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第25話:マナの結晶の杖

 

 鎚の音は、三日三晩、心臓の鼓動のように止まらなかった。


 一振りごとに、灼熱の鉄塊が悲鳴を上げ、火の粉が滝のように舞い散る。汗と煤にまみれたドワーフの横顔に、迷いは一切なかい。その瞳は、ただ目の前の鉄と、その奥にある魂だけを見据えていた。


 俺は、鍛冶場の隅で傷を癒しながら、眠ることも忘れ、その光景を目に焼き付けていた。

 眠る時間も、食事の時間も、惜しかった。

 バリンの仕事は、俺が本で読んだ、どんな魔法よりも神秘的で、力強い儀式だったからだ。


 彼は、炉で灼熱させた星屑鉄を、ただ打つのではない。

 一振り鎚を打ち下ろすたびに、古のドワーフ語で、何かの言葉を詠唱する。

 キィン、と甲高い金属音が響くたびに、鉱石に込められた魔力が、彼の意志に呼応して形を変えていくのが分かった。


 時折、鍛え上げた金属を、水ではなく、奇妙な匂いのする油に浸す。ジュッという音と共に立ち上る煙が、壁に彫られたルーン文字に吸い込まれていく。

 それは、魔法だった。


 エリアス先生が操る、元素や理論の魔法とは違う。

 金属と、炎と、そして魂が対話する、原始にして至高の創造の魔法。

 俺は、その一挙手一投足から、目を離すことができなかった。


 そして、四日目の朝。

 夜明けと共に、鎚の音は、ぴたりと止んだ。

 バリンは、汗と煤にまみれ、その巨躯から湯気を立ち上らせながら、深く長い息を吐いた。

 彼の前には、杖に巻き付けるための、美しい銀色の金属の帯が、何本も並べられていた。


 帯の表面には、まるで生きているかのように、無数のルーン文字が、淡い光を放ちながら刻まれている。

 バリンは、俺がエリアスの塔から携えてきた、あの古い樫の木の杖を手に取る。


 そして、一本、また一本と、寸分の狂いもなく、そのルーンの帯を杖に巻き付けていく。

 金属が、まるで最初からそうであったかのように、木に吸い付いていく。


 最後の仕上げ。

 彼は、俺が差し出した『マナの結晶』を、ルーンが刻まれた長い2本の棒で慎重に摘み上げた。

 杖の先端。そこには、結晶がぴったりと収まるように、銀色の金属でできた、美しい石座が作られていた。


 バリンは、一瞬だけ動きを止めると、祈るように、静かに息を吸った。

 そして、結晶を、石座へと、そっと嵌め込んだ。


 その瞬間。

 マナの結晶が、まばゆいほどの青白い光を放った。

 光は、杖に巻き付いたルーン文字の一つ一つに流れ込み、金属の帯全体が、星屑を散りばめた夜空のように、キラキラと輝き始めた。


 鍛冶場全体が、その神々しい光に満たされる。

 バリンは、汗を拭うこともせず、満足げに、その完成品を眺めていた。

 やがて、彼はその杖を、俺に向かって差し出す。


「……ほれ。できたぞ」

 俺は、震える手で、その杖を受け取った。


 杖が、俺の手に触れた瞬間。

 俺の体の中を、電撃のようなものが走った。

 これまで、俺の体の中で荒れ狂う奔流のようだったマナが、すぅっと、静かな大河の流れへと変わっていくのが分かった。


 杖は、俺の体の一部になった。

 いや、杖が、俺のマナの流れを、あるべき正しい道へと導いてくれているのだ。


 マナの結晶の、底知れない力が、今はもう、恐ろしくない。それは、俺の意志に、静かに、そして忠実に寄り添っている。

 俺は、あまりの感動に、言葉もなかった。

 ただ、新しく生まれ変わった杖を、呆然と見つめるだけだった。


 ダークブラウンの、磨き上げられた樫の木の肌。そこに巻き付く、銀色のルーンが刻まれた金属の帯。そして先端で、まるで心臓のように、穏やかな光を脈動させる、マナの結晶。


 それは、ただの道具ではなかった。

 芸術品であり、俺の魂の相棒。


 俺が、感謝の言葉を述べようと顔を上げると、バリンは、それを遮るように、ぶっきらぼうに言った。


「勘違いするな、ゴブリン。その杖は、お前の荒々しい力を制御するための、ただの『鞍』じゃ」


「鞍……?」


「そうだ。馬を御するのは、鞍ではなく乗り手自身。杖に頼るな、己を磨け。さすれば、その杖も、お前の意志に応えよう」

 それは、俺がこれまで受けた、どんな魔法の授業よりも、深く重い言葉だった。


 俺は、バリンの目を見て、これまでで一番深く、頭を下げた。


「……ありがとう、ございます。バリン師」

 俺が初めて呼んだ「師」という言葉に、バリンは少しだけ驚いたように目を見開いたが、すぐに「ふん」と鼻を鳴らした。


「……さっさと行け。ワシには、次の仕事がある」

 彼はもう、俺に背を向け、金床の上の、新しい鉄塊へと目をやっていた。


 俺は、もう一度だけ頭を下げると、鍛冶場を後にした。

 新しい杖が、コツリ、と石の床に、心地よい音を立てる。

 トンネルを抜け、俺は、久しぶりに外の、まばゆい太陽の光を浴びた。


 手の中の杖が、太陽の光を受けて、誇らしげに輝いている。

 俺の、次なる旅が、ここから始まる。

 その足取りは、ここへ来た時とは比べ物にならないほど、力強く確かだった。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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