第27話:食わせ者の流儀
王都の巨大な壁は、俺に現実を突きつけてきた。
正面からの突破は不可能。ならば、この巨大な錠前を開けるための『鍵』となる人間を探し出すしかない。
俺の狩りが、始まった。
俺は、王都へと続く街道を見下ろせる、森の中の小高い丘に潜んだ。
ここからなら、街に出入りする人間たちの姿を、一日中観察することができる。
俺が探しているのは、ただの人間ではない。俺という危険な『荷物』を、王都の中まで運び込んでくれる、都合のいい『駒』だ。
その『駒』には、いくつかの条件があった。
一つ、王都への出入りが許可されていること。
二つ、魔法という存在に理解があること。
三つ、そして最も重要なこと。心に、利用できる『隙』があること。
数日間、俺はただひたすらに、人間を観察し続けた。
騎士はダメだ。商人も、神官も。俺が求めているのは、もっとこう……まともな社会から少しだけはみ出していて、それでいて、大きな野心を抱えているような、リスキーな男。
そして、旅を始めて五日目の午後。
ついに、俺の目に留まる男が現れた。
一人の、若い魔術師だ。
年の頃は二十歳そこそこ。着ているローブは、いかにも高価そうな、派手な刺繍が施されている。だが、よく見れば裾はほつれ、あちこちに繕った跡があった。
彼は、街道沿いで、人の良さそうな農夫を相手に、何やら怪しげな瓶を売ろうとしていた。
「いいかい、おじさん! よく見てくれ、この輝きを!」
カシムと呼ばれたその男は、ただの汚いガラス瓶を、太陽にかざして見せる。中には、ミントの葉を浮かべただけの、濁った水が入っているだけだ。
「これはただの滋養強壮剤じゃないぜ? 賢者の森でしか採れない、『月の涙』を一滴だけ配合した、奇跡の秘薬さ! これを飲めば、あんたの畑のカボチャが馬車になることは請け負えないが、まあ、腰の痛みくらいは吹っ飛ぶかもな! さあ、あなただけに、銀貨五十枚で!」
『……ハッタリだな』
俺は、すぐに見抜いた。
あの男の魔法からは、エリアス先生から本物の魔術師が放つ、澄んだマナの気配がしない。空っぽだ。
案の定、男の口車に乗せられかけた農夫の元へ、巡回中の衛兵がやってきた。
「おい、カシム! また胡散臭いものを売りつけているのか! ヘムロック爺さんから買った、前の『若返りの秘薬』は、ただの泥水だったと苦情が来ているぞ!」
「これは失敬、衛兵殿! 私はただ、この誠実なる農夫殿の健康を心から案じ、善意でこの薬を……」
カシムは、衛兵に肩を小突かれると、一瞬だけ、忌々しそうな顔をしたが、すぐにひらひらと大げさに手を振り、ユーモラスな仕草で頭を下げた。
「おっと、失礼。どうやら、私の善意も、ここでは無用の長物のようだ。では、ごきげんよう!」
彼は、ウィンク一つ残すと、まるで舞台役者のように、くるりと背を向けてその場を去っていった。その足取りに、反省の色など微塵もない。
俺は、その日、一日中カシムの行動を追った。
彼は、王都の魔術師ギルドの入り口あたりをうろつき、中から出てくるエリート然とした魔術師たちに、必死に話しかけていた。
「おお、これはこれは、アークライト様! 先日のヴァレリウス様の講義、実に見事でしたな! 私も、末席で拝聴しておりましたぞ!」
だが、声をかけられた魔術師は、カシムを汚いものでも見るかのように一瞥すると、鼻で笑って通り過ぎていくだけ。誰にも、相手にされていないのだ。
そして夕暮れ。
彼は一人、森の中に戻ると、悔しさを晴らすかのように、魔法の練習を始めた。
「くらえ! 我が最強の魔法! フレイム・ボール!」
派手な詠唱と共に、彼の手から放たれたのは、バスケットボールほどの、不安定に揺らめく火の玉だった。
それは、まっすぐ飛ぶこともできず、数メートル先の地面に落ちると、ぽすん、と情けない音を立てて消えてしまった。
「クソッ! なんでだ! 俺は、こんなもんじゃないはずなのに……!」
彼は、地面を蹴りつけ、誰に言うでもなく悪態をついた。
そして、決定的な光景を見たのは、その直後だ。
彼は、空っぽの採集袋を肩にかけ、とぼとぼと王都への道を歩いていた。
彼は、門の手前で立ち止まると、夕日に照らされる、白亜の王宮を、じっと見上げた。
その横顔に浮かんでいたのは、純粋な、そして、飢えた獣のような『憧れ』と『嫉妬』だった。
俺は、全てを理解した。
彼は、ヴァレリウス様のような、偉大な宮廷魔術師になりたいのだ。
だが、彼には、圧倒的に実力と、そしてコネが足りない。
人を騙すのは、金のためだけではない。自分を大きく見せるための、虚栄心。
エリートに取り入ろうとするのは、成り上がるための、野心。
そして、その全てが空回りしている、惨めな現実。
その強すぎる出世欲と、現実とのギャップが、彼の心を常に焦がせている。
『……飢えている』
俺は、確信した。
『プライドが高く、ずる賢くて、意地が悪い。平気で人を裏切るだろう。……だが、俺が差し出す餌には、絶対に食らいつく』
偉大な賢者エリアスと、宮廷魔術師長ヴァレリウス。その二人の名前が刻まれた、危険で、しかし、蜜のように甘い餌に。
俺という餌に、食らいつかせる。
俺の狩りは、観察の段階を終えた。
これからは、獲物を罠へと誘い込む、仕掛けの段階だ。
俺は、カシムが毎日通る、森の中の小道を睨みつけた。
彼の行動パターン、性格、そして、その強欲さ。全て、頭に入っている。
俺は、闇の中で、その時が来るのを待っていた。
もう、俺はただ獲物を待つだけの存在ではない。
自ら、獲物を狩るための罠を仕掛ける、狩人なのだ。
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