植物。
だが、違う。
葉の裏に、月の光のような、ごくごく微かな、銀色の葉脈が走っている。
『……やっぱりあった』
俺の脳裏に、エリアス先生の、うんざりするほど聞かされた講義が蘇る。
『いいか、出来損ない。真に価値のあるものは、その姿を、ありふれたものの中に隠す。この『月影草』のようにな。昼間は、ただの雑草でしかない。じゃがな、夜に採取し、これを適切に調合すれば、最高級の魔力回復薬の材料となる。その価値、金貨にして百枚は下らん』
俺は、そのしなびた葉を慎重に手に取った。
そして、葉の切れ端を指先ですり潰す。
独特の、夜の森のような、清涼な香りが、ふわりと立ち上った。
間違いない。
カシムの方へ振り返った。
彼は、まだ俺の奇妙な行動を訝しげに見ている。
俺は、そのしなびた葉を彼の鼻先へと突きつけた。
「カシム。これ」
「あ? なんだよ、その汚い雑草……」
カシムは、迷惑そうに顔を上げた。
「……匂いを、嗅げ」
俺がそう言うと、彼は、訝しげに、その葉の匂いを嗅いだ。
その瞬間、彼の目が、信じられないものを見るように、大きく見開かれた。
三流とはいえ、彼も魔術師のはしくれだ。
その香りに込められた、凝縮された、純粋な魔力の気配を、感じ取らないはずがない。
「なっ……なんだ、この匂いは!? ありえない! こんな、凝縮されたマナの香り……最高級のポーション店でしか、嗅いだことがないぞ!」
彼は、俺の手から葉をひったくると、何度も、何度も、その匂いを嗅いでいる。
「馬鹿な! これは、ただの、そこらに生えてる『三葉草』じゃなかったのか!?」
「違う。似ているだけだ」
俺は、静かに答えた。
「それは、『月影草』。夜、魔力が満ちる時だけ、葉脈が光る。……お前がこれを採った時、たぶん、夜だったんだろう。だから、気づかずに、混じっていた」
カシムは、そのしなびた葉を、まるで神の啓示でも見るかのように、呆然と見つめていた。
そして、ゆっくりと、本当にゆっくりと、俺の方へ顔を向けた。
その目には、もはや、俺を侮る色はなかった。
そこにあるのは、未開の金鉱を、たった一人で見つけ出した探鉱夫を見るかのような、畏怖と、そして、強烈な興奮。
「……ゴブスケ」
彼の声が、震えていた。
「お前……まさか……。こんな風に、価値のある薬草を、見分けることが、できるのか……?」
俺は、頷いた。
次の瞬間、カシムはまるで獣のように俺の両肩を掴んだ。
「……お前は……! お前は、歩く金鉱だ!」
彼の目には、もう、絶望の色はなかった。
そこには、目の前に転がり込んできた、千載一遇のチャンスを前にした、詐欺師であり、野心家である男の、ギラギラとした、獰猛な輝きだけがあった。
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